2024/05/02

口に合わないなと思ったときに

ミニカー好きの1000フォロワーぐらいのアカウントの主が、冷凍食品をお気に召さなかったらしくてTweetしたところ大きく拡散されていました。その表現方法が洒落ていたからです。

口に合わなかった食べ物に関して「貧乏は罪で、それに与えられる罰って感じの味」と表現していらっしゃいました。

このTweetからは「」(ドストエフスキー)という語句が見えますが、「貧乏は罪」という言葉も見えます。実際には「貧乏は罪じゃない」が正しいのですけれど。このコピーは2つのよく知られた概念を組み合わせたことにより人々の目に付きやすかったのかもしれない。意味がわからないけれど言葉は知っている、これは結構重要なポイントな気がする。これがオリジナル表現なのかパクリなのか、をまず判断する必要が本来はあります。しかし1000フォロワー程度のXユーザーはパクりを意図的には行わないのが普通と考え検証作業は割愛してそのまま人工知能への問いかけをはじめます。

そこでClaude3というLLM(大規模言語モデル=人工知能)にこう問いかけます。

不味いものを「「貧乏は罪で、それに与えられる罰って感じの味」と表現した人がいますが、これ元ネタが海外にあるんじゃないですか?英語、フランス語、などで。

すると、以下のような答えです。この答えは全く嘘なのですが、人工知能の法螺吹き能力は高く、勝手に格言など作成し引用してきますのでそれが本当に存在するのか検証作業に時間を要してしまいました。

その表現は、フランス語の格言「La pauvreté n'est pas un vice, mais elle est bien punie(貧しいことは罪ではないが、しかしそれは厳しく罰せられる)」が元ネタだと思われます。 この格言は18世紀のフランスの作家ジャン=ジャック・ルソーに由来するとされています。当時の階級社会においては、貧しい人々が社会的に差別や苦しみを強いられていました。ルソーはこの格言で、貧困そのものは罪ではないが、実際には罰せられているかのように扱われていることを指摘したのです。

嘘なのに説得力があって驚きます。ところが検証中に、”La pauvreté n'est pas un vice,”(英語で”Poverty is not a vice,”、日本語では「貧困は罪ではない」)は、ドストエフスキー「罪と罰」内の台詞にあり、よく引用される一節だとわかりました。この検証作業中に資本論をざっと見直すはめになるなど、意外と勉強になります。

結局元ネタとなるような表現を見つけることは叶わなかったわけですが、なかなか上手な言い回しだなとは思いました。ただ、自分には直接的すぎて使いにくい表現です。ましてやTweetはできない。インテリ落語家が聞いたら喜びそうではあるけれど。以前父から「人様が作ってくれたご飯を不味いと言ってはいけない、このおかずが自分を嫌っていると言いなさい」(父は英語で言っていたけれど)と教えてもらったことを思い出しましたが、そこまで婉曲的ではなくても、自分には合わないなあと表現する方法は考えつくでしょうか。

そこで人工知能に、

ご飯が口に合わない、を表現する方法を、哲学から文学から歴史から、ありとあらゆる知識を使って、20考えてほしいです。 例:「このご飯は貧乏が罪で、それに与えられる罰のような味だ」

とお願いしてみたところ、Claude3やchatGPT4は以下のような例を考えてくれました。短時間でずいぶん結果が得られます。人間が束になっても敵わない感はありますのでお楽しみください。印象的でないものは抜いたので40はありませんが。

  • 「この味は人生の無味さを体現したものだ」:自虐的ですが、自分で作って失敗した場合は使っても良いかもしれない。
  • 「まるで蒸し返された過去の苦い記憶のようだ」:これは単純に良い感じだなと思いました。
  • 「この味は現代社会の病理を表しているのかもしれない」:皮肉めいており、ある種の政治活動をしている人は使いそうな表現ではある。
  • 「食があまりに生産性を重視し、味を疎かにしたツケが回ってきた」:ありがちで陳腐は表現ではあるけれど、時々実際そういう食物はあるかもしれない。
  • 「食の文化的連続性が断たれ、味の伝統が失われた結果」:そこまで伝統にこだわらなくても良いのですが、レシピ通りに作らない人に対する婉曲表現として使える。
  • 「五感に喜びを与えることができない、無機質な食事」:こういうセリフ言いそうなキャラは漫画に出てきそう。
  • 「混沌とした世界の象徴として、味が混乱している」:これも適当に言葉を濁したいときに良いかもしれない。
  • 「過剰な快楽の追求により、本来の味の素晴らしさが見失われた」:言いそうな人がいるかもしれない。
  • 「このご飯は、味覚のディストピアである」:彦麻呂さんであろうか。
  • 「歴史の暗黒面を味わうかのようだ」:そういえばスターウォーズのスピンアウトで孤独のグルメみたいな漫画があっても良い。
  • 「美食の哲学から見れば、これは絶対的な虚無」:全然イミフだけれど面白い。
  • 「存在主義的虚無を盛り付けた皿」:同上
  • 「まるでシシューポスの岩を口の中で転がしているよう」:これ良いんじゃないでしょうか。韓国ドラマに「シーシュポス: The Myth」というのがあって面白かったです。
  • 「誰が食べるかと問われれば、エピクテトスも首を横に振る」:割合有名な哲学者ですが、たぶん誰も語録を読んだことはないので、煙に巻きたいとき使えそうな表現。
  • 「アリストテレスの四原因説では説明がつかない料理」:相当不味いときに使えそうではあります。

さて、独り言ならばともかく、実社会では「不味い」「口に合わない」は大人が軽々しく発する言葉ではありません。

しかし自分の口に合わない可能性のある料理と出会ったときは自分の健康を害する可能性はあり、冷静に対応する必要はありますね。自分の思考方法を思い返してみます。

  1. 自分にとってアレルギーがあるような素材、あるいは受付けない素材であるために今まで親などにより回避されてきたという可能性は考えてまず警戒します。OAS(口腔内アレルギー症候群)のような症状が出ればすぐに対処した方が良い。
  2. 毒などが含まれているかどうかを考えます。自分を含めて周囲の人々の反応は注視します。
  3. 関連しますが調理方法や保存状態が適切かどうかを確認あるいは想像します。生もの、特に肉や魚は充分に加熱されているか、賞味期限の問題が起きる可能性があるかどうか。
  4. 文化的、宗教的な理由で避けるべき食材が含まれていないかをチェックします。本来は事前にチェックされているべきですが。
  5. 味付けや香辛料の強さ、油っこさなど、自分の嗜好に合わないかもしれない点は食べる前に確認したとしてもなお目の前にあるシチュエーションは起きえます。好み以外の理由で避ける必要がない場合は少し食べてみる。
  6. 儀式的な理由あるいは重要なビジネス上の理由がある場合、相手の文化を尊重し、提供された料理を少なくとも一口は口にする態度が求められる場面もあります。
  7. 家族や親しい友人、恩師などの作り手が手間暇をかけて振る舞ってくれた料理であれば、その気持ちを汲みとる配慮が必要で、やはり口にしてみる。
  8. 食糧が極端に不足しているなど飢餓に瀕した状況下は非常事態なので好みは二の次になります。自分もある国を旅行しているときこの状況に陥ったことはあり、安全そうではあるので一生懸命食べました。

結局無理そうだという場合、丁重に遠慮するしかありません。失礼にならないよう気をつけながらも、自分の身は自分で守る必要がありますし、口に合わない理由を相手に伝えるほうがいい場合もあります。

さて、大腸内視鏡検査のときの下剤が口に合わない方がおられるのですが、今まで数回、非常に激しく味に関して抗議された事がありました。よくよく話を聞いてみるとその方には味覚障害があると考えられ、また感情のコントロールに疲れている状況も見受けました。自分の想像外のケースもあるものだと驚いたのでした。口に合わない事が言えない方もおられるので、なるべく目を配るようにはしています。お子さんが食べ物を嫌うときにはアレルギー食材が入っている可能性は考慮する必要は当然ありますし、提供する側にも注意は必要かと思います。