例えば「胃腸が弱い事」と「患者さんの困り具合」とは相関関係があるのでしょうか。
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「私、胃腸が弱くて」と患者さんから訴えがあったとき、幾つかの対応が考えられます。
むろんどのような症状から患者さんがそう感じているのだろうか、と考えることは重要です。
でも「胃腸が弱い事」で困っていない人は案外多いわけでして。
油っこいもの食べると下痢をしてしまう、とか、ストレスで軟便になる、とか、彼等なりに良く分かっていて、悩んでもいないし対処もできている場合がある。それなのに「症状を治そう」と医師がやっきになっても彼らの同意は得られません。単に彼等の予想の通り器質的な病気がない事さえ証明すれば満足する事も多いのです。
むろん困っている人もおります。
そういう方は「太れない」だとか「食欲が無い」などの悩みがあって、それは「器質的な病気があるのだろう。例えばピロリ菌がいる」事を期待すらしている場合があります。そしてその原因を取り除けば自分の悩みが晴れるだろうと思っているのです。
しかし私が「ピロリ菌もいないきれいな胃でした」と言いますと落胆した顔を見せたりするのです。お気持ちは良くわかります。
胃腸が弱いままの方がいい方もおられます。胃腸が弱い自分を気に入っている場合がある。
そういうアイデンティティを崩してもいけません。
「胃腸が弱い」という言葉そのものが曖昧です。患者さんによりその捉え方が違うので、もう少し細かく聞く必要があります。私は胃が弱い、私は腸が弱い、と区別する方もおられます。
「胃腸が弱い」に関しては「困り度」の他に、「痛くなりやすさ」「便のやわらかさ・下痢のしやすさ」「食べられる量」「胃腸炎へのかかりやすいさ」「お薬の副作用の出やすさ」など多くのベクトルで語ることが可能です。
しかし患者さんがどこまでの解決を望むかは重要で、またこちらの限界を理解していただくのも重要ですからまずは医師と患者の意見のすり合わせは「どのように、困っているのでしょう」「あなたが設定しているゴールは何なのでしょう」と聞くことから始まります。
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