胃潰瘍は、ピロリ菌を除菌すると完全治癒します。(←これ大切!)
ピロリ菌の除菌に失敗すると完全治癒はしません。
内視鏡で見ると、完全治癒かどうかはすぐにわかります。
除菌に成功したと検査で判定されても潰瘍が完全治癒しない場合、
癌ではないか、と疑い再検査、再検査を行う場合があります。
患者さんを心配させてはならないと思い、私が3ヶ月とか6ヶ月後に検査をするのは極めて稀ですけれど、なるべくやわらかく説明して繰り返し検査を受けていただきます。
ひょっとしたら除菌に成功していないのかもしれない、と別の検査を行うと陽性で逆に安心したりします。その場合は再除菌を行います。
こうした経過で患者さんと会話していると、とても嫌な気持ちになることがしばしばあります。
不安そうな患者さんの様子が気になり聞いてみると、
「そんなに検査してるなんて、おまえ癌じゃないの?」
「癌になりやすいんだよ、おまえ」
そういう事を本当に言う友人・知人がかなりいるそうです。
そして患者さんは傷ついているのです。
以前から繰り返して言っていますが、
例えば友人を心配して病院に行かせたいと思ったとしても、
「おまえきっと癌だから」などの脅しを使ってはなりません。
「おれがおまえを連れて行くから一緒に行こうよ」と付き添うのが友情です。
あなたが愛する友人に、「癌なんじゃないの」と言われたらうれしいですか?
いつからこんな風潮になってしまったのか、とやり切れなくなります。
テレビがあなたを脅かすかも知れません。テレビがあなたの外来についてきてくれるんですか?
健康食品屋や保険屋があなたの外来についてきてくれるんでしょうか。
もちろん脅かす彼らが悪いのですが、あなたはそれを鵜呑みにして傷ついてはいけません。
心ない一言を浴びせかけられても、あなたは気にしないで良いと思います。
あなたのことを心配しているわけではない人々の一言は軽い。
患者さん、つまりあなたの事を一番心配しているのは誰でしょう。
二番目は医者ですよ、ちなみに。
2011/10/29
医者の様子を観察してみて下さい
あなたが患者さんだと仮定しましょう。
まず椅子に座ったらきっと「どうなさいましたか?」などと聞かれるでしょう。その時にあなたはあなたの症状を仰って下さい。症状がない場合、それは今回のエントリーでは扱いませんからブラウザを閉じて下さい。
症状の伝え方ですけれど、現在から過去にさかのぼっていくのも良い方法です。過去から現在に、と話しますと因果関係をあなたがデザインすることになってしまいます。しかし現在から過去にさかのぼって話しますと比較的あなたの主観が入らないのです。
という風に。
もちろんあなたのストーリーを時系列に沿って話しても構いません。ただ、あらかじめ考えていないときには、さかのぼって行く方が恐らく間違いは少ないだろうと思います。
医師はあなたのお話しにいくつか質問をするでしょう。「それは背中に突き通すような強い痛みなんですか?」とか「水は飲んで見ましたか?飲んだらどう感じましたか?」とか「運動をしたときに増悪しますか?」などです。
あなたはなるべく正確に話して下さい。次は医師の番です。
手練れの医師はこの段階であなたを安心させようとするか、あるいは緊急で動くべきかをすでに判断しています。緊急で動くべき場合、医師のてきぱきとした指示に従って下さい。身を任せて下さい。そうでない場合、診察をしている間の医師の様子を良く観察してみて下さい。
それは医師が、「どういう病気をまず考えているのかな?」という事をあなたが探るためです。
あなたは色々な症状から、インターネットなどからも情報を得て、「これが心配だ」というような病気が心の中にあるのだろうと思います。医師はあなたのお話しから一生懸命考えて、まず第一にこれを考えるべき、第二にこれを考えるべき、とやはり心の中にリストアップしています。
果たしてあなたの気持ちと医師の気持ちは同じなのかな?という事を観察して欲しいのです。
診察が終わって、これからこういう検査が必要でしょうと医師があなたに説明する際には医師が考慮した病気を順番に話してくれると思います。
それがあなたの心配しているものにかすりもしない場合、あなたの考えている疾患は極めて稀なものです。そして医師は「稀であっても見逃してはならない」というサインについては良くわかっていますから、あなたの考えを遠慮無く仰ると良いでしょう。あるいはあなたが心配しているのがどういう病気なのか聞いてくれると思います。
ここまでコミュニケーションできれば上出来だと思います。
余計な心配をしないための一つの方法を書きました。
まず椅子に座ったらきっと「どうなさいましたか?」などと聞かれるでしょう。その時にあなたはあなたの症状を仰って下さい。症状がない場合、それは今回のエントリーでは扱いませんからブラウザを閉じて下さい。
症状の伝え方ですけれど、現在から過去にさかのぼっていくのも良い方法です。過去から現在に、と話しますと因果関係をあなたがデザインすることになってしまいます。しかし現在から過去にさかのぼって話しますと比較的あなたの主観が入らないのです。
今は比較的良くなっているのですが、数時間前まで胸の中央部が強く痛みました。痛みは昨日からですが、自分では心当たりのある食べものやきっかけはありません。
という風に。
もちろんあなたのストーリーを時系列に沿って話しても構いません。ただ、あらかじめ考えていないときには、さかのぼって行く方が恐らく間違いは少ないだろうと思います。
医師はあなたのお話しにいくつか質問をするでしょう。「それは背中に突き通すような強い痛みなんですか?」とか「水は飲んで見ましたか?飲んだらどう感じましたか?」とか「運動をしたときに増悪しますか?」などです。
あなたはなるべく正確に話して下さい。次は医師の番です。
手練れの医師はこの段階であなたを安心させようとするか、あるいは緊急で動くべきかをすでに判断しています。緊急で動くべき場合、医師のてきぱきとした指示に従って下さい。身を任せて下さい。そうでない場合、診察をしている間の医師の様子を良く観察してみて下さい。
それは医師が、「どういう病気をまず考えているのかな?」という事をあなたが探るためです。
あなたは色々な症状から、インターネットなどからも情報を得て、「これが心配だ」というような病気が心の中にあるのだろうと思います。医師はあなたのお話しから一生懸命考えて、まず第一にこれを考えるべき、第二にこれを考えるべき、とやはり心の中にリストアップしています。
果たしてあなたの気持ちと医師の気持ちは同じなのかな?という事を観察して欲しいのです。
診察が終わって、これからこういう検査が必要でしょうと医師があなたに説明する際には医師が考慮した病気を順番に話してくれると思います。
それがあなたの心配しているものにかすりもしない場合、あなたの考えている疾患は極めて稀なものです。そして医師は「稀であっても見逃してはならない」というサインについては良くわかっていますから、あなたの考えを遠慮無く仰ると良いでしょう。あるいはあなたが心配しているのがどういう病気なのか聞いてくれると思います。
ここまでコミュニケーションできれば上出来だと思います。
余計な心配をしないための一つの方法を書きました。
2011/10/22
胃腸が弱い人
「胃腸が弱い」と一言で言っても色々なベクトルで語ることが可能でしょう。
例えば「胃腸が弱い事」と「患者さんの困り具合」とは相関関係があるのでしょうか。
「私、胃腸が弱くて」と患者さんから訴えがあったとき、幾つかの対応が考えられます。
むろんどのような症状から患者さんがそう感じているのだろうか、と考えることは重要です。
でも「胃腸が弱い事」で困っていない人は案外多いわけでして。
油っこいもの食べると下痢をしてしまう、とか、ストレスで軟便になる、とか、彼等なりに良く分かっていて、悩んでもいないし対処もできている場合がある。それなのに「症状を治そう」と医師がやっきになっても彼らの同意は得られません。単に彼等の予想の通り器質的な病気がない事さえ証明すれば満足する事も多いのです。
むろん困っている人もおります。
そういう方は「太れない」だとか「食欲が無い」などの悩みがあって、それは「器質的な病気があるのだろう。例えばピロリ菌がいる」事を期待すらしている場合があります。そしてその原因を取り除けば自分の悩みが晴れるだろうと思っているのです。
しかし私が「ピロリ菌もいないきれいな胃でした」と言いますと落胆した顔を見せたりするのです。お気持ちは良くわかります。
胃腸が弱いままの方がいい方もおられます。胃腸が弱い自分を気に入っている場合がある。
そういうアイデンティティを崩してもいけません。
「胃腸が弱い」という言葉そのものが曖昧です。患者さんによりその捉え方が違うので、もう少し細かく聞く必要があります。私は胃が弱い、私は腸が弱い、と区別する方もおられます。
「胃腸が弱い」に関しては「困り度」の他に、「痛くなりやすさ」「便のやわらかさ・下痢のしやすさ」「食べられる量」「胃腸炎へのかかりやすいさ」「お薬の副作用の出やすさ」など多くのベクトルで語ることが可能です。
しかし患者さんがどこまでの解決を望むかは重要で、またこちらの限界を理解していただくのも重要ですからまずは医師と患者の意見のすり合わせは「どのように、困っているのでしょう」「あなたが設定しているゴールは何なのでしょう」と聞くことから始まります。
例えば「胃腸が弱い事」と「患者さんの困り具合」とは相関関係があるのでしょうか。
この画像はサンプルです。 |
「私、胃腸が弱くて」と患者さんから訴えがあったとき、幾つかの対応が考えられます。
むろんどのような症状から患者さんがそう感じているのだろうか、と考えることは重要です。
でも「胃腸が弱い事」で困っていない人は案外多いわけでして。
油っこいもの食べると下痢をしてしまう、とか、ストレスで軟便になる、とか、彼等なりに良く分かっていて、悩んでもいないし対処もできている場合がある。それなのに「症状を治そう」と医師がやっきになっても彼らの同意は得られません。単に彼等の予想の通り器質的な病気がない事さえ証明すれば満足する事も多いのです。
むろん困っている人もおります。
そういう方は「太れない」だとか「食欲が無い」などの悩みがあって、それは「器質的な病気があるのだろう。例えばピロリ菌がいる」事を期待すらしている場合があります。そしてその原因を取り除けば自分の悩みが晴れるだろうと思っているのです。
しかし私が「ピロリ菌もいないきれいな胃でした」と言いますと落胆した顔を見せたりするのです。お気持ちは良くわかります。
胃腸が弱いままの方がいい方もおられます。胃腸が弱い自分を気に入っている場合がある。
そういうアイデンティティを崩してもいけません。
「胃腸が弱い」という言葉そのものが曖昧です。患者さんによりその捉え方が違うので、もう少し細かく聞く必要があります。私は胃が弱い、私は腸が弱い、と区別する方もおられます。
「胃腸が弱い」に関しては「困り度」の他に、「痛くなりやすさ」「便のやわらかさ・下痢のしやすさ」「食べられる量」「胃腸炎へのかかりやすいさ」「お薬の副作用の出やすさ」など多くのベクトルで語ることが可能です。
しかし患者さんがどこまでの解決を望むかは重要で、またこちらの限界を理解していただくのも重要ですからまずは医師と患者の意見のすり合わせは「どのように、困っているのでしょう」「あなたが設定しているゴールは何なのでしょう」と聞くことから始まります。
2011/10/19
インシデントレポートこそ自動報告に出来ないか
前から思っていたことですが、医療事故につながる可能性のある事象(有害にせよ無害にせよ)の報告が大変増えているのですが非常にtime consuming(時間を食う)なのが問題です。とにかく記録を残さねばという気持ちはわからないではないのですが、細かく分析され得ない報告書であれば意味のない事ではないかと思います。
そして役に立たないので「全体の件数」が報告されて比較されるという愚かさ。
電子的にインシデントレポートを書くことは少しでも解析しやすいようにとの発想でありましょう。
ところがそれでも提出率はそれほど高くないと言います。
ジョンス・ホプキンス(アメリカの超有名病院です)に、こんな報告がありました。
医師や看護師が報告書を書く率が低いのは、「忙しい」「報告書の書き方が複雑」ではなくて、「同僚に迷惑がかかる」「同僚の手前恥ずかしいから」という理由が多いというのです。(「懲罰を恐れて」ではないようです)ドライだと思っていた米国ですらそうならば、日本はどうなのか。(日本では「懲罰を恐れて」「噂が怖い」などが入りそうな気がします)
一定の確率で生じる治療の合併症の場合にはむしろ合併症の背景を検索すべきですから患者のすべてのデータが添付されるべきです。ところが実際のインシデントレポートはそのような書式にはなっておらず、サマライズして書くことになっている。これでは失敗から学ぶ事など出来ません。
インシデントレポートは本来、失敗、ないしは失敗ではないけれども予想される危険な状態をどう避けるかを学ぶという意味があるはずですが、誰かの主観で書かれた場合にはむしろ意味をなさないと思うのは私だけでしょうか。
インシデントレポートが電子レポートであるべき理由は、その背景がすべて添付でき、分析できる事に尽きます。事後の解析が詳細に行える。従って、このようなレポートはコンピューターで生成され自動で報告されるべきだと思います。
今のインシデントレポートでもう一つ不可解なのは、「偶然上手くいった」を評価していないことです。
どうして私が沢山癌を見つけるのか。それは偶然上手くいった、から学んで必然にしていくことにあります。内視鏡に鎮静剤を使うのも、そのためにたまたま喉頭癌や噴門部癌を見つけることが出来たという偶然を重要視したからで、決して患者さんが楽に出来るように、というだけではありません。
インシデントには良い意味もあると考えており、ヒヤリ・ハットと言った訳語は嫌いですから今回は使いませんでした。
そして役に立たないので「全体の件数」が報告されて比較されるという愚かさ。
電子的にインシデントレポートを書くことは少しでも解析しやすいようにとの発想でありましょう。
ところがそれでも提出率はそれほど高くないと言います。
ジョンス・ホプキンス(アメリカの超有名病院です)に、こんな報告がありました。
医師や看護師が報告書を書く率が低いのは、「忙しい」「報告書の書き方が複雑」ではなくて、「同僚に迷惑がかかる」「同僚の手前恥ずかしいから」という理由が多いというのです。(「懲罰を恐れて」ではないようです)ドライだと思っていた米国ですらそうならば、日本はどうなのか。(日本では「懲罰を恐れて」「噂が怖い」などが入りそうな気がします)
一定の確率で生じる治療の合併症の場合にはむしろ合併症の背景を検索すべきですから患者のすべてのデータが添付されるべきです。ところが実際のインシデントレポートはそのような書式にはなっておらず、サマライズして書くことになっている。これでは失敗から学ぶ事など出来ません。
インシデントレポートは本来、失敗、ないしは失敗ではないけれども予想される危険な状態をどう避けるかを学ぶという意味があるはずですが、誰かの主観で書かれた場合にはむしろ意味をなさないと思うのは私だけでしょうか。
インシデントレポートが電子レポートであるべき理由は、その背景がすべて添付でき、分析できる事に尽きます。事後の解析が詳細に行える。従って、このようなレポートはコンピューターで生成され自動で報告されるべきだと思います。
今のインシデントレポートでもう一つ不可解なのは、「偶然上手くいった」を評価していないことです。
どうして私が沢山癌を見つけるのか。それは偶然上手くいった、から学んで必然にしていくことにあります。内視鏡に鎮静剤を使うのも、そのためにたまたま喉頭癌や噴門部癌を見つけることが出来たという偶然を重要視したからで、決して患者さんが楽に出来るように、というだけではありません。
インシデントには良い意味もあると考えており、ヒヤリ・ハットと言った訳語は嫌いですから今回は使いませんでした。
2011/10/08
変化していく常識
胃底腺ポリープ(FGP)の説明をしても納得しない素人さんは放っておく事にしています。
FGPを持つ当事者は必死で我々の説明を理解しようとし、最後にはなんとか理解して安堵するのですが、FGPを持たない家族がFGPを持つ家族に関して説明を受けているときの一種の冷たさ(「とかいってやっぱりFGPも癌になるんでしょ」的なはなから理解しようとしていない態度)を神様が見ると、私が当事者を安心させようと必死に説明している姿が極めて滑稽に見えるだろうと思います。
思う事は二つ。
家族の病気に関する説明こそ、自分の偏見を捨てて聞いて下さい。
FGPは絶対癌にならないし、FGPがある胃は癌になりにくい。検診の診断をしている先生方は肝に銘じて下さい。
さて、ピロリ菌がいない、萎縮がC-1の胃粘膜を持つ女性の6割では簡単にFGPが見つかり、インジゴカルミンを散布すればさらに小さなFGPの芽が見つかります。
すると私の興味はFGPから次へと移ります。すなわち、
「萎縮もない、ピロリ菌もいない、それなのにFGPがないって、どういうこと?」
と。FGPが無いことの方が、普通ではないのです。
例えば今日、久々にそういう胃を見たのですが、なかなか解釈が難しいです。
FGPが無いと言うことは、
1)胃酸分泌が萎縮がないにもかかわらず、少ないのだろう。
2)もしかしたらガストリンのレベルが低いのだろう。
3)女性ホルモンの分泌量が少ないのかも知れない。
4)あるいはすべて。
を考えます。
従って、
A)逆流性食道炎のような所見は少ないのではないか。
B)十二指腸の異所性胃粘膜も目立たないのではないか。
C)前庭部胃炎がNSAIDSなどで起きてはいないか。
D)月経は正常か。
などを考慮しつつ問診や検査を進めていきます。
ところが主訴は、「のどの違和感」だったのです。
従って、酸の逆流がのどの違和感の原因ではない、と考えて患者さんには説明していきます。
(酸ではない胃内容物の逆流という可能性はある)
FGPの有無もこうして日常診療では重要な所見として役立ちます。
無意味な内視鏡所見など、ただひとつもない。
FGPを持つ当事者は必死で我々の説明を理解しようとし、最後にはなんとか理解して安堵するのですが、FGPを持たない家族がFGPを持つ家族に関して説明を受けているときの一種の冷たさ(「とかいってやっぱりFGPも癌になるんでしょ」的なはなから理解しようとしていない態度)を神様が見ると、私が当事者を安心させようと必死に説明している姿が極めて滑稽に見えるだろうと思います。
思う事は二つ。
家族の病気に関する説明こそ、自分の偏見を捨てて聞いて下さい。
FGPは絶対癌にならないし、FGPがある胃は癌になりにくい。検診の診断をしている先生方は肝に銘じて下さい。
さて、ピロリ菌がいない、萎縮がC-1の胃粘膜を持つ女性の6割では簡単にFGPが見つかり、インジゴカルミンを散布すればさらに小さなFGPの芽が見つかります。
すると私の興味はFGPから次へと移ります。すなわち、
「萎縮もない、ピロリ菌もいない、それなのにFGPがないって、どういうこと?」
と。FGPが無いことの方が、普通ではないのです。
例えば今日、久々にそういう胃を見たのですが、なかなか解釈が難しいです。
FGPが無いと言うことは、
1)胃酸分泌が萎縮がないにもかかわらず、少ないのだろう。
2)もしかしたらガストリンのレベルが低いのだろう。
3)女性ホルモンの分泌量が少ないのかも知れない。
4)あるいはすべて。
を考えます。
従って、
A)逆流性食道炎のような所見は少ないのではないか。
B)十二指腸の異所性胃粘膜も目立たないのではないか。
C)前庭部胃炎がNSAIDSなどで起きてはいないか。
D)月経は正常か。
などを考慮しつつ問診や検査を進めていきます。
食道胃接合部を見ると粘膜の色調変化がほとんどありませんのでA)の仮説は正しそうです。 |
十二指腸球部にも発赤はまるでなく、B)の仮説も正しそうです。 |
胃底腺と前庭腺の境界部は・・・どうでしょう。きれいに見えます。 ただし、NSAIDSを良く飲む方なので前庭部に胃炎をしょっちゅう起こし ガストリンレベルが低い可能性はあると考えました。 |
従って、酸の逆流がのどの違和感の原因ではない、と考えて患者さんには説明していきます。
(酸ではない胃内容物の逆流という可能性はある)
FGPの有無もこうして日常診療では重要な所見として役立ちます。
無意味な内視鏡所見など、ただひとつもない。
2011/10/04
民間療法とか代替医療
お尻の拭き方だとか、風邪の予防だとか、その他もろもろの事。
真面目に考えていたのはやはりアメリカ留学中の事でした。
アメリカには2年留学。
さあ、絶対にその間には医者には行けないぞ、歯医者には行けないぞ、の覚悟で臨みました。
(むろん自分以外を連れていくのはいいのです。でも自分は絶対に行きたくはなかった)
アメリカ留学前には歯を突貫工事で全部治す。(無理を聞いていただいた松尾先生本当にありがとうございました)
身体の方もチェックアップする。
あとは、生活習慣病と感染症にさえかからなければ良い。それなら自分でケアできます。
本当に必死だから、中途半端な思いつきは却下です。そうして私は自分なりのやり方を獲得して行きました。
その知識は日本に帰っても役立ちます。育児本や育児番組もアメリカのは「必死」な経験の中から出てきた知識が多くて案外役立ちました。
日本みたいに簡単に病院にアプローチできたらどうでしょうか。
誰も必死じゃあないですよ。
だから民間療法とか代替医療とかが育つ基盤はないと言って良い。お金の問題を除けば。
和漢が生まれた昔はやっぱり「必死」だったんだろうと思いますから、それなりに説得力がある。
しかし現在の日本における民間療法とか代替医療に関しては、大方は知恵が足りないと感じています。
たまに「へ~」って思うことがあるので、どうぞまた外来で教えてくださいね。
真面目に考えていたのはやはりアメリカ留学中の事でした。
アメリカには2年留学。
さあ、絶対にその間には医者には行けないぞ、歯医者には行けないぞ、の覚悟で臨みました。
(むろん自分以外を連れていくのはいいのです。でも自分は絶対に行きたくはなかった)
アメリカ留学前には歯を突貫工事で全部治す。(無理を聞いていただいた松尾先生本当にありがとうございました)
身体の方もチェックアップする。
あとは、生活習慣病と感染症にさえかからなければ良い。それなら自分でケアできます。
本当に必死だから、中途半端な思いつきは却下です。そうして私は自分なりのやり方を獲得して行きました。
その知識は日本に帰っても役立ちます。育児本や育児番組もアメリカのは「必死」な経験の中から出てきた知識が多くて案外役立ちました。
日本みたいに簡単に病院にアプローチできたらどうでしょうか。
誰も必死じゃあないですよ。
だから民間療法とか代替医療とかが育つ基盤はないと言って良い。お金の問題を除けば。
和漢が生まれた昔はやっぱり「必死」だったんだろうと思いますから、それなりに説得力がある。
しかし現在の日本における民間療法とか代替医療に関しては、大方は知恵が足りないと感じています。
たまに「へ~」って思うことがあるので、どうぞまた外来で教えてくださいね。
2011/10/01
ただしいお尻の拭き方
セクション:
ムダ?知識
肛門科ではない私が正しい排便を指導するのは何となく変ですが、当院は内視鏡を受ける患者さんが多いのでお尻をたくさん見ます。すると思う事が色々ありまして、指導すると「は~」とか「へ~」とか感心されるので書いておくことにしました。
3行でまとめると、
○うんちをしたあとはお尻の粘膜が脱出するのでそれをもとに戻さないまま拭くのは間違ってる。温水洗浄するのもそのあとで。
○「?」なに言ってんの?という人はすぐさま粘膜がもとに戻るような若い人です。その状態をキープすべし。
○うんちがいつまでもきれいにならない、という人はたいてい何か間違ってる。骨盤底筋も鍛えましょう。
で、温水洗浄便座は要するに使わなくても(むしろ使わないほうが)良いわけですけれど、まだ気になるという場合には最後にもう一度サニーナをしみこませたトイレットペーパーで拭きますと、裂痔など痛みが取れて治りも良く、内痔核にもなりにくいということ。腫れが強いときは市販の軟膏を使うのも良し。我々に相談するも良し。坐薬には坐薬の効用があり、それは別の場所で書きます。
3行でまとめると、
○うんちをしたあとはお尻の粘膜が脱出するのでそれをもとに戻さないまま拭くのは間違ってる。温水洗浄するのもそのあとで。
○「?」なに言ってんの?という人はすぐさま粘膜がもとに戻るような若い人です。その状態をキープすべし。
○うんちがいつまでもきれいにならない、という人はたいてい何か間違ってる。骨盤底筋も鍛えましょう。
うんちが出ると直腸の粘膜が裏返りながら飛び出てきますが、若い方では直後にスルスルと引き込まれていきます。ですから温水洗浄便座で洗っても痛くないかも知れません。でも、調子にのってジャ~ジャ~してはいけません。排便後すぐに温水洗浄をすると、水流が粘膜を刺激します。すると粘膜が浮腫を起こしてしまいます。腫れるとそこには鬱血が起きますので痔の原因になります。さらにその粘膜から出血する場合もあります。
したがって排便後、まずはきちんとお尻の筋肉をしめましょう。これは若い方でも大切です。
したがって排便後、まずはきちんとお尻の筋肉をしめましょう。これは若い方でも大切です。
あ、関係ないですが一番飛び出てくるのは前側、次に左右の粘膜のようです(私調べ)。痔が多いのは12時方向(前側の事)だから気付いたときは「なるほどなるほど~」とか思ってしまいました。
お尻の筋肉を締めるだけできちんと粘膜が収まる方は良いのですが、ちょっとまだ今ひとつ戻りきらない方がいらっしゃると思います。そう言うときには、花王サニーナをしみこませたトイレットペーパーを使い、周囲から優しく指で押し込むようにして露出した粘膜は直腸の中に戻してしまいましょう。戻した後、きちんとお尻の筋肉を締めましょう。
戻さないまましつこく拭いて「きれいにならない、きれいにならない」と言っている方がいます。粘膜が刺激されてひどい事になっていますからすぐにわかります。あんまりお尻をいじめないでください。花王サニーナは代替品がないのですが、中身はスクワランオイルとアズレンスルホン酸です。私自身は赤ちゃんのお尻拭きとして使っていました。おむつかぶれが良く治るのです。アズレンスルホン酸は裂痔(きれぢ)に対する最強処方の一つでして、色々使いようがあります。
戻さないまましつこく拭いて「きれいにならない、きれいにならない」と言っている方がいます。粘膜が刺激されてひどい事になっていますからすぐにわかります。あんまりお尻をいじめないでください。花王サニーナは代替品がないのですが、中身はスクワランオイルとアズレンスルホン酸です。私自身は赤ちゃんのお尻拭きとして使っていました。おむつかぶれが良く治るのです。アズレンスルホン酸は裂痔(きれぢ)に対する最強処方の一つでして、色々使いようがあります。
スクワランオイルは貴重品なので手に入りにくい方は赤ちゃん用のトイレに流せるお尻拭きを使ってもOKです。あるいは普通のトイレットペーパーで結構ですから、刺激しないように上手にお尻を拭いてください。
話を元に戻しますと、温水洗浄便座を使うなら完全に粘膜が直腸内に収まってからが良いのです。浣腸代わりに使って炎症を起こしている方がいます。温水は粘膜に対して刺激がありますので気をつけて下さい。ウォッシュレットを使って「いてっ」と感じたら、まだ粘膜が収まっていません。きちんと収めてしまえば痛くないはずです。
写真は内容とは関係ありません |
温水洗浄便座を使うときに、もう一つ問題が。
誰でもお尻を拭くときには「前から後ろ」って習いますね。男性は習っていませんか?
父親教室に行くと習えるんですよ。
それは大腸菌が尿道から膀胱に入るのを防ぐためなんですが・・・
「温水洗浄便座の水流は後ろから前orz」なのです。どうしてこうなった。
あまり強く使うと大腸菌などに汚染された洗浄水が尿道から膀胱に入って膀胱炎の原因になるので注意して下さい。 ていうか、
すごくこの手の膀胱炎が多いそうですから、日本のメーカーの方、どうぞよろしくお願いします。
で、温水洗浄便座は要するに使わなくても(むしろ使わないほうが)良いわけですけれど、まだ気になるという場合には最後にもう一度サニーナをしみこませたトイレットペーパーで拭きますと、裂痔など痛みが取れて治りも良く、内痔核にもなりにくいということ。腫れが強いときは市販の軟膏を使うのも良し。我々に相談するも良し。坐薬には坐薬の効用があり、それは別の場所で書きます。
検査の時にお尻を見ると、「どういう排便習慣かな」というのが良くわかりますが、たいていは長い年月のことですからあえてそこに介入はしません。
しかしさすがにお尻を拭きすぎて潰瘍を作っている(本当にいます!)場合もあり、真剣に注意しますし、少しの改善でなんとかなりそうな場合もありまして、指導をその人のお尻にあわせてするわけです。
しかしさすがにお尻を拭きすぎて潰瘍を作っている(本当にいます!)場合もあり、真剣に注意しますし、少しの改善でなんとかなりそうな場合もありまして、指導をその人のお尻にあわせてするわけです。
ご老人にひとりひとり指導しても無駄、という感じがしましたので、ここに書いておけば少しは若い人も読むだろうと思って書いたという次第。痔疾はそれだけで一分野を形成するほど奥が深い分野で、なかなか理解が難しいと思いますが、意外と人生の最後で悩む人が多いので、かたよらない知識を身につけておくことは大切だと思います。
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