2011/05/25

元型を探す旅

坂井直樹さんが教授をされている慶応大学政策・メディア研究科で講義をさせていただく機会があり大変光栄に思っています。
非常勤講師という肩書きはいくつかあるのですが医学部ではマン・ツー・マンか、少人数の講義です。研究会で30人ほどの学生に対して講義を行う機会をいただく事はまた価値あるもので身が引き締まる思いです。3年前にも講義をしましたが、その時には理解出来なかった事がわかることがあるのがまたうれしいものです。

坂井直樹さんが主催する研究会で学生はプロダクトデザインなどを学んでいます。3年前に私は講師として呼ばれ、話した内容は「五十音とテンキー」というものでした。
今はスマートホンに押されて片隅に追いやられつつある通常のケータイですが、日本語はきわめてテンキー入力にマッチしやすい文字(仮名)を所有しており、その五十音がどこから発生してきたのかを、主に馬淵和夫さんの本を引きつつ解説しました。

①五十音が制定されたのは明治になってからである。
②それ以前には、大和言葉をどのように表音文字で表現すれば良いのか、あるいは中国語の音を表現するための発音記号として、様々な仮名の並べ方が試行錯誤されていた。
③しかし、縦方向に母音、横方向に子音という並べ方はほぼ不動。それはなぜか。
④まず母音があるらしい事が奈良時代に発見され、そして子音があるらしい事がその後発見されたようである。<縦と横の五十音図の原型が誕生>
⑤起源はサンスクリット語にあって、子音の並べ方(あかさたな)はその法則にのっとっている。
⑥さて、ここからは私の解釈だけれど「いろは歌」がそれと相前後して歴史に登場。そして神が与えたとしか思えないこの歌が、明治の五十音図制定まで日本のかな文字の変化を拒み続けた。(発生はしたが必ず淘汰され消えていった)

五十音図という不思議な碁盤の目は、縦方向・横方向の発見と、いろは歌によって決定づけられた。

という話をしました。
不思議な5x10の碁盤の目がテンキーのキー数とマッチして日本のケータイ文化隆盛を決定づけたであろう。そして同じような言語構造を持っている韓国とフィンランドは共にケータイ分化のトップランナーであるというシンクロニシティ。

私はひょんな事からこの話をする事になりました。その時には坂井さんの意図はわからず夢中で話しましたけれど、今回この講義の意味を知ることとなりました。

ものをデザインするときには、デザイナーの中に「元型」(アーキタイプ)があるという講義を今回拝聴しました。

テンキーは一種のアノニマスデザインだと思いますが、(ケータイのそれとPCのそれは逆方向であるにせよ)日本に素直に受け入れられたケータイのデザインの元型を探す旅がこの講義であったのだろうと。

学生さんは今回は別のテーマで勉強していますけれど、今回も同様に私の役割は「元型」を提示し学生さんに理解していただく助けをする事なのだろうと思いました。今更気付きまして、たいへん申し訳ありませんでした。あと2回の講義がありますので頑張ります。

ちなみに私の思考の元型は「あきらめ」であって、九鬼周造著「いきの構造」の影響を強く受けています。

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