2014/07/27

「必要か」という問い

「その検査(治療)は必要なんですか?」という問いを患者さんが良くするけれど、自分が逆の立場だったらその質問はしない。私は主語のない問いかけは極力しない。


私ならばこう言い換えると思う。「その検査(治療)は私にとってどのように有益なのですか?」と。


「必要」という言葉自体に、物事は神様か何かが決める事、のようなニュアンスを感じてしまうので、検査とか治療などという人生の中では最高に主体的でなければならないライフイベントを神様に決めてもらおうというような感覚には少し違和感を感じてしまう。むろんほとんどの人にはそういう言語感覚はなくて、ただ良く使われている言葉だからという理由でその質問をしているのかもしれないが。


検査(治療)の主体は自分だけれど利己的ではいけない、というのが難しい。なぜならば最も正しい答えの近くにいる医者との合意が必要であるし、自分勝手な判断をすると自分にとって不利益になるだけでなく、社会にとって不利益になる場合があるからだ。


実際には自分での判断は難しいので医師の意見を参考にする場合が多かろうけれど、「その検査(治療)が必要なんですか?」という問いに対する答えは非常に抽象的であるので、理解できない可能性がある。ガイドラインはその面倒な説明を端折るために用意されているけれど、理解を助けるものではない。そしてガイドラインはもともと不信感がある人にとっては意味をなさなかったりする。


観察していると、恐らく小さなトラブルの経験があろうという人が「必要か」という問いをするのは事実で、悲しく思う。トラブルが過去にある、あるいは自分では経験がなくともそういう経験を聞かされている、そういう人々の根には、非積極性がある。その気分を上手にほぐしていく、という稀有な才能をもった医療関係者あるいは一般人の人々がいて、自分は最大の敬意を払っている。

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