by Swamibu
これは大学院時代にテクニシャンのIさんの仕事を見ていて、以後考えていたこと。
彼女はラボのテクニシャンで、自分の仕事の評価をレポートにして上司に提出するんだけれど、その時に例えば実験のコントロール曲線がうまく描けるかとか、予期せぬデータが出ていないかとか、そういう統計学的な評価をしていたのを見て、医者もこういうQCの方法が出来ないかをずっと考えてきたわけ。
今の日本の医者のQCは馬鹿げたもの(点数を稼ぐなど)が多くて実際的ではありませんが、上部内視鏡では例えば
- 左右の梨状窩の観察が出来ているか。
- 食道上皮内癌の発見率。(特にハイリスク群で)
- 咽頭反射の確率と患者満足度。
- 胃の萎縮診断が正しいかどうか。(多数の検査をしていれば偏りがないかでわかる)
- 萎縮に応じた早期癌の発見率。
- 乳頭部の観察が出来ているか。
など様々な指標があり、それを自己評価すれば良いのです。
例えば萎縮がO-3であれば、早期癌発見率は2%維持できなかったらだめだとか、そういう縛りを自分に課すわけです。様々な場面で自分のQCを行う事、それが出来れば納得して医療行為が出来るのでそうなるよう電子カルテを駆使しているのです。
なるべく完璧な仕事をしたいのですが、では自分はどのように心がけているでしょうか。
良くスポーツ心理学では、納得のいく練習をすること、と言います。これだけの研鑽を積んできたのだから、自分は大丈夫だと自信を持つ、というような事。一方で、浅田真央選手は納得のいく練習をしてきても、それが上手くいかないこともある、と最近の自分を評価したそうです。世界のトップレベルの厳しさを垣間見るエピソードです。それは神の領域と言って良いでしょう。
我々の仕事はむろん人命がかかるわけですが、奇跡は毎回は起きないので、むしろ常に一定のレベルを保つにはどうしたらいいのか、を考えるわけです。オリンピック選手のように、最高の体調を管理するという事まで自分を追い詰めなくても良いのです。
むしろ、健康面精神面含めて最高のコンディションでないと自分の納得出来る仕事が出来ないと考えているのであれば、それはまだ自分が未熟であると私は考えました。ある程度悪いコンディションでも、平均的に良い仕事が出来ないか。
内視鏡においては
- なるべくワン・パターンの仕事をする。どんな患者でも同じような見方、写真のとり方をする。変なテクニックを駆使しない。
- 同じ事をするのでも、なるべく簡単にできるテクニックを常々工夫する。
- 時間に余裕をもたせる。患者が急かしても気にしない。
- 自分の限界を知っておく。
- やたらと質の良い仕事を患者にアピールしない。
というような事を実践しているつもりです。例えば、内視鏡時の鎮静は過去のナレッジ・ベースがあるのでかなり上手く量が決められます。胃内洗浄の時の器具の工夫もしています。時間は患者さんの都合より自分の都合を優先します。自分が例えば体調が悪いときでも、無用に働く必要がなければ内視鏡の質は高まるだろうと考えてのことです。最終的には「眼」に仕事をさせる事にすべてのリソースを集中できるよう、それ以外の事はなるべくワン・パターンにするのです。
やはりトレーニングが重要だろうと考えます。粘膜の異常を見逃さない眼は、やはり簡単には身につかないと思います。私の場合は癌研で膨大な数の症例を見せていただいたことがやはり大きい。1年いれば10年分の症例を経験出来るなあと思いました。頭脳以外の能力を駆使する仕事を「職人」と呼ぶのなら、内視鏡医はまさに職人だし、職人の仕事はその能力にいかに集中できる環境を作れるかどうかによって決まるだろうと思います。
今色々な仕事をしていて、なるべく高い次元でそれを行いたいという場合、それが職人的な仕事ならばまずは一番大事な「能力」をとことん鍛え上げてしまう。そうすれば、それ以外の事、たとえば体調がどうであろうとも、一定のレベルの仕事が出来るんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。
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