「食べ過ぎちゃいけません」
などという、制限する指導が出来るっていうのは、とても医者としては楽なんですね、って。
言うのは簡単、出来なくても責任はないし、第一患者さんは制限しなくちゃいけないほどに、生命的には機能的な異常がない。それが将来破綻を来すかどうかは別として。
しかし一方で難しい指導があって、
例えばMCVが高くてアルブミンが低くて、ああ、肉を食べてないなあという患者さんに、
「お肉を食べなさい」と指導したいわけですが、
これ、患者さんの嗜好との対決をしなくちゃいけない、また、指導通りにしたときの諸症状に対応(予想を含めて)しなくちゃならない、そして結果を医者が保証しなくちゃいけないという意味で、困難を極めるわけです。
どうも安直だ、という理由で指導というと「しちゃだめ」「しちゃだめ」に偏りやすいというのは、医者の場合だけでなく、子供の教育などでもいっしょですよね。
というと、患者さんは納得していた。
「~しなさい」と一方的に言うだけでなく、本当に出来るようにサポートする指導というのは、例えば消化管に機能異常が出現した場合の重要な治療方法の一つなのですけれど、患者さんのインテリジェンスも必要とされるなかなか奥深い世界。
医者というとすぐに「塩分制限」に示されるように「制限」という言葉が大好きなんだけれど、そんな言葉を発していたら自分が滅入ってしまう。一日に「しちゃだめ」と「しなさい」がほぼ互角に口から出るように、なんとなく意識するようにしているわけです。
その方が雰囲気としては前向きですし。自分が明るくなりますし。
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