2014/02/28

胃の出口はダイナミックに動く

胃の出口は幽門(ゆうもん)と言います。英語ではPylorusです。ヘリコバクター・ピロリ菌の名前の元にもなりました。

幽門の由来を探したくて、宇田川玄真(膵臓の「膵」という国字を考えた人)で検索したら面白い書類が見つかりました。(「膵」という文字を巡って→リンクPDF

ではターヘル・アナトミアとして知られるクルムス解剖書かと思ってこのリンクを眺めました。

すると189ページ(リンクでは219を指定する)に、
Pylorus of Janitor
 Maag ontlafter of portier den Maag, alwaar
 b. Een ronde Valvula, Klap-vlies, die
とあります。これを英語に訳すと、
Pylorus or Janitor
 stomach emunctory or the stomach door, where
 b. A round válvula, Folding fleece, which
となります。

Janitorはラテン語でドア(門)
Pylorusはギリシャ語で"gate guard"だそうで、胃と十二指腸の間の門番、という意味でしょう。

ontlafterはなかなか大変でした。古語なのか、素直に検索できません。フランス語を経由することにしました。するとフランス語で émonctoireだ、という事がわかり、それを英語にするとどうも排出器官という意味らしい。なるほど。

では解体新書では幽門という言葉はあったのでしょうか。

解体新書を国会図書館デジタルで調べます。
こちらのリンクをご覧頂きましょう。
第三巻19ページに腸胃篇第二十というのがあります。

解体新書
あれ、幽門ではなくて、胃之下口 その形状は徳利口の如し のように書いてありますね。

原語にある、
 b. A round válvula, Folding fleece, which
というのが良いですね。丸い小弁、折りたたまれたカーテン、みたいな意味でしょうか。
ピロルス:胃の排出口、出口、それは丸い小弁、折りたたまれたカーテンのようなもの。
というような意味でしょう。胃之下口 その形状は徳利口の如し、というのは実物を見ながらの杉田玄白の描写なのでしょう。リアル。

さて驚きました。
ターヘル・アナトミアを書いたクルムスは動いているのを見たのでしょうか。まさにそうなのですから。


全く内視鏡を動かさずに撮影するとこんな感じで実にダイナミックに動くのが胃の幽門です。
みなさんが痛い痛い言うのもここを指し示している場合がおおい。
どうしてこんなに小さな穴なのか、考えてみると面白いと思いますよ。

さて、「幽門」はどこから来たか。まだ調べられませんが、幽門は中国の解剖書にはその名前がすでに書かれています。1624年の類経図翼にはすでに幽門という字を見ることが出来ました。

2014/02/21

「必要」と「得」

患者さんからの質問で「それは必要なんですか?」というものがあります。
割合本質をついていて、良い質問だと思う。

医者になって20年以上、それについて深く考え続けて来ましたし、医者は「目の前に困っている人を救いたい」という情熱(ドラマではたいていこれだけ)のほかに、シビアに公衆衛生への貢献を考えねばならない難しさがありますし、いかに自分が儲からないように(医療費を節約することは公衆衛生に貢献する)するか、教育(教育には逆にお金がかかる)をいかに行うか、自分の生活と健康(持続性がなければならない)を維持できるだけの収入をどう得るかを高次元で調和させる必要がある事は子供のころから祖父や父を見てわかっていましたから、そういう質問に対して本気で答えはじめると話が終わりません。

ただ、患者さんが期待しているのは本当は、「必要か」ではなくて「自分が得をするか」なのだと思うのですね。それはマーケティング上も重要だし、患者さんのモチベーションは治療の成否にかかわる部分ですので、「必要か」を答えるよりは「得をするか」という視点で答えるようにしています。

ピロリ菌の除菌なんていうのは、高齢者にとっては非常に重いテーマで、「必要かどうか」という視点ではなかなか話が収束しませんが、「得かどうか」で考えると若干わかりやすい。

「胃癌のリスクが70歳で委縮がO-3のあなたの場合は毎年0.4%だと見込めて、それを0.13%に絞り込むことができ、しかし除菌をしようがしなかろうが内視鏡をする回数は今後もほとんど変化がなくて、そのかわり内視鏡をしていれば9割は内視鏡切除可能な癌で見つかる。除菌をすると1.5%の人は副作用で苦しむし、0.1%の人がかなり苦しむ。つまり今後10年で胃癌になるリスクを4.1%から1.3%に絞り込めるが寿命にはおそらく影響はしない。しかし内視鏡を全く受けないような不真面目な人の場合には寿命には影響するかもしれない。ところでそのために短期での薬疹のリスクを取りますか、という判断を患者さんがすれば良いと思います」

という説明でわかるでしょうか。70歳の方にはなかなか理解が難しいかもしれない。

ただ、ひとつ注意したいのは、「必要かどうか」という質問をすると必ず、「…%は死ぬ」とか「…%は癌になる」という話題が不可欠になるわけです。ですから私が「死亡率」という話題を出した時に、「先生驚かさないで下さいよ」という患者さんがおられるわけですが、それは患者さんが「必要かどうか」という質問をしたからやむなく答えているわけで、決して驚かしているわけじゃない。

一定の患者さんにとっては医療はブラックボックスであったほうが、精神的には幸せである場合があるので、そういう方は「必要か」という質問(ブラックボックスを開ける質問、開けゴマのような呪文)は避けた方が無難ではないかと思います。でも出来ればみなさんが命を見つめる目を身につけてそのブラックボックスを開けてしまう世の中になれば良いとは思います。

2014/02/16

家庭菜園の野菜を食べている人の便の色は黒い?!

胃や十二指腸で出血しますと、胃酸と血液のヘモグロビンが反応します。

反応した物質は acid hematin(ヘマチン)と言い、黒に近いコーヒー色をしています。formalin pigmentという別名もあります。

ヘモグロビン
ヘマチン

左がWikipediaからお借りして来たヘモグロビンの構造図なのですが、ヘマチンは、
中央のFe(II)にOHが結びついたものだそうです。(右)

「塩酸ヘマチン」という呼び名は混乱をするから使いたくはありませんし、ホルムアルデヒド(CH2O)と反応させても同じものになるそうですからこの呼び名はおかしいです。「塩酸ヘマチン法=ザーリー・小宮法」という血液の濃さを知る簡易の検査がありまして、誰かが文章を書くときに混乱したのではないか、と思うのですが誰が間違ったのかは調べられませんでした。「胃酸によって塩酸ヘマチンへ変化する」という一文がコピペされてあちこちで使い回されているのを良く見ます。私が間違っていたらどうぞ指摘してください。

ヘミン
ちなみにヘモグロビンの中央のFeに塩素が結びつくとそれはヘミンです。
ヘミンはポルフィリン症の発作時に使われます。塩酸ヘマチンと書くとこれと混乱されそうで嫌なのです。混乱は実際にあります。シカゴのアボット社が作っているオーファンドラッグのPanhematin®なのですが、これは実際にはヘミンです。(こちらをどうぞ→リンク

ところがこれを塩酸ヘマチン注と翻訳しているサイトが実際にあるのです。こうした用語の混乱は日本語とくに医学界隈にはしばしばあるのですが、個人的にはそういういい加減さが代替医療の人に好き勝手される元凶のひとつである気がしていてとても嫌な事です。


ここまでが前置きです。単にヘマチンと呼べばよろしいと思いますし内視鏡医は誰だってヘマチンと読んでいます。気取って塩酸ヘマチンと呼ぶのはおかしい、という話をしました。

さて「便が黒い黒い」と来院する患者さんが多くおられます。

このヘマチンが原因で便が黒くなったのならば、
1)ある程度の量出血しなければならないから、血液中のヘモグロビンは低下する。
2)血液は下剤の働きをすることが多く、ほとんどが軟便か下痢になる。
というような条件を満たすのが普通ですし、満たす場合には診断が簡単です。

ところが全くヘモグロビンに変化がない上に、便は普通ないし硬い、というような訴えの方は多くて、
「それは違うんですよ」と言っても納得せず、
検査まで行って、「ほら、何もありません」と言ってもまだ納得せず、
それらの人に一体どうやって説明したらわかってくれるのだろうと、ずーーーっと考えていました。
(内心、「それは出血じゃないんだから食べ物の影響に決まってるじゃないか!食べたものの記録全部持ってこーい」と思いつつ、です。そういう人に限って、「普通のものしか食べていない」と言うのです)

さて、私の記憶をたどると、ずっと野人として外で暮らしている日本男性のお話が思い浮かびます。記者がその人と一緒に生活をするために、山に入った。その男性はうんちをそこらへんでするのすがそれを見た記者曰く、「こんな黒光りするうんこを見たことがない!」と書いてありました。
その出典が探せないのですが、私は記憶力はそんなに悪い方ではないからたぶんそういう記述はWebのどこかにあろうかと思います。

小松菜とかホウレンソウだとかを食べ過ぎたり、ジュースにすると確かに便の色が濃くなりますし、それは自称黒色便の原因の代表格です。関係があるかどうかはわかりませんが、それらは鉄含有量が多い野菜として有名です。

上記の記憶を根拠にある日、納得しない患者さんに聞いてみた。

「小松菜を食べすぎていませんか?」

すると鳩が豆鉄砲を食らった顔、というのはそういう顔なのかもしれませんが、あれほど納得しない頑固だった人が一転、

「小松菜を家庭菜園で作っていて、それを毎日たくさん食べている。。。それかあ」

と、すぐに席をお立ちになって帰られたのです。

それが数年前の事で、以後便の色が黒いという人に家庭菜園をしていないか、いただいた野菜を食べていないか、と聞きますと半分以上の確率で当たる。なかなか思い出すまで時間がかかる人も多いのですけれど。

「おじいちゃんが作った野菜はうんちが黒くなるから嫌だと孫に言われるんですよぉ」
とまで言う人がいました。

クロロフィルc1
苦し紛れに繰り出した「家庭菜園」という言葉ですが、案外嘘でもなさそうな、という気がしていて現在はその事実について検証を積み重ねている段階です。

ここまで読んでいくつかの疑問が思い浮かぶ皆さんがおられると思いますが、私の思いも全く同じです。

面白いなあと思って読んで下さったみなさん、ありがとうございます。

黒い便は体に悪い、気を付けろ、などと考えなしに書いているみなさん、悪意はないとは思いますがもうちょっと良く考えましょう。

2014/02/09

専門と非専門

医師がこうしてブログやツイッター、SNSなどで情報を提供することは現在では珍しくなく、広報係のように頑張っておられる方もおられて頭が下がることもあります。

しかし、なんだか微妙に間違っていることを仰っておられてその主張に「つっこみ」が入りやすい状態になることもあり、広報なんだか広報じゃないんだかわからない状態になる事もある。

情報を受け取る側のみなさんが正しい情報を受け入れるためのちょっとしたTipsを書いておけば良いかと思いました。

医師には専門、非専門がある。

大雑把な専門、例えば私は内科ですが、さらに内科のうちで消化器内科、消化器内科の中でさらにエコーやら内視鏡を駆使した診断が得意、という状態です。

例えば私が輸液や感冒や抗生物質に関して何か書いたとすると、内科であるから大雑把に言えば自分の領域内の事でありますが、まあだいたいEBMに沿った一般的な事しかわからない。

ところが専門領域に入りますと自分の主張というのが入ってきます。EBMを超えた何かを主張したがるというような。

精神科の人がテレビで何か内科の病気について言っている時には私が精神科領域の病気についてコメントしているのとさして変わらないと考えてください。30年前の知識を背景に大きな嘘をつく可能性すらある。

しかし精神科についてコメントしている時にもその人のポジショントークになる、という事です。私が消化器について語るときにはそれはポジショントークです。

したがって皆さんは、発言をしている医師の専門領域は何か、そしてその専門領域内ではどういう主張をしているグループに入っているのか、を知っていれば右往左往することがないだろうと思うのです。(医師という看板を商売にしてマスコミ内で活動しておられる方がそういうポジションを明らかにしないのはマーケティング上の理由で当然のことだと思います)

2014/02/06

食道がんはこう見つかることが多くなってきた

最近はいろいろ進歩しまして、食道がんはこのぐらいの大きさで見つかってもあまり驚かなくなってきましたが、実際には運に左右されているんだろうと思います。
皆さんに神様が微笑んでくださいますように。


私は最初からNBIで食道を見ます。これはNBI発祥の地である柏のがんセンター東病院がそうしておられるからその真似です。効率よい方法だと思います。7年もこの方法で見ているのでいい加減慣れました。これは中部食道で、「IPCLが目立つな」と思った病変です。


なるべく近接してIPCLをよく見ようとしています。これは確定で良いでしょうかね、という印象。


肉眼ではどう見えるのだろう、と思って抜去してきましたが焦りました。シワの中に見事に隠れる病変です。この方は非常に拡張させるのが難しい人で神様が微笑んだんだと思います。神様に感謝してタバコもお酒もやめてくれました。


息を吸ってもらうと現れますが、これ、肉眼でわかるか?と言われると数年前なら「わかる」と言ったかもしれませんがちょっと自信なし。NBIあって良かったな、と思います。


ルゴール撒布しないで高次医療機関に紹介しなさいよ、と怒る声が頭のどこかから聞こえて来つつも、どうも確信したくてルゴールを撒いてしまうという。すみませんすみませんすみません。


神奈川県は名医が多いので紹介先には困らないのです。

簡単に見つかるものではありませんが、これをスクリーニングで見つける機械の設計図は頭の中にあるんですよね。ないのは人望、人脈、実現力。三つのJが自分にはない。笑

2014/02/02

頂点を垣間見ること

医療の頂点を垣間見て、
この辺りが限界、
を知ることは自分の糧になります。

頂点にも色々なベクトルがあります。
エベレストのような山があるわけではなく、
ヒマラヤ山脈のような沢山の頂があり、

しかしそれは量子のように重ねあわせた存在になっている
と考えると良いでしょう。
ですから二つの頂に立つことも出来るのです。

カリスマ峠というのももちろんあって、
ヘリコプターで連れて行ってくれる場合があるかもしれませんが、
頂は頂でしょう。スポンサーがついたり、自分でお金を出さねばヘリコプターのチャーターは無理ですから。手段はどうあれ、大したものです。

ところで
重ね合わせで思い出したのですが、

医療の結果はシュレーディンガーの猫のように、
成功と失敗が重ね合わせの状態で存在しているが
蓋を開けるとどちらかに決定されると
例えるとわかりやすくないですか?

わかりやすくないですね。
私は議論が不得意で、
もともとなんでも重ね合わせの状態だ、
と思ってしまうからでこれは医療者の特徴なんでしょうか。

最適解を求める事は得意ですが、
患者さんの情報が不足していれば
その患者さんにとっての最適解を出すことは出来ません。
一般的な最適解がよろしければ、
本やWebを参考になさるのがよろしいです。

将来、
Webの検索は重ねあわせが出来るようになると思います。
すでにその兆候はあります。

話を戻します。

長所を見つけるのが得意な人がいます。
私もそうです。
人は重ね合わせの状態で存在するのですから、
どの頂に登っているかは意識しないと見えません。
「私はカリスマだ」とか「私は名医だ」とかいう看板は大きくて発見しやすいと
思いますけれども。
その頂点に自分は当然登ることは出来ませんが、
それを垣間見ることは
限界を知ることになり、
自分に過剰な要求をしないですみ、
とても心理的に楽なものですよ。