ゲームクリエイターの2人が対談している記事の中で、最新のVRゲームについてこういう記述があった。
原田氏:
他にも、VRのキャラクターは目線を合わせるとリアリティが出るはずだと仮説は持ってましたが、実際にそれをまんまやると、なんか腹が立つんですよ。だって、人間は確かに目を合わせてくるけど、そんなにずっと、じっとは見ないでしょう。
――ガンつけられてるみたいですよね(笑)。
原田氏:
適度に目線をそらしたりしている方が、自然なんですね。もうね、記号的な表現が通用しないんです。
キャラクターが目線を合わせる事は腹が立つ、のか。
下記のように患者と目を合わせない医師はNG、というような情報(でもちゃんと読めば「まったく目を合わせないのがNG」程度の書き方なのだけれど)が独り歩きしており、「あそこの病院は電子カルテで自分の事を見てくれないんですよ」と患者が良く言うのだけれど、「僕だって電子カルテだし、あなたのことを一瞬しか見てないけど?」というと「そういえばそうか……じゃあ違いは何なんだろう」と悩みだすので、上記の問答は腑に落ちた。
実際私が患者を見るのは目ではなくて歩き方とか服装とか肌などであって、患者の目を0.5秒以上見る理由は特にないし、目を合わせると相手が不愉快だと感じる場合すらあるので、周辺視で患者の表情を観察、そして自分の視線は患者の視線を誘導するために使う、という事が実際には多い。
実は紙カルテの時代にも医師は患者とは視線を合わせてはいないが、それが目立たないのは紙カルテの場合には字を書くスピード自体は誰でも一緒なので、医師が何かを書いているという動作を患者が見ても苛ついたりはしないし、無言で何か字を書いたりチェックを入れたりしていても自然な動作として見えているからだろう。しかし電子カルテではカルテ記載のほかにオーダリング業務という、検査指示を直接医師に入力させるようになっている。それにはある程度の習熟が必要だ。結果として、優秀なはずの医師がそれに手こずる場合があり、「何もしていないように見える時間が長くなる」。その姿に患者は落胆するだけなのだろう。その動作の遅さは頭の回転の悪さと同義であるかのように感じるに違いない。
優秀な経営者がいれば診察室には医療秘書がいたりするのであろうが、現実問題日本の医療の現場では、医師が電子カルテを操作する。医師は電子カルテの操作に習熟することが、字を書いたりすることと同様に大切であり、自分を良く見せ、患者の信頼を獲得する方法のひとつである事だ、と認識すべきであって、目を合わせるーだとか言う事にこだわると失敗するであろう。(よくある接遇や、OSCEの授業でも機器操作の優美さと言うような視点は完全に欠如しているので、結構大切な事を書いたよ!)
・医師が何かを操作する時間・空間が、紙カルテのように隠蔽されず、目の前のモニターで展開されるため、その姿が美しく見えたほうが良い。わざわざライブで患者さんが見ているわけだし。
・あるいは患者が飽きないようなコンテンツを用意しておいて、それで気をそらしている間にオーダリング、処方、などを入力するというような工夫をしても構わない。
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