何にでも成功する方法と、失敗する方法があります。
失敗する方法をとことん学んでいこうという学問があります。失敗学と言うそうです。
コンピューターの使い方、特にインターネットの危険性を学ぶには、
まずウイルスの作成方法を学ぶと良い、という類の議論があります。
一方でみなさんは成功者がどのようにキャリアを積み重ねてきたかという話も大好きでしょう。自己啓発本は売れていますもの。
でも、どの方法が成功してどれが失敗するかというのは、線引きが難しいと思います。
例えば大腸内視鏡ですけれど、
S状結腸という場所を通過していく時、上手な先生ですとプッシュ(押しこむ)を上手に使ってアルファループという状態を作ります。
ところが下手な先生は同じようにプッシュをしているのに、患者さんがひどく痛がります。
私はプッシュはしないで、細かい動作を繰り返して入れていくのですが少し時間がかかっていると思います。名人と呼ばれる先生方よりも少し平均時間はかかっているのではないかと思います。
でも初心者のやり方と、名人クラスのやり方が似ている、というのは何やら示唆的です。
中くらいの先生方には、プッシュは使いこなせないのかもしれません。
内視鏡のテクニックひとつだけを見ても、学ぶということは大変に難しいことのように思います。
いつからか私は、ロボットならばどうプログラミングして内視鏡をするか、という事を考えるようになりました。
ある方法に良いとか悪いなどの区分けはなるべくせずに、条件分岐をしようとしたのです。
(条件付けが難しくIf文とかCase文では書くことが困難なのです。期待値を計算して最適解となるような条件を選択する、という感じ)
つまり自分がロボットだと想定して、この場合はこう、この場合はこう、と条件をつけてそれに従って操作をすることにしたのです。
こういう事を繰り返していますと、まずは条件づけを作らねばならないために様々な試行錯誤を繰り返すことになります。そのため検査の密度が濃くなり自分にとっては良い事が多いのです。内視鏡の検査をしたときに、私の検査は情報量が多くなるのはこのためです。ところが例外事項がかなり積み上がるのです。いわゆる「ピットフォール」というものです。ロボットは例外が起きた時にエラーを吐き出して止まれば良いのでしょうが、人間の身体が相手ですので簡単に検査をやめるわけにもいきませんし、実際には頑張って上手く行く場合も多い。この「頑張って上手く行く」さえプログラムできれば、人間が要らなくなるわけでして、今は「どのように頑張ったのか、その根拠として利用した知識は何か」を意識して検査をすることにしています。
不毛です。バリエーションがありすぎて、これを教えることは出来るのでしょうか?
きっと先人も同じ努力をしたのだろう。その結果としての名人の手技なのだなあと、思います。
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