簡単に説明するという事は大切なんですが、簡単にしたはずの説明も、その人がちゃんと家事ができないと理解が出来なかったりする。簡単な説明というのは生活に直結させて行うことが多いからです。
「今浮腫んでいるのは貧血のせいですよ」
「ああそうなんですか」
で終わっちゃう人が多いです。これは物事の仕組みをあまり考えようとしない人だし、浮腫があると全部貧血だと思う場合があります。こういう反応は私は望んではいない。
「今浮腫んでいるのは貧血のせいですよ」
「?」
となる人は筋があって、どうしてか考えている人です。そういう人にはこんな喩え話をする。
「血液が通っている血管って、メッシュなんです。布みたいな。濃いシチューと薄いシチューがあって、布で濾してみるとどっちが簡単に水が滲み出てきます?」
「薄いシチュー」
「そう、サラサラしている方が水が外に出てくる。同様に貧血のほうが血管から水が滲み出てくるから浮腫みやすいとうい原理」
「サラサラとドロドロだとサラサラが良いように思いますけれどね」
「程度問題ですよね」
みたいな話題は料理を知らない人にしても通じないのです。ちょっと凝った料理を作ったことがあれば雰囲気は掴みやすいはずなのですが。
同様に腸内細菌叢の話も、パンだとかの発酵を知らない人に説明してもまるで理解は出来ない。
自分の子供に限らず、子供は手伝いをすべきだと思いますが、衣食住にかかわる事柄は人類の大事な共通言語の一つだと考えます。言葉だけが共通でもしょうがない。生きるための知恵が共有されていると医療のような場では極めて有用です。
家のお手伝いには共通言語を育むという効用がありますのでそれが出来る子が強いというのは当然の事のように思います。
(この記事を書く背景には「デザイン言語」という授業を大学で聞いた経験があります)
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