前から思っていたことですが、医療事故につながる可能性のある事象(有害にせよ無害にせよ)の報告が大変増えているのですが非常にtime consuming(時間を食う)なのが問題です。とにかく記録を残さねばという気持ちはわからないではないのですが、細かく分析され得ない報告書であれば意味のない事ではないかと思います。
そして役に立たないので「全体の件数」が報告されて比較されるという愚かさ。
電子的にインシデントレポートを書くことは少しでも解析しやすいようにとの発想でありましょう。
ところがそれでも提出率はそれほど高くないと言います。
ジョンス・ホプキンス(アメリカの超有名病院です)に、こんな報告がありました。
医師や看護師が報告書を書く率が低いのは、「忙しい」「報告書の書き方が複雑」ではなくて、「同僚に迷惑がかかる」「同僚の手前恥ずかしいから」という理由が多いというのです。(「懲罰を恐れて」ではないようです)ドライだと思っていた米国ですらそうならば、日本はどうなのか。(日本では「懲罰を恐れて」「噂が怖い」などが入りそうな気がします)
一定の確率で生じる治療の合併症の場合にはむしろ合併症の背景を検索すべきですから患者のすべてのデータが添付されるべきです。ところが実際のインシデントレポートはそのような書式にはなっておらず、サマライズして書くことになっている。これでは失敗から学ぶ事など出来ません。
インシデントレポートは本来、失敗、ないしは失敗ではないけれども予想される危険な状態をどう避けるかを学ぶという意味があるはずですが、誰かの主観で書かれた場合にはむしろ意味をなさないと思うのは私だけでしょうか。
インシデントレポートが電子レポートであるべき理由は、その背景がすべて添付でき、分析できる事に尽きます。事後の解析が詳細に行える。従って、このようなレポートはコンピューターで生成され自動で報告されるべきだと思います。
今のインシデントレポートでもう一つ不可解なのは、「偶然上手くいった」を評価していないことです。
どうして私が沢山癌を見つけるのか。それは偶然上手くいった、から学んで必然にしていくことにあります。内視鏡に鎮静剤を使うのも、そのためにたまたま喉頭癌や噴門部癌を見つけることが出来たという偶然を重要視したからで、決して患者さんが楽に出来るように、というだけではありません。
インシデントには良い意味もあると考えており、ヒヤリ・ハットと言った訳語は嫌いですから今回は使いませんでした。
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