2013/10/29

チーズは血圧を下げる(棒)

「チーズは血圧を下げる」などという嘘もまたメタ知識のひとつです。

ある患者さんが「テレビでやってたので毎日二食はチーズ食べています」とニッコニコでご報告。

美味しいものだからマイブームになっちゃって止めさせるのに3ヶ月もかかってしまいましたがその間に3kgも体重が増えて平均血圧も10mmHgほど上昇しました。テレビ局なんとかして下さい。

こういう嘘を思いつく人はどういう発想なのかを考えてみましょう。

私は別のメタ知識を思い出しました。

「チーズは片頭痛を誘発する」

ははーん、と思った方は私の仲間。そう、片頭痛を誘発するとされる食べ物には血管を広げる作用があるよ、とされているものが多いのです。

血管がしまると高血圧、血管がひらくと片頭痛、という事に気づいてしまえば、片頭痛に悪いものは高血圧には良いもの、という発想が可能です。

では片頭痛を誘発するかもしれないとされる食べ物には何があるでしょうか。

・チェダー、エメンタール、カマンベールなどの熟成チーズ
・チョコレート
・マリネや発酵食品
・亜硝酸塩や硝酸塩が含まれている食品(ベーコン、ホットドッグ)
・MSG(醤油、肉専用調味料、味塩)
・サワークリーム、ピーナッツバター、サワーブレッド、そら豆、サヤエンドウ、レーズン、パパイヤ、アボカド、赤い梅、柑橘類などなど
・そして玉ねぎ
(http://www.headaches.org/から抜粋してきました)

あとは上に書いてある食べ物から、それっぽいものを、

「血圧が下がる」と売りだせばOKです。

簡単でしょう?

註:「(棒)」というのはネットスラングで、本気ではない、という感情を表す時に使う表現だそうです。日本語も進化しますね。


2013/10/27

60兆個

人間を構成する細胞の数は60兆個、とされています。

1gあたり1億個の細胞、という知識から導かれています。ただ、それだけのことです。覚えやすいので覚えておくと良いです。


人間の中の微生物の数はどのくらいでしょうか。

微生物(この場合細菌)は1gあたり1000億個、とされています。細菌1個の重さはざっくりと細胞の1000分の1です。覚えやすいですね。うんちを全部かきあつめると1000gと言われていますから、1000億x1000で100兆個です。

こういうのはフェルミ推定って言いますね。将来は正確に数える人が出てくると思います。

他に知っておくと便利なのは、脳と肝臓の重さは一緒で1.5kgという知識でしょうか。


人間の血管の総延長は10万kmなんだそうです。本当でしょうか。

これを計算するにはまず血液の量を考えます。体重の7%ですから4.2kgです。毛細血管の太さを考えましょう。5-10μmです。7.5μmとして話を進めましょう。
ところで細胞の直径って100分の1mm、つまり10μmぐらいです。え?毛細血管の方が細いじゃないかって?正解。白血球は毛細血管の中はアメーバのように進むんです。だから5μmだって良いんですよ。
7.5μmの断面積はいくつぐらいでしょう。3.75 x 3.75 x 3.14  = 44.2μm^2
ふふ、なんかそれらしい数字が出てきましたよ!

4.2kgの血液の比重をざっくり1としましょうか。
1L = (10cm)^3 = (100mm) ^ 3 = (100000μm)^3 = 10^15μm^3
4.2L / 44.2 μm^2 = 4.2 x (10^15) μm^3 / 44.2μm^2 ≒ 1 x 10^14 μm = 1 x 10^11 mm = 1 x 10^8 m = 1 x 10^5km = 10万キロメートル

ほらね。こうやって計算しているんですよ。別に正確に測ったわけじゃないんです。
全部フェルミ推定。

ちなみに小腸の粘膜を全部広げるとテニスコート一面になる(200平米)というのはどうでしょう。
さっき一つの細胞の大きさが10μmと言いました。小腸の絨毛は一層なんですね。
200m^2 / 100μm^2 = 200 x (10^12) ^ μm^2 / 100μm^2 = 2 x 10^12個
細胞は1億個で1gだから、小腸上皮の細胞を全部かきあつめると200gという事になります。
結構妥当な数字です。これが1週間ですべて置き換わるわけです。小腸の粘膜のターンオーバーは1週間とされているのです。
腸の垢(死んだ細胞)は毎日50gと言われています。
何にも食べなくてもうんちは50gは作られる、という事です。
50gx7日間で350g。大腸とか胃も含むわけだから、まあそんなにおかしな数字じゃないですよね。

こうしてフェルミ推定で全部つながってるわけです。

ところで毛細血管の細胞って結構ひらべってくて大きいです。例外的に10μmよりもはるかに大きいんです。1 x 10^14 μmを10μmで割ってから1億で割ると1x10^3g、つまり人間の血管を全部集めると1kgって事になってしまいますが、実際には10μmよりもはるかに血管は大きいので数百g以下と言うことになるでしょう。やはり計算はあうのです。

計算はとても苦手なのですが、たぶんこれでよろしいのではないかと思います。

さて脳細胞の数は1.5兆個もあるのでしょうか?数百億?数%?
その数はどうやって求めたのでしょうか?これは小さな断片から神経細胞、グリア細胞、間質のその他の細胞をカウントして、その比からざっくりと求めたのだと思います。

脳のうち活動しているのは数%だという話がありますね。私はそれはもっともらしい嘘だと思います。なぜなら神経のシナプスには抑制をかけるための神経終末がほとんどです。これは解剖学でならいました。それは当然のことで、神経はただの電子回路ですから、基本的に抑制かけておかないとてんかん発作起こすだけです。普段はかなり抑制かかった状態で正確にいろいろな判断を下しています。ところが何かをひらめいたりした後だけは抑制がはずれるのだと思います。だって考える必要がなくなりますから。それは大きな神経活動として記録されます。天才では神経活動が活発だとか、普段数%しか脳神経は活動しないとか言うのは抑制系のニューロンをちゃんと観測できていないという事だと思います。

2013/10/21

胃癌と逆流性食道炎がトレードオフだっていう話

「どうして胸焼けするんでしょう」という問いに、

「ピロリ菌がいないからですね」と答える。

一日に何度もある会話です。



それは実際事実であって、ピロリ菌がいない人は胃酸分泌が多いですから、胸焼けだってしやすいのです。



「ピロリ菌がいないって事は胃癌にはなりにくい運命だということでありまして、しかし胸焼けはしやすいんです。神様って意地悪ですよね。でも胸焼けで食道癌になる日本人ってほとんどいらっしゃいませんよ。だから医者的には神様はあなたに微笑んでいる、と思います。良かったですね」

「あ、そうなんですか」

「そこで胸焼けをしない方法を考えましょうっていうのが医者の役目でして、生理学とか解剖学とか薬理学とか、あなたに指導するために難しいことを一生懸命勉強してありますから、あなたにあった方法をこれから探そうかな、ってところです」

「私は逆流性食道炎なんでしょうか」

「逆流性食道炎という言葉がひとり歩きしていて好ましくはありません。哺乳類は全部と言ってよいほど逆流性食道炎があると思いますけれどね。胃酸が逆流しない動物っていないですから。それを病気として捉えるか、状態として捉えるかの違いはあると思います。あなたは逆流性食道炎ではあるが、それは病気とは私は思いませんよ」

「はあ」



無用な不安感は症状を増悪させます。いろいろな広告のおかげで、その内容が理解できない人達は逆流性食道炎に対して非常に不安を強く持っています。それらの人々にある種のメタ知識を植え付けてニュートラルな状態までます持っていくのが治療の出発点です。

2013/10/08

対話

同じく小林秀雄さんの「考えるヒント」の二番目のエッセイは「プラトンの『国家』」というタイトル。

プラトンの「国家」という著作の対話編はソクラテスと対する人々の対話という形がとられているのだけれども、これが議論ともディベートとも違う不思議な雰囲気をなしている。

現代では「対話」がおろそかにされてはいないか。医者という職業の人間はずいぶん偉そうにものをいう。「なんとかは治療するな」「いや治療しろ」などと自分の意見の応酬である。それは主張であって、議論でもディベートでもない。では医者と患者で議論やディベートは成立するのか、否。診察室での会話はこの「対話」という表現が一番しっくりと来る。

医学は絶対ではなくて常に疑問が沢山ある。そして一番たくさんの疑問を抱えているのは患者さんではなくて医者本人である。

対話らしい会話ができるだけでも良い時代になったと言えるかもしれない。
「はいお薬を出します」というような一方的な言葉に対して、
「お薬を使わずに治療は可能でしょうか」などという疑問を医師に投げかけることが、昔は出来たのだろうか。

そこからは対話がはじまる。
「なぜお薬を使わずにと思うのか」
「お薬は体に悪いと聞きました」
「『お薬』が体に悪いと主張している人がいることは知っている。しかしその『お薬』が今回の『お薬』と同じものとは限らぬし、そもそも『悪い』とはいったいどういう事なのか、それすらも人により違うのだ。あなたはお薬が体に悪いという主張を聞いた時にその具体例についてひとつひとつ理解する必要がある。しかしそれを理解していない現状ではある程度は専門家にその判断を委ねる必要が出てくるのではないかと思う。それが理解はできますか?」
「それはわかります」

一般に「薬が体に悪い」という主張はまやかしだ。しかし副作用が起きる可能性からは人間は逃れられない。
納得してリスクをとるか、とらないか、それは選択である。
医師にどこまで委ねるか、というのも選択である。
つまり医療を受けるというのは選択なのだ、という事が理解できれば一応対話は終了とする。
薬を飲むか飲まないか、という議論を戦わせるわけではない。

対話にはどういう意味があるのか。



ソクラテスのやり方は基本的には相手の主張に疑問を呈することからはじまる。

「君は疑いで人をしびれさせる電気ウナギににている」と言われるとソクラテスは

「たしかにそうだ、しかし電気ウナギは自分で自分をしびれさせているからこそ人をしびれさせることができる。私がそうするのは私の心が様々な疑いで一杯だからだ」と答える。

人間は一度死ぬと疑問をすっかり忘れてしまい、また生まれ変わってまた人生をやり直すわけだけれども、ソクラテスは少しだけ前世を覚えている、と暗喩しているのだと小林秀雄は書いているけれど、それはプラトンが著書で「人間には前世があることは明らかだ」と示していることを受けての事らしい。小林秀雄のように輪廻を持ち出さずとも、疑問を忘れない、というのは大切な事だという事は自分にはよく理解ができる。

私の知り合いでこのソクラテスを地で行く先生がおられるのだけれど、しばしばその医院の患者さんが当院に迷いネコのように来院される。要するに疑問が解決しないので来ました、というのだ。いやはや。私はその先生との対話を楽しむべきだ、と思うのだけれども。

ただ、医者から疑問ばかり発せられてはついていけない人が多いのは当然だから、先に私が考えに考え抜いて普段から自分の解釈なり、妥協点なりを用意してはいる。いわゆる「テンプレ」っていうものだ。不本意だけれど対話に疲れちゃうような人には「テンプレ」をお持ち帰りしていただいている。



一方インターネット(SNSなど)は対話が行いにくいメディアだ。(一見対話をしているようだけれども)

何と言っても会話よりも反応速度が遅いし取り消せない。これは良いようでいて、主張のゆらぎが少なくなる、もちろんゆらぐ人もいるのだが、そのゆらぎを楽しまずに揚げ足をとることに使う狡猾な人間がいるために全く対話にはならないのだ。(したがって炎上しやすい)これは勿体無いことかもしれぬ。

ソクラテスの洞窟の比喩で示されるように真実は我々には見えない。見えないなりに対話をもって疑問を少し残しておくこと。それこそ人間らしい行為であるし人生の楽しみだ。インターネットにはまだまだその力は足りないように思う。



虎は死して皮を残すというように、発見された知識は後世に残っても、多くの疑問は記録されずに失われてしまう。いろいろなアイディアが再発明されるそもそもの根源がそこにあるように思うが、対話はその中では大きな役割を果たすと思う。

人間が人工知能と対話をするようになり、彼らがあらゆる疑問を決して忘れないとしたら……もしかしたら人間のありようを少し変えるのかもしれないが、むしろつまらないかもしれない。

2013/10/07

脅してきたら、それは専門家とは思わないほうが良い。

小林秀雄さんの「考えるヒント」の最初のエッセイは「常識」というもの。
当時ですら「機械化された生活の中、内部の理解できぬ機械に振り回される」というような表現がなされ、自分のわからぬ事は、すなわち一般人が常識の範疇で判断ができぬことは専門家へ委ねなければならなくなった、と嘆いているような書き方である。

ここで言う常識とは「人間の作った決まり事」である。
逆に考えると専門家の知識とは常識が通用しない領域の知識ということなのだろう。

そして私が扱う「医学」という分野は明らかに一般の人々の常識が通用しない。皆さんが自分で判断することは非常に難しく、我々専門家に委ねざるを得ない場合が多い。



みなさんから見れば、医者はどの医者も専門家であってすべて等しくうつるだろう。歯科医も鍼灸師も整体師も薬剤師もナースもみんな専門家である。常識の外なのだから、それらの人々の言うことが食い違っていたとしてもその正否を判断することなど出来るわけがないのだ。



それだけに、専門家の領域にいる人々が一般の人を脅すようなことをいうのは心して慎まねばならない。

「先生よくならないのですが」
「それは悪い病気かもしれないから内科にかかりなさい」

というのが悪い例である。(この専門家が自分では解決できない、ということだけが事実である)それだけで恐怖で三日三晩眠れぬ人もいるし、PTSDになる人すらいる。そして大抵の場合は自分の技量が劣っていて正解が見えていないだけなのだから始末が悪い。

正解は、

「先生よくならないのですが」
「今までの経過を書いた手紙を書きましたのでこれをもって内科に行き相談して欲しい」

ではないだろうか。



どんな資格であれ、専門家は専門家であり、一般の人たちの常識が通用しないところにいることを心せねばならない。相手はいつでも小林秀雄さんであるとは限らないのだから。

回虫症?


肝臓内にこういう石灰化を認めたことはないか?
私は何度かあるが。

こういう門脈に沿った石灰化は回虫症の既往なのかもしれない。はっきりとしてはいないが回虫症の既往がある。


これは別の症例。この方は回虫の病歴がはっきりしている。

回虫は門脈経由で侵入するが見つかれば駆虫薬をのまされるから肺に達する前に死んでしまい、このような石灰化を残すのかもしれない。

あまり教科書には載っていないので書きました。Ascaris といいますが、検索しないことをおすすめしたい。

前庭部の胃壁をみる


前庭部の胃壁を見て、7mm以上は「肥厚あり」とする、と書いたが蠕動による収縮はその限りではないとも書いた。これは実例だ。
左、7mmを超えている。この状態で異常、と思うなかれ。
しばらく待てばこの通り。ちなみに右の写真では十二指腸球部の一部も見えている。
再現性を持たせるため、大動脈を長軸方向に捉えておくと良いだろう。
この肝臓はfatty liverだ。少し胃を強調したいため、やや明るめに調整してある。
フォーカスはやや深めで良い。

ある程度高齢者でこうした状態の胃の所見を認めると違和感を感ずるかもしれない。
しかし高齢でも萎縮のない胃ではこういう所見になる。逆流性食道炎の治療を受けている人々はこれに該当する場合が多いだろうと思う。

2013/10/04

幽門の位置と瀑状胃

超音波で胃を見ると、幽門の位置は通常は正中か正中よりも右側にあります。
けれどもそれが正中より左側に存在する場合がある。その場合に瀑状胃かもしれない、と私は思います。(もちろんあとで内視鏡で確かめますし事前に答えがわかっていることもあります)

「瀑状胃とはなんだ」に対する答えは胃の回転(内臓は胎児の時にくるりと回転しつつ形が成長していくのです)が少し違うということだと思いますが、そのひとつの証左なのかもしれないなと思いながら観察します。

何を言っているのか全くわからないかもしれませんが、自分でも何を言っているのか良くわかりません。エコーを行っている時に、
1)必ず幽門の場所はわかりますから、まずは幽門を認識できるようにトレーニングしてください。
2)それが出来ると十二指腸潰瘍やアニサキスの診断は簡単になるのですが、少し上級編として胃の形態の異常を考えられるようになるでしょう。胃の萎縮の有無も慣れるとわかるようになりますので大変便利です。エコーも内視鏡も両方できる医者というのは便利な存在ではあります。




応用としては、
左季肋部や左背部の、食後ないし食事中の違和感を瀑状胃の方は訴える場合があります。幽門が正中よりもやや左かな、と思ったら食事が素直に前庭部に入っていかない可能性が考えられます。証明するには実際食べてもらってエコーをすればよろしい。
胃を膨らませることで変形が整復されて症状が取れる場合があります。従って、違和感を感じつつもしっかりと食べるように指導すべき場合もあるのです。



瀑状胃の成立については理由が良くわかりません。先ほど回転の異常ではないか、と書いたのですが胃の小網の短縮が生じているのかもしれません。例えば肥満患者の一部で小網に脂肪が蓄積し柔軟性が失われると考えるとつじつまが合うためですし、非常にやせていても瀑状胃の方がおられるのは別の理由(例えば炎症)で小網が短縮したと考えれば良いのです。潰瘍瘢痕がないにもかかわらず、長年の経過観察中に瀑状胃となる例がまれにありますが、この仮説は良くそれを説明してくれます。一方、分娩後の女性に瀑状胃を認めることがあり、これは単に胃が進行方向に向かって時計回りに回転しただけでもそうなるのかもしれないとも考えます。この瀑状胃はリバーシブルでやがて直ったりします。