2014/04/15

「検査しなきゃいけないんですか」

という質問は良い質問だと思う。



ただ、自分は他の人よりも考えるパラメーターが多すぎるタイプなので、ちゃんと話すと100%患者さんは理解が出来ませんので大雑把に書いておこうと思いました。



一人当たりの医療費を最小限に、時間も最小限(待ち時間が長いのも計算に入れてます)に、かつ効果を最大限に、自分のもうけは最小に、患者の損も最小に、藪医者と代替医療に流れるお金は最小にという複雑な計算をして、そこにエッセンスとして、「自分は検査が面倒くさいからなるべくやりたくない」を加えて、最後に「○の時期にこの検査をしたらどうですか?」と言うわけです。他で無駄な医療を受けまくっている患者の場合にはこちらは介入を極力避ける。

検査の質は高くしようというポリシーが根底にあるわけですが、非常に自分は疲れるからむしろ他の病院に行ってくれるとありがたいな、という気分が背景にあります。だって医師のレベルはどこに行っても一緒のはずだし自分がやらねばならないという事はないんですから。考えるパラメーターがいくら多くて複雑でも、出る結論というのはそれほど変わらないってのは身をもって体験していますから、そんなに価値のあるものではないんです。

あとは患者さんがその「検査を受けたいかどうか」の気持ちをトッピングしてくだされば完成。



しかし患者さんの気持ちは良くわかるんですよね。

患者さんの中には、医者が「是非やらせてくれ」と下手に出るか、「絶対にやらなきゃだめだから」と命令されるか、どっちかでないと決定が出来ない人々がいますから。自分は下手に出るのも、高圧的になることも出来ない人間ですが、そこは折れてなんとか説得します。時間がもったいないなと思いつつ、です。

どちらにせよ自分で決定するのに躊躇するのでしょう。その苦手の背景というのは人それぞれなんでしょうけれど、過去に自分が「検査しなさい」「はい、癌がありました」という経験をしている方がいるので申し訳ないなと思います。私自身は「当たる」という経験は、偶然でしかない感覚ではあるのですが、患者さん本人からすると「当てられた」が100%になってしまうから怖いんだろうと思います。そういう人は私が「検査」というと、「また何かあるんだ」と恐れおののいてしまう。そうじゃないのですが。

むしろこちらの事はコンピューター(アキネーターほど当たりませんが)か何かだと思っていただいて受診していただいた方が良いのではないかな、と思います。特に怖がる必要はありません。



で、結論を申し上げれば、「検査しなきゃいけないんですか」という質問は良い質問だけれど、いささか棘がある言い方で、相手によっては怒り出してしまうかもしれない。しかしその質問に対する答え方で医師のその時の気分だとか、哲学だとか、そういうものがわかってしまうという怖い質問だと言えるのです。

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