なんでもジェネリック医薬品にすべき、というプレッシャーが病院にはかかっています。しかしそのために余計なコストがかかる場合もあるのです。
ジメチコン2%はその一例です。ジェネリックにしてしまうと機器の洗浄にそれ以上のコストがかかるのです。
その解決策の一例を書きました。
ジェネリック医薬品は、先発品を同じではありませんが、成分は公開されているのである程度予測をつけることが可能です。私はいつもこのようにアプローチしています。
ガスコンドロップ内用液2%のジェネリック医薬品としてバルギン消泡内用液2%というものがあるのですけれど、バルギン消泡内用液2%はグリセリンが添加されていてベトベトです。だから内視鏡検査の時に使うと…ちょっと差がある。あとで機器を洗うときにも汚れが落ちにくいのは問題です。
ガスコンドロップ内用液2%のほうはポリソルベートという乳化剤を使っていて非常に素直なんですが。
ガスコンドロップ内用液2%は1mlあたり3.7円、バルギン消泡内用液2%は1mlあたり3.2円、内視鏡1件あたりのコストの差は2円です。
バリトゲン消泡内用液2%というジェネリックもあります。これはポリソルベートを使っているから恐らく大丈夫なはずです。そもそもバルギン消泡内用液2%だのバリトゲン消泡内用液2%だの同じくジェネリックのバロス消泡内用液2%だのという名前からして、バリウム検査用に作られているのは明らかなのですから内視鏡の時の油っぽさがどーのというような検討はされていないと思うのです。
病院の事務方がその0.5円にこだわってガスコンドロップ内用液2%に戻すのをしぶる場合には、バリトゲン消泡内用液2%を試してみるのが良いかもしれないと提案させていただきます。
2016/04/19
逆流性食道炎の咳は、胃酸が気管支に入って出るわけじゃない
咳が出る人の中には逆流性食道炎の方が一定数おられ、
その咳の出る機序を患者さんにこう説明している先生がおられる。
「胃酸が喉頭や気管支に炎症を起こし云々」(microaspirationの事のみを説明)
私はその説明のみでは不十分だと思う。明らかに声帯に胃酸によると思しき炎症がある印象的な症例はあるものの、半数以下だと考えて良いのではないか。
Gastroesophageal reflux and chronic cough
Susan M. Harding, M.D., F.C.C.P., F.A.G.A.
GI Motility online (2006) doi:10.1038/gimo77
というのは、内視鏡時の以下のような反応がヒントになる。
内視鏡を梨状窩より挿入時に、唾液やルブリカントなどを誤嚥していないにも関わらずしばらくの間咳が止まらない人々が一定数いる。
割合最近まで、挿入時に患者さんが咳をするのは自分の未熟のためだと思い、ひたすら研鑽に勤しんでいた。しかしどう自分の手技を減点法で厳しく採点しても減点できない場合にすら咳が出るケースがある。その症例を観察していると以前森谷先生から教えていただいた、「咽頭食道神経症と咳喘息症例がオーバーラップする」という一言が思い浮かんだ。咳が出る症例を一例づつ検討すると、それらはいわゆる過敏症に属する人々であり、上部食道への様々な物理・化学的刺激がそのまま咳につながると考えると論理的である。
つまり胃酸が本当に気管支内に入る事で咳を誘発するのではなく、上部食道まで胃酸が逆流した時点で反射的に咳が出る、という症例が多いと考えると無理がない。
気管支の中に胃酸が逆流すればひどい炎症を起こし咳を誘発するだろうけれど、実臨床ではそのような炎症を確認できることは少ない。私は内視鏡時の咳反射を観察することも病因にせまる一つの方法として利用している。英語での"esophageal cough"という言葉はよく本質をあらわしているように思う。("acid"や"reflux"という言葉を使っていない)
「呼吸と循環」という雑誌があり、この53巻6号pp. 581-587に胃食道逆流と呼吸器症状(岩永知秋、高田昇平)という総説がある。この中に、"esophageal cough"が最初に記述されたのは1世紀以上前、Sir William Oslerによると記載されている(!)。このウィリアム・オスラーという人は高名な医学者であり、ジョンス・ホプキンスの最初の内科教授である。
オスラーの業績はあまりに多いけれど例えば、
Osler兆候1:橈骨動脈がカチコチに硬いときに、血圧計で測定するといくらカフに空気を入れても音が聞こえてしまい、血圧が200とか250などと測定されてしまうけれど、実際にはそんなに高くはない"pseudohypertension"において、血圧測定中に橈骨動脈を触れると硬いサイン。これはこれで強い動脈硬化がある事をしめす。
Osler兆候2:Osler結節(感染性心内膜炎で指先端に見られる有痛性の紅斑性皮下結節)
Osler兆候3:グレーブス病で稀に認められる粘液水腫
などと、Osler兆候だけで3つもあるほどである。
Osler-Weber-Rendu病
Osler-Vaquez病(真性多血症)
などに名前が残るし、彼の名言も良く医学あるあるのネタになる。
そして"esophageal cough"に関しても記述していたとは本当に驚きだし、総説を書いて下った岩永、高田先生には感謝だ。実はまだ、上記文献を手に入れていないので大学に行って検索してみようと思う。
その咳の出る機序を患者さんにこう説明している先生がおられる。
「胃酸が喉頭や気管支に炎症を起こし云々」(microaspirationの事のみを説明)
私はその説明のみでは不十分だと思う。明らかに声帯に胃酸によると思しき炎症がある印象的な症例はあるものの、半数以下だと考えて良いのではないか。
Gastroesophageal reflux and chronic cough
Susan M. Harding, M.D., F.C.C.P., F.A.G.A.
GI Motility online (2006) doi:10.1038/gimo77
というのは、内視鏡時の以下のような反応がヒントになる。
内視鏡を梨状窩より挿入時に、唾液やルブリカントなどを誤嚥していないにも関わらずしばらくの間咳が止まらない人々が一定数いる。
割合最近まで、挿入時に患者さんが咳をするのは自分の未熟のためだと思い、ひたすら研鑽に勤しんでいた。しかしどう自分の手技を減点法で厳しく採点しても減点できない場合にすら咳が出るケースがある。その症例を観察していると以前森谷先生から教えていただいた、「咽頭食道神経症と咳喘息症例がオーバーラップする」という一言が思い浮かんだ。咳が出る症例を一例づつ検討すると、それらはいわゆる過敏症に属する人々であり、上部食道への様々な物理・化学的刺激がそのまま咳につながると考えると論理的である。
つまり胃酸が本当に気管支内に入る事で咳を誘発するのではなく、上部食道まで胃酸が逆流した時点で反射的に咳が出る、という症例が多いと考えると無理がない。
気管支の中に胃酸が逆流すればひどい炎症を起こし咳を誘発するだろうけれど、実臨床ではそのような炎症を確認できることは少ない。私は内視鏡時の咳反射を観察することも病因にせまる一つの方法として利用している。英語での"esophageal cough"という言葉はよく本質をあらわしているように思う。("acid"や"reflux"という言葉を使っていない)
「呼吸と循環」という雑誌があり、この53巻6号pp. 581-587に胃食道逆流と呼吸器症状(岩永知秋、高田昇平)という総説がある。この中に、"esophageal cough"が最初に記述されたのは1世紀以上前、Sir William Oslerによると記載されている(!)。このウィリアム・オスラーという人は高名な医学者であり、ジョンス・ホプキンスの最初の内科教授である。
オスラーの業績はあまりに多いけれど例えば、
Osler兆候1:橈骨動脈がカチコチに硬いときに、血圧計で測定するといくらカフに空気を入れても音が聞こえてしまい、血圧が200とか250などと測定されてしまうけれど、実際にはそんなに高くはない"pseudohypertension"において、血圧測定中に橈骨動脈を触れると硬いサイン。これはこれで強い動脈硬化がある事をしめす。
Osler兆候2:Osler結節(感染性心内膜炎で指先端に見られる有痛性の紅斑性皮下結節)
Osler兆候3:グレーブス病で稀に認められる粘液水腫
などと、Osler兆候だけで3つもあるほどである。
Osler-Weber-Rendu病
Osler-Vaquez病(真性多血症)
などに名前が残るし、彼の名言も良く医学あるあるのネタになる。
そして"esophageal cough"に関しても記述していたとは本当に驚きだし、総説を書いて下った岩永、高田先生には感謝だ。実はまだ、上記文献を手に入れていないので大学に行って検索してみようと思う。
2016/04/17
知の神話
東大総長の五神真先生による東京大学大学院入学式の式辞は面白かった。(直接聞いたわけじゃないけど)
平成28年度東京大学大学院入学式 総長式辞 | 東京大学
今、日本語の母音があいうえおの五音に(文字のうえでは)縛られているわけだけれど、これが決定されたのは明治のことであって、それ以前は少し緩かった。
五十音のおかげで日本人はケータイやスマホに親和性が高い説もあり、デザインする上でその発展を勉強するのは無駄ではないと、昔坂井直樹さんの学生さんたちに1時間ほどレクチャーする機会があったので調べたことがあったのだ。
五十音の成立を勉強した時に、本居宣長の存在が極めて大きく感じ、ぐぬぬこの天才めここでもお前か(日本史上で一番天才だなーと思ってるのが本居宣長)、と思いながら馬淵和夫先生の五十音図の話を読んだことを思い出した。
総長のお話では本居宣長の弟子である石塚龍麿の埋もれた研究を、橋本進吉先生が再発見したストーリーが語られている。また梶田隆章先生が膨大なデータの中のわずかなゆらぎに気づいたエピソードも語られた。
エラー、などと言って我々やコンピューターが捨ててしまいがちな中に真実が眠っていることがあり、その中から真実を見つけ出すのは憧れであり、時に神話のように語られる。
(英語では神話・mythというと、「嘘」というようなニュアンスがあるけれども、日本語での神話は神聖なもので、その中に真実がある、というようなニュアンスがあり、ここで使う神話はそういうポジティブな意味だ)
そうした神話性を悪用して天才ではない人々が「例外的な」「希少な」「実は」という言葉を用いてエラー知をひけらかす(疑似科学)、という事が現代では当たり前のように行われている。医療は特にその側面があるので自らへの戒めとしたい。
ところでいろは歌は奇跡の歌だ。あの美しく完璧な歌があるおかげで、かなは五十音に収束せざるを得なかったと感じる。音韻学者は平安から江戸にかけてたびたび「本当の音韻を文字であらわすには」と挑戦し、結局敗れていった。
平成28年度東京大学大学院入学式 総長式辞 | 東京大学
今、日本語の母音があいうえおの五音に(文字のうえでは)縛られているわけだけれど、これが決定されたのは明治のことであって、それ以前は少し緩かった。
五十音のおかげで日本人はケータイやスマホに親和性が高い説もあり、デザインする上でその発展を勉強するのは無駄ではないと、昔坂井直樹さんの学生さんたちに1時間ほどレクチャーする機会があったので調べたことがあったのだ。
坂井直樹のデザインの深読み |
五十音の成立を勉強した時に、本居宣長の存在が極めて大きく感じ、ぐぬぬこの天才めここでもお前か(日本史上で一番天才だなーと思ってるのが本居宣長)、と思いながら馬淵和夫先生の五十音図の話を読んだことを思い出した。
総長のお話では本居宣長の弟子である石塚龍麿の埋もれた研究を、橋本進吉先生が再発見したストーリーが語られている。また梶田隆章先生が膨大なデータの中のわずかなゆらぎに気づいたエピソードも語られた。
エラー、などと言って我々やコンピューターが捨ててしまいがちな中に真実が眠っていることがあり、その中から真実を見つけ出すのは憧れであり、時に神話のように語られる。
(英語では神話・mythというと、「嘘」というようなニュアンスがあるけれども、日本語での神話は神聖なもので、その中に真実がある、というようなニュアンスがあり、ここで使う神話はそういうポジティブな意味だ)
そうした神話性を悪用して天才ではない人々が「例外的な」「希少な」「実は」という言葉を用いてエラー知をひけらかす(疑似科学)、という事が現代では当たり前のように行われている。医療は特にその側面があるので自らへの戒めとしたい。
ところでいろは歌は奇跡の歌だ。あの美しく完璧な歌があるおかげで、かなは五十音に収束せざるを得なかったと感じる。音韻学者は平安から江戸にかけてたびたび「本当の音韻を文字であらわすには」と挑戦し、結局敗れていった。
2016/04/10
理系な「なんとなく」
医療には「なんとなくどういう感じ?」という問いが存在します。
今の気分が良いとか悪いとか、雰囲気で良いのです。
自発的に何を話しはじめるだろうか、と観察するための問いだから。
しかし、頭のいい人ほど答えに詰まってしまう。
その問いに対してどう答えたら良いのか論理的な答えが見つからないから。
少し困った顔をして言葉が出てこない人は、
医療に接し慣れていない、頭が良い、理系の人なのでしょう。
そういう理系の頭の人には、この説明をこう解説するとわかりやすいかもしれない。
と思って非常にIQの高い若い人に説明したら素直に納得してくれたので、意味のない説明でもないと思って書いておくことにしました。
九鬼修造の『情緒の系図』を参考にしますが、
そのうちの「主観的感情」は、「嬉しさ」「悲しさ」であらわされます。
理系が哲学者が書いた本を読んでありがたいと思うのは、第三者とのコミュニケーションに関するいろいろな物事を定義しようと彼らが先に試みてくれている事です。それを利用しない手はない。
主観的かつポジティブな事象(嬉しさで代表される)、あるいはネガティブな事象(悲しさで代表される)は種々あると思うのですが、
例えば「痛み」という感覚は主観的感情に対してネガティブな影響を与えるはずです。
それらを自分なりの相対スコアで構わないから記録して、度数分布表を作ってみる。
頭の良い人の度数分布表は過去数分とか過去1時間、過去1日、過去1週間、過去1ヶ月、1年・・・・・・というようにスケーラブルでありかつ正確であろうと思います。それは通常状態では正規分布に近いのではないか。
天変地異や大きなライフイベントがあった時にはその形は大きく崩れるだろうと思います。
その感覚の度数分布表を頭に思い浮かべて、平均がポジティブなのか、ネガティブなのか。あるいは正規分布に従うのか従わないのか。ぶれが大きく標準偏差が大きいのか、あるいは安定していて小さいのか。
そして医療においては前回その人(たいていは医者やナース)と会って以後の時間の範囲で情緒の度数分布表を作って平均や標準偏差を求め、その答えを「なんとなくどういう感じ?」という問いに対する答えとすれば良いのではないか。あるは初めて会った人ならば、その人と出会った瞬間から、あるいは病気の話題があったとするならばその発端となった時間から今現在までの時間の範囲で同じ作業をすれば良いのではないか。
感情で生きる人、記憶力が膨大でない人は「情緒の時間軸がスケーラブルではない人」なので、そうした漠然とした質問にあまり迷いなく答えるだろうと思います。
しかし理系かつ記憶領域の広い人ほど「いまどう?」と聞かれて困ってしまうのは「情緒の時間軸がスケーラブルなので、その区間を区切ってくれないと値が不定になってしまうから」という理由によると考えます。
情緒が安定した人は情緒の時間軸がスケーラブルかつ非常に長時間にわたるあれこれの感情の平均値を表にあらわしているだけで、彼らの感情が鈍いということではないのだと思います。
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