2011/09/28

生命保険の診断書について

生命保険会社が要求する証明書の存在理由が、最近無くなりました。

というのも、我々が発行する診療明細には行った手術名まですべて正確に「厚生労働省名称」で記載してあるため、彼らはそれを見るだけでどういった治療だったかがわかるからです。

(例:「内視鏡的結腸ポリープ・粘膜切除術(長径2cm未満)」で手術番号K-721は確定。保険会社はわざわざ医者にこの番号を検索させて書かせます)

我々が発行する領収書、兼、診療明細には
患者名、カルテ番号、診療日、診療明細、領収金額すべての情報が含まれています。

実は、一部の生命保険会社はこの診療明細だけで払い戻しをしてくれます。当然の事です。
偽造かどうかは彼らが確かめれば良いことです。彼らはそれだけの調査能力は持っています。
また、領収書を回収しますので医療費控除には当然申告できなくなります。未必の脱税の防止にもなります。

入院の場合でも最近の領収書は細かいのでやはり証明書は不要だと思います。
治療を見れば必然的に病名はわかるからです。

繰り返しますが、すでに「診療明細で良いよ」と言ってくれる生命保険会社はある、というのは事実です。良心的ですね。当然その分支払いは迅速なのでしょう。私は診断書を書くのに熟考するタイプなので時間がかかるのです。

この方式が普及すれば、「これは保険がもらえるはずだ。そう言われた」と勘違いして「証明書をくれ」と主張し、病院の受付さんを困らせる患者さんもいなくなるのです。

蛇足ですが、検査の結果を聞きに来ないのに診断書だけ持って来て「書け」という人が多すぎます。診断書には「終了日」っていうのを書くことになっておりまして、結果を聞きに来ない限り書くことが出来ませんので悪しからず。

2011/09/24

メタ思考について考えていました。

私は記憶容量が少ないのを誤魔化すために必死で記憶をメタ化(要するに圧縮)してなんとか医者をやっているのですが、世の中にはそれが自然に(あるいは必死か)出来る人がいるようです。それを芸術家と呼ぶのでしょうか。

川崎の岡本太郎美術館に行きましたが、すばらしい展示内容でした。様々な書籍が自由に読むことが出来るのもうれしかった。芸術家には蒐集家が多いとの印象を持っていますが、残念ながら彼のそれは事情により散逸している様子。それでも研究が進むと、本人すら意識していなかったかもしれぬ深みが作品に加えられ、素人に理解しやすくなるのが良い点です。

展示物の本の中に瀬戸内寂聴氏、梅原猛氏の対談(恐らく10年以上前の)がありまして、彼等は晩年の岡本太郎氏をあまり評価せず、若いころの複雑な彼を評価しているふしがありました。(晩年の彼は単純で「子供のような」と)しかしその場にいたら私はその意見に異を唱えたかも知れません。彼等からすると、完成された岡本太郎氏はいかにもステレオタイプ的な岡本太郎氏であり理解しやすく、見てはいられないという事なのかも知れませんが、それはメタ化の完成形でもあります。現在の瀬戸内寂聴氏がまさに瀬戸内寂聴氏であるのと同様に。

メタ化と対称の位置に存在するのは、宗教学とか民俗学とかだと思います。
言語というのはもっともメタ化しにくい対称で、私は苦手です。
宗教学や民俗学を極めた人には語学の天才が多いのも頷ける話です。岡本太郎に影響を与えたとされる宗教学者ミルチャ・エリアーデも数々の言語を使いこなしたという事でした。宗教を研究するにはそういう才能が必要なのです。岡本太郎が彼に惹かれたのは自分の対極に位置したからかも知れません。関係ないですが私は宮本常一さん(民俗学者)が大好きなのです。宮本さんも言葉に関しての天才で、万葉集の数万句を諳んじていたとされています。

岡本太郎さんが絵を描くときに、養女の敏子さんが「そこは赤」などと色を指示して描いていく、というようなエピソードを読んだときには、アンディ・ウォーホルさんと同じじゃないか、と思いました。確か彼も来客に絵を描かせたんでしたっけ。

そういう事を考えさせてくれる場所はなかなかありません。ゆったりとした時間が流れている生田緑地にふさわしい美術館だと思いました。