よくある会話の実例です。
私「異常ありませんよ」
患者さん「はい、異常ありません」
?
何か、かみあっていませんね。
これは何を意味するのか。
私はエコーなり、内視鏡なりをしたらすぐにその場で診断をするわけです。従って形態的あるいは一部機能的な異常も含めますが、それらが認められなかった場合ただちに「異常がありません」と宣言をします。
それに対して患者さんは頭の中で補完をする。私がきっと「いま異常がありませんか?」と聞いたのだと。だから「はい、異常ありません」と答えるのです。患者さんは検査をした瞬間に結論が出るという事は全く期待していない訳です。そういう心理がこの会話から伺える。
さて、患者さんの要望には二種類あります。
1)異常がない事を知って安心したい。
2)この症状の理由を知りたい。
3)あるいは両方。
良くありがちだし、それで正解だとは思うのですが、「異常がありませんのでこれで終わります」という締めくくりはよくあるパターンです。1)の患者さんにはそれで良いのです。しかし、2)3)の場合には却って反感を生む場合だってある。ましてやその「異常がありません」が間違いだったりしたら尚更です。
前述のように「異常がありません」「はい、異常がありません」という会話をする人たちの要望は恐らく1)ではないのです。
"mission accomplished"となるには、ミステリー小説で言うところの「解決編」が必要なのだと考えます。
つまり、正常なのにつらい症状があるのはなぜなのか、という説明が。
形態的に、あるいは血清の検査結果などで異常がなくとも、解像度以下の世界、あるいは検査していない検査結果は見えませんから、実際には細小血管とか神経で異常が起きている可能性なんていくらでもあるし、それにより症状が起きる説明(仮説)もたくさんあるわけです。
その仮説のうち最も頻度が高そうなものから1、2個説明し、それに対する処方が必要ならば行って終了し、そしてそれがうまくいかない場合の別の引き出しを用意しておけば十分に患者さんの満足は得られるでしょう。10個以上の引き出しを開けてやっと正解を得られる場合だってありますが、こうなると半分以上は患者さんの手柄と言えるのではないかと思います。
ただ、内視鏡やエコーでは、その正解がたまに見える場合があるので助かります。
例えば胃がもたれて動きませんという患者さんの内視鏡をして、襞に沿った線状の発赤があったとします。それは表層性胃炎などと言われますが、ただ表層性胃炎というとピロリ菌がいるのかどうかが判別のつかない病名なので私はあまり好きではありません。好き嫌いは別にしてこの線状の発赤というのは胃の蠕動に伴って発生するものです。つまり患者さんの胃は強く蠕動しているのです。実はもたれの症状は、過蠕動でも生じる場合があります。蠕動の筋肉痛をもたれとして感じる場合が。
もたれて動きませんというのを真に受けてモサプリドなど処方しますと失敗する訳です。ますます症状が増悪して患者さんは心配してしまう。こういう時には市販薬で芍薬が入ったものなどで案外効いたり、ペパーミントで十分だったりするわけです。むろん処方の仕方は組み合わせれば何百通りもあります。
異常はありません、でも・・・。そこから先が面白い。
内視鏡やエコーをする場合、むろん形態的な異常があるかないかは重要です。しかしそのさらに先を見つめて検査をする事は楽しいし、役立つし、逆に検査だけを依頼されるなんてまっぴらご免だと思う訳です。
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