2010/03/16

ひとかき癌

小さな胃癌(5mm以下)を発見することは、内視鏡を行う医師にとって以下のような意味があり、こう思考します。

1) 極めて予後の良い(良く治る)胃癌を発見できたと言うことは、患者さんのメリットになる。
2) しかし治療は100%安全というわけではないので、診断を確実にする必要があり、このため組織検査を行わねばならない。
3) もともと癌組織は胃酸に対して弱いのであるが、組織検査を行ったとき小さな傷をつけるので粘膜防御機構がそこから突破されて胃酸にさらされ、消失したように見えたり、時間がたって復活したように見えたりすることがある。(眼に見えるような潰瘍と言う形態でその消失と復活を繰り返すことは悪性サイクルと呼ばれます)したがって組織検査を行うときには、小さな癌の場合、一時的に消失したように見えることを覚悟せねばならない。(5mm以上であれば見た目での診断はかなり容易であるけれど、5mm以下では拡大内視鏡を駆使しても難しい)
4) 組織検査を行う事でもともとの腫瘍が消える可能性は患者さんは理解しておくべきだし、承知もしておく必要がある。
5) その腫瘍が復活せずに、残った腫瘍もすべて胃酸やその場所に生じた炎症により溶けたり破壊されて消えてしまうことも少なくない。これは「ひと掻きで取れてしまった」という意味で「ひとかき癌」と呼ばれる。小さな癌を見つけることが多い高度な診断・治療を行う病院、医師にとっては日常茶飯事のジレンマとなっている。
6) 組織検査をする前に診断的にEMR(粘膜切除)をすれば良いではないかと言う意見に対しては、そのために生じた合併症を容認するほど日本はともかく「世界の」医療は甘くないと断言しておきます。十分なコンセントがあって日本ではそういう医療が普及しても、世界には絶対に普及はしません。

x) 一度確定診断がついたあと、EMR(ESD)を行い、それで癌組織がない時の方が取り扱いははるかに難しい。違う場所を取ったのではないかと言う疑念は常に付きまとうことになる。したがって、厳密に取った場所がわからない組織検査はそもそも意味がなくなってしまう。内視鏡の記録で粘膜の粘液はすべて洗い流せ、などとうるさく指導したり、組織を取るならば必ず遠景と近景、メルクマールを必ず記録するよう指導するのはすべてこの問題を回避したいがためである。

なぜこのような記事を書かねばならないのか。
当院にはいらっしゃいませんが、患者さんの中には
「癌があったのに、なくなった」
という事実が理解できずに
「医療ミスなのではないか」・・以下の二つの意味があります。
(最初から癌は無いのに騙しただろう)
(別の場所を取ってしまい、まだ癌が残っているのではないか)
とおっしゃる方が少なくないと聞くからです。
医療ミスというのは患者さんに肉体的不利益があった場合に使う言葉ですから、
そもそもそれは医療ミスではありません、と論破するのは簡単なのですが、
私が言いたいのはそういうことではなく、
こういう理由で癌はなくなってしまうのです、安心して下さい。
確かに消えてしまってまた出てくるのではないかと心配になるお気持ちはわかりますが、
あなたに不利益が生じることはないし、またその経過観察のための念入りな検査で、
他の場所に癌が見つかるなど患者さんに利益が生じる事の方が多い。
そもそも背景にはこんな事実がある。人間の身体と言うのは不思議なもので、癌が出来ては消えて行くことも数多い。
今回は自然に消えていく癌をたまたま見つけてしまっただけなのかも知れない。
と言うことを患者さん、またはこの記事を読む人には伝えておきたい、ということです。
心はいつも安らかにありたいものです。

さて癌ではないのですが、カルチノイドという胃では珍しい腫瘍(悪性のようにふるまうこともあり、注意が必要な腫瘍です)など、組織検査をしないと診断が出来ない上に、組織検査をするとかなりの確率で消えてしまうという医者泣かせの腫瘍なのです。私が個人的に経験したものできわめて珍しいものとして、胃のT細胞リンパ腫があります。これも消えてしまいました。

不思議な事はいつも医学とは隣り合わせにあります。
良く考えれば患者さんにとって得になる事であってもそれを
「ミスじゃないか」
と仰る背景にはよほどの医療不信があるのでしょうか。
当院ではそうしたことを仰る方の経験がなく、まことに幸せな事だと感謝しております。

10 件のコメント:

  1. はじめまして。横浜の荒井と申します。
    先生の記事が参考になりました。

    5月に胃カメラ検査を受けました。胃の出口付近に
    5mm程度の腫瘍があるとのことで生検を行ないま
    した。結果は、Group 4 でした。すぐに(約1週間
    後)2回目の胃カメラ検査を行なったところ、結果
    は Group 1 でした。

    1回目は1箇所、2回目は3箇所の生検を行なった
    のに、なぜ2回目はGruop 1 になったのか不思議で
    した。担当の先生は、
    「やる人によって出たり出なかったりすることがあ
    るので、1ヶ月後に もう一度やってみましょう。」
    ということでした。

    少し納得がいかなかったのですが、近々、3回目の
    胃カメラ検査をする予定です。最初に Group 4 と聞
    かされた時は、色々考えて落ち込んでしまったのです
    が、時間がたって落ち着いてきました。次回、
    Group 5 が出ても、内視鏡手術で済むだろうと聞いて
    いるので、覚悟は決めています。

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  2. はじめまして
    この記事が理解の助けになれば幸いです。
    私でしたら時間に余裕があればその間にピロリ菌の除菌を行うだろうと思います。恐らく主治医の先生もそれは考えておられると思います。

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  3. お礼が遅くなりました。
    先生の記事は非常に参考になりました。

    「一度Group4という結果が出たのになぜその後は出ないのか」
    素人考えでは不思議で理解できないことだったのですが、
    十分納得することができて、精神的に楽になりました。

    私のこれまでの経緯です。
    1回目 Gruop4
    2回目(1週間後)Group1
    3回目(約2ヵ月後)Group1
    4回目(約6ヶ月後)Group1

    3回目の生検時には、腫瘍に見えていた部分が少し小さくなって
    いるように見えるとの事でした。腫瘍ではなく、「びらん」に
    近いとの事でした。

    4回目、画像上も変化なし。また、胃炎があるとのことで薬を出して
    もらいました。潰瘍はないので、ピロリ菌の除菌は特には勧めない
    ということでした。6ヶ月後にもう一度生検する予定です。

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  4. 1回目陽性2回目陰性現在3回目の結果待ちです。3回とも胃はきれいでガンはない言われました。エコーも2回しましたが問題なし。問題は1回目の陽性です。まだ結果はわかりませんが、ブログを拝見して勉強になりました。ありがとうございました。

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    1. 匿名様
      不安がおありだったろうと思いますが、是非ポジティブな気持ちで経過観察にのぞんでいただければ、と考えます。

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    2. はじめまして。52歳女性です。
      随分以前の記事にコメントすることお許しください。
      7年前、何気に胃カメラを人生初めて受けたら
      潰瘍がありピロリ菌を除去し再度検査したら

      印肝細胞癌が出ました。手術する気満々で
      大きな病院へ行ったらそこでは何度カメラをしても
      出てきませんでした(フォローは1年半で離れました)

      そしてその3年後気になる症状があったので
      最初のクリニックと違う医院でカメラを受けたところ
      再度出てきました。

      腹腔鏡で幽門側2/3切除 癌の大きさ1・5×3cm

      昨年オペ後3年目にて再度カメラで印肝細胞癌検出。
      オペ病院でカメラ受けるも出てこず。

      その際、初めて検査で取れる
      ”ひとかき癌 ”というフレーズを知りました。

      何度もカメラのフォローを受けるのが嫌で
      (麻酔をしてもかなりオエオエします)
      なくてもいいから、ESDをしてほしいと訴え

      結果、ESDで切除した部分に数ミリ癌細胞は出てきました(胃穿孔というオマケ付でしたが・・)

      何度も出る癌はあまり大したことはないのでしょうか?
      また出るのかな?とか思ってしまいますが
      他の部位も遠隔転移を伴わない癌をおこしてますので

      あまり気にしないようにはしています。

      長々綴ってしまいましたが
      一番最初にカメラを受けたクリニックでは

      ”絶対癌。違うとしたら検体間違え”

      といわれ、オペ予定病院で出なかったら

      ”癌じゃなくてよかったね”
      と言われ、ものすごく納得いかず
      嫌な気持ちを引っ張っていました。

      先生のこちらの記事内容を
      当時認識することが出来たら

      納得できたのに・・という感じです。

      多くの医師(特に胃カメラをする医師)には
      この”ひとかき癌 ”なる存在、名称、見解を
      認識してほしいものです。

      有難うございました。



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    3. 匿名様

      除菌後はさらに難しくて、ひとかき癌以外に表面に再生上皮をかぶる癌が存在します。ですから診断的ESDをしたのは大正解だったのです。私は癌研(日本で一番症例が多いです)にいたからこうして簡単に書きますが、実際には判断は難しいのでその判断を普通の先生に求めるのは酷かもと思います。医師の説明に矛盾がある場合にはハイボリュームセンター(癌研同様に症例数が多い病院はあります)で判断をあおぐのが正解なのかもしれません。

      私のブログも以前は検索上位にあったのですが、宣伝目的ではなく広告もありませんからなかなか見つけるのが難しいのによく見つけましたね。2010年以後、除菌後の胃癌が(癌研などハイボリュームセンターでは)当たり前に見つかる時代になってもまだまだ一般には「除菌後は胃癌にはならないのでしょう?」という専門医が多いのが現状です。私のこうした文章を読んでくださる若き専門医の先生も多いようなので彼らの活躍に期待しています。

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  6. 鵜川先生
    かなり以前の記事のコメントにダメ元で投稿してみましたが
    誠実にお答えいただきありがとうございます!

    今回、昨年2度目の胃がんオペ(1回目は腹腔鏡、2回目はESD)
    を受けましたが主治医が存在しなくなり
    (ESD施術の医師は遠くへ転勤、紹介された医師からは
    何しにきたん?オペ後の胃カメラは受けても受けなくてもよい
    と言われ離れることに)

    ESD後のフォローはしなくてもいいのかな・・
    やらなくてよいなら胃カメラ飲みたくないし・・

    私のように何年も何回も小さい癌が出るのは
    大したことないと耳にしたこともあるし・・

    と考えあぐね、”ひとかき癌”で検索しヒットいたしました。
    ”ひとかき癌”というフレーズだけのことなので
    多くの医師に認識してほしいと思ったのが正直なところです。

    有難うございました。

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    1. 乾様
      異時性異所性再発、と言いますけれど、術後のフォローは重要ですので、ある程度の年齢になるまでは続けて検査をお受けになってください。
      80歳になると「もういいですよね」と卒業する患者さんは当院では多いです。

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