「何か見つかったら困るんです」
と、ひどく怯えた様子の患者さんの言葉に、違和感を覚えた私なのです。
大腸内視鏡以外で「病院に来ることが癌を予防することはほとんどない」からです。見つかったら困るのだったら、単純に考えれば来ないことがベストの選択のはず。
何かを見つけるために来ていて、何かがあったら困るとはこれ如何に。不安感の元は何か。
「恐れ入りますが、本当に何かがあったら困る、何か重いものをあなたが背負い込んでいる場合、どんな症状があろうが手遅れになるまで医者にはいかないという選択肢も私にはあるように思います。しかし現実にはそうなさっておられません。何かあったら困るというのは、恐らくあなたに何かがあったらあなたが世話をなさっている誰かが困るという意味ですね?」
「そうです。みんなが困ります」
「でも、あなたはご自分が大切だからここにいらっしゃったと解釈してよろしいでしょうか」
「症状がありましたから」
「今日は自分を優先し、何かを見つけにいらしたのだから、何かあったら困ると考えてしまうと、矛盾で自分を追い込み、心配が大きくなるだけだからおやめになった方が良いですよ。それとも私に何も見つけるな、という意味で仰ったのではないのでしょう?」
「それは・・・」
「検査を受ける以上、不安はあると思いますが、『自分が大切』を、『他人が大切』にすり替えて心配してしまうことを私は危惧します。すみません、難しすぎますね。不安感を口にしたことはOKです。これは良いことで、どうぞご自身を大切になさって下さい。大切ならばまずやせてくださるとうれしいな、なんて思いますけども」
「体重は気にしてるんですが・・・」
自分に向ける心配よりも、他人に向ける心配の方が大きいことはしばしば経験します。
子供を持てば、子供が病気をしたときの気持ちは小説家には語られたくないなあというほどのものでしょう。
しかし、実際に子供が病気をしているならばともかく、架空の心配を他人に向けてしてしまうことは、心配のインフレーションを起こしますので避けていただきたい。そういうときには患者さんの注意を自分自身に向けていただくように私はいたします。最後に体重の話で落とすのも、私らしいですね。最後にちょっと関係ない話をしますと、和みます。
検査をして何も無いと 不満そうな顔をされることもしばしばあります。
返信削除tadさま
返信削除検査をして何もない事を前提に、いくつかの仮定を最初に患者さんにお話ししておくのが私の特徴です。それが理解されようがされなかろうが。
疑り深い人は、仮説を後出しにすると信用しない場合があるというのがひとつの理由です。ふたつめは、検査の前に「あなたは正常だと思うが」と仮説を建てる事で癌ではないかという心配を患者にさせたくない。
そして検査をして何もなかったときにもう一度、こういう仮説にのっとり、あなたの症状はこうきれいに説明できる。と説明をする。
患者は理由を知りたくて来院しているのであり、何もなくて安心だ、と満足して帰る訳ではないので、なぜその症状が出るに至ったのかの仮説をきれいに説明できるかどうかが重要だと考えます。
「のどのつまる感じ」というエントリーが一番読まれているのですが、検査をしても何もない事を前提に、ひとつの物語を紡ぐように心がけています。
むろん、私では役者不足の事も多くあり、病院の先生方の助けを借りる事もしばしばあり、いつも感謝しております。
何もなさそうな患者さんに対して 何もない仮定を事前にお話されるのですね。
返信削除「のどのつまる感じ」というエントリーの最後に
以上の説明を内視鏡検査のあとに行います。この説明で「のどのつかえがとれる」事を祈っております。
と記されているので
なんでも 事前にムンテラしておくのではないと分かり
納得いたしました。
tadさま
返信削除外来はいつでも手探りで、決まった話し方があるわけではありませんけれど、なるべく患者さんが病院に来なくてすめば良いなと考えています。
事前になぜ検査をする必要があり、どうして心配すべきでないのか話しておいた方が良いケースとして典型的なのは、1)のどの違和感、2)便潜血陽性、3)胃ポリープ、などがあろうかと思います。詳しい話はあとでするにしても、伏線は検査前に張っておいた方がスムーズなように思います。