2008/04/04

ダイナミクス導入まで

平成10年頃、2年間のデトロイトへの遊学を終えて帰って来た私は鵜川医院を手伝う様になりました。そこで、レセコン(医療費を計算するソフト)を操作するはめになりました。当初はリコーの機械で、これは小さなUNIXマシンでした。なかなか良く出来た設計で、技術者の人もコンパクトなデータベースはメンテしやすいと高評価でした。しかし、リコーは撤退。次に導入したのは富士通のレセコンでした。これはこれで、キーボードの代わりにタッチパネルを導入したので初心者の事務員にもわかりやすく、とても良かったです。しかしこの機械も突然サポート終了。

突然というのは営業の伝達ミスで、本当は1年前から決まっていたのだそうです。前々から電子カルテは導入したいと思っていましたので、これ幸いとダイナミクスの連絡先を調べました。

ダイナミクスは以前から松岡先生のホームページが有名でしたから存じ上げていました。そして、レセコンがブラックボックスでは医療のレベルが下がると思っていた私は共感を持っていました。当時はソフテックのサポートも無く、買い方すらわからない状態。でもいつのまにか全国で最大(非公式)のシェアを持つまでに成長しておりました。

実はダイナミクス以外は考えていませんでした。データがオープンかどうかという時点でほとんどのレセコン、電子カルテは脱落しました。ORCAは悪くないとは思いましたが、COBOLを使っている(若いプログラマーがあんまり居ない。銀行の基幹系の遺産?当時ORCAの開発はどこか別のCOBOLでやっていたものの、リリースする時点になってオープンソースのCOBOLに急遽変更するなどのゴタゴタもあった)、プログラムのソースが私向きではなかった(オープンソースのプログラムなのですが、そのソースのコメントがちゃんとしていないから良くわからなかった)、使っている先生方にあんまりプログラミングが得意な先生が(当時は)居なかった、などの理由で避けました。

早速ダイナミクスの試用版を取り寄せてみました。

最初の画面を開いてみました。F2、F3とキーを押す。カルテの表紙、診療、計算、こうした画面切り替えをスクロールというテクニックで実現しているので、超 高速。参りました。コロンブスの卵です。多少プログラミングは出来る私ですがこの発想は出来ない。吉原先生(ダイナミクスを開発なさった先生)は天才だ。でも拡張子が・・・MDE?

MDEというのは、データベースの中身が覗けない拡張子です。MDBが良いなあ。

TEL「あの〜、製品版はMDBですよねえ。じゃないと困るんですけど・・・」

そうしたら30分もしないうちに吉原先生ご自身からTEL

「そりゃ〜、製品版はMDBだけども〜、これは試用版だからの〜」

私直立!「大変失礼いたしました!早速導入させて頂きます!!!」

という事で、1時間後には申込書に判子を押して投函しておりました。




それが平成17年の12月中旬の話。

富士通からもらったデータで、頭書き、病名の移行を完了。外字だとか、ちょっとした困難はありましたけれどもね。

数日間、平行して入力。ばっちり合っていない、、、継続管理加算?なんだこりゃ。

富士通の機械では自動では計算してくれなかったんですね。今まで随分損してました。そういうのも自動で計算してくれるんですか。すごいレセコンですね。

本当は4月から稼働させようと思ったのですが、1月から結局全面的にダイナミクスに切り替えました。だってその方が得ですから。

これで私のダイナミクス人生が始まったのです。