2013/03/03

痛み物質

痛み物質(発痛物質)というものがあり、これが神経終末を刺激することにより、「痛い」と感じます。

カリウムイオン、水素イオン、アセチルコリン、ブラジキニン、ヒスタミン、セロトニン、ATPなど、消化管に豊富に存在するそれらは、炎症が全くない状態であっても過度の緊張や、伸張、一時的な虚血などで神経終末を刺激することがあり、それが腹痛の原因となり得ます。

胃や食道の痛みは、カプサイシン受容体を介して感じているとされています。その受容体は粘膜の下の筋層にあります。その証拠に、胃や食道の内部を傷つけても痛みを感ずるという事はありません。カプサイシン受容体の名前の通り、トウガラシは神経にもしも触れれば胃が痛くなるはずですが、実際には食べても痛くなったりはしませんね?それは受容体が筋層にあるからです。
炎症が筋層に及んだり、あるいは筋肉の緊張があまりにも強い状態となったり、虚血状態になったり、あるい細胞間の隙間をイオンが浸み込んだりして刺激をした時にはじめて痛むのです。

「胃が荒れたから痛む」というのは医者が使う一種の方便です。一般の方にはカプサイシン受容体が間接的に刺激され痛みを感ずる事を説明しても直感的にはわかりにくいけれど、皮膚がただれると痛みを感ずるように、荒れた胃の内腔の写真を見せれば「痛そうだな」とすぐにわかった気になってくれるから多用される表現です。

毎月150人の内視鏡をして、そのうち除菌が必要な消化性潰瘍は平均して10人です。胃癌は1-2人。食道癌は1人以下です。半数以上はピロリ菌がいない人です。荒れていない胃は若い方の一部をのぞいてほとんどありません。残りの138人に「痛み」をどう説明すれば良いのでしょうか。

「胃が荒れてますから」と説明すれば30秒で済み、ほかの患者さんの待ち時間が短くなりそうですけれど、それでは嘘をついている気になってしまう。もちろん中には筋層まで明らかに炎症が及んでいる粘膜の方は数人はおられますから彼らに対する説明はそれで正しいのでしょう。しかしそれ以外の方には、「痛みと内視鏡所見とはそれほど関連がないのだ」という事を理解していただかないといけません。

その理由として、「胃の荒れ=胃の病気=痛み」と関連付けてしまうと、胃が痛むたびに心配してしまい、「検査をして欲しい」と言いかねないこと。つまり検査過剰になりやすいこと。次に、「痛みがないから大丈夫だろう」と、胃癌の高リスクなのに検査を受けない人が出てくること。痛みに対して臨機応変に対処ができないこと。間違ったメタ知識を他人に教えかねないこと。などが挙げられます。

ウイリアムボーマン医師が100年以上前にすでに報告していることですが、強いストレス状態では胃の出口~十二指腸の血流がかなり低下します。これだけで、長く正座をしたときに血流が不足して足が痛むのと同様に、胃が痛むことは不思議ではありません。その時にてのひらで静脈圧以上の軽い圧迫を加えるとおそらく静脈還流が良くなりますし、じんわり温めることで血流の改善が期待されます。また、例えば胃体部の筋肉が収縮して前庭部に圧力を与えていたとすると、てのひらでの圧迫によって圧力は分散させるでしょう。いろいろな理由で、「てのひらで心窩部をやさしくおさえると胃の痛みはとれる」のです。

上記はほんの一例で、痛みの理由は人それぞれですが、胃の中には何か名残を残してくれることが多い。私が内視鏡検査をするときにはその名残を一生懸命探します。例えば前庭部に周辺部浮腫を伴うびらんが多発していると、「ああ、前庭部の蠕動がかなり強いのかな?」とか、「何か粘膜防御を阻害する薬を飲んでいるのかな?」などと想像します。もしも症状があるならば、例えばミントティーは効果があるかしら?などと患者さんと相談したりもするのです。ミントティーはカルシウムチャンネルを阻害して、胃の出口の動きを少し緩やかにしてくれるからです。

痛みの話の導入を少し書きました。私も痛み物質の話は読んでも忘れる、読んでも忘れる、の繰り返しでなんとなく理解しているに過ぎませんが、「痛み」というものを、「荒れている」というような大雑把なとらえ方をするのはやめて、もう少し基礎から捉えなおしたときに、患者さんひとりひとりに即した治療が可能になる、と私は考えているのです。

検査をして「異常がありません」と説明した時に、「異常がないなら、いいです」と帰ろうとする人々が半数以上おられます。その方々にも同じように時間をかけて説明をするのはやや虚しい行為ではありますが、それも人生。

6 件のコメント:

  1. 先月こちらのサイトにていろいろ教えて頂いた管理栄養士です。
    とても興味深く読ませていただきましたが、難しい・・・。

    胃が痛いですと言うと、特に痛くなりそうな変化はカメラでは見られませんでしたよ。という回答を頂いたことがあります。神経性ですよ。と言われたりもします。

    Caイオンについて、ちょっと勉強してみましたが、何とも難しく、頭がごちゃごちゃしています。
    ただ、なんとなくではありますが痛みについて納得できたような気がします。

    ところで、虚血状態になるというのは、姿勢(猫背)などでも起こりうると考えていいのでしょうか?
    また、胃粘膜層の厚み(?)に個人差があり、ちょっとしたことで痛くなる(刺激に弱い)なんていうこともあるのでしょうか。

    理解度が低いので変な質問でしたら申し訳ないです。

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    1. >特に痛くなりそうな変化はカメラでは見られませんでした

      私は自らの内視鏡を「妄想系」と呼んでおりますが、胃の中を見て今朝飲んできたスポーツドリンクの銘柄ですとか、普段の食べ物の嗜好などを当てるのを楽しみにしております。ほとんど当たります。すなわち内視鏡から得られる情報は無限なんですね。

      他の内視鏡医が収集する情報が解剖学的な情報とすると、妄想系の内視鏡医が収集する情報は生理学的な情報です。すなわち時間軸を考慮して何が起き、どうなっていくのかを考慮する内視鏡学です。

      何も所見がないことすら所見、というのが妄想系の特徴、とだけ申し上げておきます。

      Caイオンは、場所によって役割が全く異なるのです。消化管ではCaイオンは平滑筋を収縮させます。血圧の薬であるカルシウム拮抗薬を飲んでいるご老人は消化器系の不定愁訴が少ないという事を感じていますが、その理由によるでしょう。

      虚血状態に猫背はほとんど関係がないでしょう。胃十二指腸動脈の収縮か、あるいは過蠕動による相対的な虚血です。私は良くエコーで胃の出口を観察することで、生理的な変化を見ています。

      胃の痛みと間違えやすい病態としては、日本では少ないのですが乳頭括約筋不全というものもあります。

      日本の現在の消化器内科医は使いこなす薬が少なすぎると思います。使うお薬の種類が少なければ当然病態への理解は浅くなります。なんでもかんでも混ぜて投与すればいいというものでもありませんね。最低でも、酸抑制で4-5種類、粘膜保護系で4-5種類、抗コリンで2-3種類、消化剤を2-3種類、整腸剤を2-3種類は使いこなして、それらを患者さんに適切に投与したり、あるいは患者指導をしてほしいと願っております。

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    2. 胃粘膜、食道粘膜、十二指腸粘膜の敏感さには明らかに個人差があると思います。例えば非常に珍しい事ですが、内視鏡中に痛がる人がおられます。そうした感覚は治療に生かすようにしています。

      やせている方では、消化管外の脂肪が少ないために不自然な圧迫が生じてしまい痛みが出る場合もあります。この場合の治療は体位の工夫であるとか、栄養補助をして太っていただくことであるとか、バリエーションが豊富です。

      奥が深いでしょう?すべての患者さんに違う答えを出しているような気がします。簡単に本が書けるならもう出しています。

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  2. 空の胃を見て(先生にとっては空ではないような感じですが。)いろいろと明らかにすることができるとは本当にびっくりしました。
    私は痩せているため、脂肪が少ないことも痛みの原因になっているのかもしれませんね。。(残念なことになかなか太ることが難しい体質のようです。)
    今後は胃が痛いときの対処が増えそうです。よい勉強をさせていただきました。

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    1. Rさま
      私が気づいていないことがありましたら、お教えいただけますと有難い事です。

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  3. いいえ。そんな、とんでもないことです。今後も先生のブログを楽しみにしております!

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