2011/08/17

ディベートとクリエイティビティ

私の口癖は「そうかもしれないね」とか「いいね」です。どんな場合でも肯定から入ります。

例外はあります。これを信じたら必ず詐欺の対象になるような間違った思考方法を患者さんがしている場合には、それが洗脳でもなんでも構わないので強い否定から患者さんにアプローチします。少なくとも患者さんが相手でない場合には否定から会話をはじめることはありません。
(倫理的な否定はまた別の話で)



息子が「お腹が下っているのだけれど、熱中症だろうか」と言いましたので、「そうかもしれないね」と私は答えました。答えてから「熱中症ではお腹を下すだろうか」と真剣に考えるのです。これがいつもの思考方法です。「水を飲み過ぎるから下痢をするのだ」というような考えは短絡的です。そこまでの思考ならば思考しない方がまだましです。下痢は熱中症の危険因子になる、そんなことはわかっています。そうではなく、下痢の本質を考える良い機会として利用するのです。蠕動の亢進状態が起きたのか、あるいは吸収不良が起きたのか。吸収不良は水分の吸収不良か、あるいは糖や油の吸収障害か。例えば蠕動亢進が生じるには甲状腺ホルモンが関与したか、あるいは他のホルモンが関与したか、あるいは中枢神経系の作用か、あるいは電解質の影響があるのか。電解質だとすればカリウムが高いのか、あるいはカルシウムが低いのか、ナトリウムは関与するのか。他のホルモンやサイトカイン、例えばアセチルコリンはどう関与してくるのか。中枢神経系だとすればそれは抑制の抑制系なのか。それらを今考えておくことは、将来未知の病態に出会ったときの準備になるのです。

もちろん資料をひっくり返し、文献検索もざっとしますけれども、自分の求める答えが得られないことの方がむしろ多く、それで良いのです。

余談になりますが、同時になぜ「熱中症」という言葉を使いその発想にいたったかを考えています。下痢をしているのは事実だとして、熱中症という言葉を使うからには付随する他の症状があるからなのだろう。その症状は何か。相手が何か言葉を発したとき、その意味について単純に考える思考と、その言葉を発するに至った背景を考える思考とはほぼ同時に処理されていると思います。


患者さんと話すときに、「受容的な態度で」などと良く言いますが私はそれを意識したことは人生で一度もありません。単純に患者さんの言葉に興味を持って聞いているだけなのです。結果として受容的だ、やさしいね、などと言われているだけです。違います。

さて、こういう思考に必要なのは基礎知識かも知れません。受験勉強や国家試験の勉強というよりも教養としての知識をいかに身につけるかを考えて勉強をしてきました。(高校の勉強が意味がないという人はその知識を使わなかっただけです)知識は使わなければ意味がありませんから、その前段階としてディベートに慣れておく必要はあるかもしれません。知識を使って揚げ足をとる、という奴です。
ディベートの場合にはまず自分の主張を決めますが、その時には徹底的に自分の理論の背景を調べます。その知識を戦わせる練習というのは、知識をいかに応用するかには必須だと思うからです。

教育をするときには、まずは吸収させて、つぎにディベートの練習をさせる。ここまでで実社会では通用します。

しかしクリエイティブな仕事をしようという場合にはディベートのような思考はやめて、上記のような思考過程をすると面白い事が起きます。一人でしても構わないのですが、この思考を二人以上でキャッチボールするとどんどんアイディアが膨らんでいくのです。私はこれこそが会話の醍醐味だと考えています。第一、なんでも否定するよりは楽しいです。子供相手にこれをすると、「褒めて育てている」と思われがちですが、別に褒めているわけではなくて、自分に何か得ようとしているのです。
(ちなみにクリエイティブな人々が育児に興味を持つと、うまくやっているように見えるのはその思考過程が現代の子育て方法とマッチする部分が多いからだろうと思います。ただその本質は違うのかも知れません。良くわかりません)



というような事を思ったのは、慶応大学の湘南校舎で坂井直樹さん(教授)に呼ばれて講義に行ったときのこと。デザイナーなどクリエイティブな方々というのは同業者に対して肯定的な態度の方が非常に多いという印象を持ったことがきっかけです。もちろん彼らはライバルです。腹の中では考えているわけですが、まずは色々なアイディアに接したときにまずは認めてみる。そういう思考はクリエイティブの根源なのかもしれない。

しかし学生さん相手だとまだそういう段階ではないのですね。私は彼らの発想も、「いいね、いいね」と褒めてしまうので良くなかったかもしれないと反省しています。彼らはプロになるべき人々です。彼らがクリエイティビティを発揮するのは十分な基礎が出来てからなので、今はあえて褒めない方が良い場合もあるのでしょう。「褒めて育てる」という段階ではすでにない彼らには失礼でした。



医者はすでにある知識を患者さんに摘要して患者さんの利益を確保する職業ですから、そこにクリエイティブという要素は必要ないかも知れません。しかし、コミュニケーション手段としてもこの思考方法は有用なので、今後も変えない方が無難かなと思いました。







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