2011/01/30

復習とはメタデータ化

家で全く勉強をしない子がいます。しかし成績は良いとしたらどう扱いますか?

成績が良いのだから放っておきますか?

でも、実はその子は勉強の仕方がわからないので単に家で勉強をしていない可能性だってあるのではないでしょうか。

だとしたら、すばらしい才能をどぶに捨てることにならないでしょうか。

という事を考えていました。非常にニッチな話。



その子がなぜ勉強をしないのか。当日はすべて授業内容は覚えていたので復習のしようがないからではないでしょうか。

復習とは、その日の授業内容を辿り、記憶を強固にし、身につけることだと子供に教えませんか?そのように考えれば、覚えているのだからそれ以上強固にしようにもどうしようもないのではないでしょうか。

さていくら優秀でも、すべての科目で満点を取っているわけではないでしょう。つまり、当日は覚えていてもやはり一ヶ月も経つと忘れるのでしょう。

適切な時期にうまく復習をする方法を恐らくその子は知らないのです。少なくとも自分では思いついてはいない。

短期記憶に非常に優れている場合、通常の復習ではつまらなく感じ、それで勉強をしなくなってしまう。勉強をしなくても優秀なわけだから放置されている。これはもったいないことです。それだけの才能があるならば、うまく導いてやる必要がある。

そういう優秀な子供でも、膨大な量の記憶が必要になる時期、例えば専門職になろうという様な場合に、医家だとか法律家だとか、さすがに記憶量の壁にぶつかるかも知れません。そして対処しようにも、時すでに遅いという場合があるのではないかと危惧するのです。

私自身は記憶量の壁にぶつかったのは、大学3年の時期でした。基礎医学は何か法則性のない、ただ記憶だけが必要な学問に当時は見えたからです。その時、何名かの教授が私に勉強の本質を見せて下さいました。例えば解剖学はラテン語で習うのですが、「語源」というものを意識しました。生理学ではホルモンの動きがフィードバックと自律的な分泌に支配されていることを知りました。生化学の真理は私には深すぎてわかりませんでした。呼吸器は流体力学に支配されていることを知りました。それらは大学の1、2年で学んだ事でした。「真実はなにか」「真実はなにか」と、お念仏のように唱えていた私はやっと勉強の意味を知りました。

それは知識とはメタ化(抽象化)である、という事でした。

話を前に戻しますが、時すでに遅しとなる前に、勉強とは事象をメタ化する事である、という事に気付いてもらう事が必要だと思いました。中学や高校の勉強では易しすぎてそれに気付かないという人が多いのかも知れません。

メタ化とは、習った事、あるいは自ら勉強した事から「似ている事ども」を探し出し、関連づける。これを繰り返していき、その共通性を漠然と抽象化してイメージを作り上げる事です。芸術だろうが、科学だろうが、すべて一緒くたにして。記憶は不鮮明になりますが、インデックスを構築をしていくことです。
メタ化を意識すると覚える量は極端に減っていきます。医師国家試験の時にはそれほど勉強した記憶はありません。というのも、医師国家試験は比較的洗練された知識から構築されていて、比較的メタ化しやすいからではないかと思います。
それに対して専門医試験などは恐らく間違った知識も相当あるのだと思いますが、美しくはありません。メタ化しにくい。本来はそういった試験は無意味で、少なくとも試験には「Google持ち込み可」とすべきでしょう。



知識をメタ化する事により記憶を圧縮する作業が、復習という作業なのだと、短期記憶の優れた子供には教えてやりたいと思います。授業をなぞるのではなく、全く別の分野でも同じ発想をしているような概念を提示してやる。そういうメンターが、そういう優れた子供についてあげたらどうでしょう。なんだかすごい事になりそうでワクワクしませんか。

メタ化の効用にはこんな実例があります。例えば潰瘍性大腸炎という病気と、アトピー性皮膚炎という病気は私にとってはあまりにも同じ病気です。疾病の原因、炎症の生じ方、増悪因子、治療まで、すべて似ています。これでお勉強は終了で、あとはアトピーに関する論文、潰瘍性大腸炎に関する論文が出てくるたびに、「やはり似ているな」と認識すれば良いのです。
あるいは、クローン病という病気は「全層性炎症」というひとことで理解すれば良い。
むろんこれだけではテストには合格しないのです。しかし、臨床家として困るということは幸いありません。色々な治療が登場しても、ああなるほどと思えるし、新しい治療の予測も可能になります。



1)短期記憶が優れており、一般的ないわゆる復習はつまらなそうにしている。
2)かといって恐ろしい記憶力を持っているのかというと、満点を取るほどでもない。

そういう人にあった復習方法は、物事のインデックス化、言い換えればメタデータ化です。
これとこれは似ている。こうしたらこうなった。似た事象を一気に勉強し、過去の知識を思い出して関連づけていくと良いのでしょう。テストの点数はメタ化だけでは伸びないかも知れませんが、柔軟な発想力が磨かれるのではないかと思います。何か新しいこと、知らないことが目の前にあっても、「確かあれと似ているな・・・」という発想が出来、応用が効くということです。


外国で教育を受けたある方は、例えば日本のように決まりきった「記憶・計算」のような学習では「容量」が増えないのではないか?という印象を持ったそうです。その方が受けた教育は日本のように高度な知識を問うものではなかったけれども、人生のあらゆる場面にあとで応用が利くようになるべくその「容量」を大きくしようというものであったという印象を持っているという事です。その話を伺うと、確かに最近の優れた学習塾の特に低学年ではそのような教育をしているような印象を受けます。(ただし中学受験が近づくにつれ、短期的な成功を得ようとするためにちょっと違う方向に行ってしまう事もあると聞きやや残念)

さて、自分で知識をメタ化できる人ばかりではありません。むしろそうでない人の方が多いかもしれません。メタデータは人から教わるとわかった気になるのが怖いのです。
「容量」というのが決まっているから、ある程度の年齢になってしまいますとメタデータでしか知識を蓄えられないのでしょう。

例えば「固形がんには抗癌剤は効かないよ」とか言う人がいるとき、それをそのまま鵜呑みにしてしまうと間違った知識を得てしまうことになりかねません。世の中には、データではなく、すでにメタ化されたデータが溢れていることに気づかねばなりません。

メンターというのは、メタデータをこの人なら引き継げると思える存在の事だと思います。学習を教える存在というのは非常に重要で、医師の場合もそうなのですが、教科書だけでは良い医学教育が出来ないというのは、こういう事なのだろうと思います。

ところでメンターという言葉と、メタとが似ていて、とても嬉しかったです。

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