2012/12/19

医療と儀式

医療は茶道のように儀式的で有る方が、患者は安心するかもしれない。



数年前学生実習で来院したM6(医学部六年)の学生が院長の行なっている内視鏡を見て、「一種の宗教儀式のようだ」と形容しました。

確かにすべての検査で、足の運びから持ち方。ルブリケート(潤滑剤)を塗る方法からすべて、全く同じリズムで行われるさまは、儀式と言って差し支えないかもしれません。
ある日は、すべての検査が1分の狂いもなく同じ時間で終了しており感心したものです。



一流の定義が、質が高い事のみならず均質である事だとすれば、「様式」は大変に重要な事かもしれません。

私の最大の特徴が、「変化に強い」「例外に強い」であるのですが、反面自由すぎる事が欠点です。特に検査においては様式美には程遠いもので、毎日反省ばかりです。スポーツにおいてもある程度のレベルに到達すると、癖を無くし、無駄を省いてタイムを伸ばすという事を良く行います。均一な検査は患者に安心をもたらすでしょう。達人の検査ほどワン・パターンで簡単そうに見えるのは当然かもしれません。

自由と様式は相反する価値では決してないと思います。茶道を学んだ事がないのでわからないのですが、突き詰めていけば、いつかは高みに到達することが出来るのでしょうか。



これを集団で行うことができた時に、その医療機関は一流だと言われるのでしょう。
注射一本、採血の方法のような細かい方法まで、医療従事者間で意思統一が行われ、均一な医療が提供された時、患者は戸惑いがなくなり安心するのでしょう。

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