2017/09/02

記録とノイズ

患者さんにはなんでも記録しなさい、と言っている。
なんでも、だ。
これはもしかしたら病気と関連しているかもしれない、などという情報は邪魔で、一切のバイアスを入れずに淡々と記録することだ。
何を食べたか、というような写真は悪くない。

それに対して「なんでも記録する事は患者を神経質にするのでは」という批判が考えられる。

自分もその可能性があると思い長年注意深く検証を続けてきた。
しかし「神経質」とは「特定の情報への執着」であって、情報をまんべんなく収集することではない。非常に偏った情報収集の仕方をすることが「神経質」の本質だ。

まんべんなく収集することはそれに相対する概念で、患者をそれ以上神経質にすることはない。むしろ大量の情報を集めてみると実はそれらが因果関係の特定にはほとんど役に立たないということをわかる材料となる。

因果関係がないならば、情報収集は無駄じゃないかって?そうじゃない。

報道や占い師など、まるで物事にすべて因果があるかのように書くことがあるかもしれないけれど、それは嘘で、事象は偶然に左右されることが多いのだ、という事をまず理解することが重要だし、大量の情報収集はそれを勉強するいい機会だ。待って過ぎ去るのを待つことがもっとも期待値の高い対処法だ、というような事は風邪のときの振る舞いの分析などから明らかになる。ノイズがないときには逆におかしい、と気づくことも可能だろう。

また情報のアノマリーが出現したときには、これは普段とは違う、という事を気付けるきっかけになる、しかも高精度にだ。多くの患者さんの「普通」とか「こんなに痛いのははじめて」という表現は、ひどくいい加減で信用が出来ることは少ないが、とてつもなく豊富な情報を持っている人のそれは、信憑性が増すのは当然の事である。

さて人に共感する能力が高い人はこれらの記録が不要なことがあるかもしれない。ありとあらゆる隣人の経験を自分の経験として感じることが出来る彼らは生まれつき多くの記録を脳に有する事になっていて、しなやかな考え方を持っていることが多い。彼らの判断というものは比較的正しいことが多い。

0 件のコメント:

コメントを投稿