2010/07/28

だから患者さんを痛がらせてはならない

この記事を読んで欲しい。興味深い事が書いてある。

拷問は無実の人を「疑わしく見える」ようにする効果がある(GIGAZINE)

一部を抜粋してみます。


女性は「自白」することはありませんが、氷水に手をつける拷問に対し「無頓着」と「泣きながら苦痛を訴える」の2パターンの反応を使い分けました。女性に会った被験者は女性が苦痛を表した時ほど罪が重いと評価し、女性に会うことはなかった被験者は女性が苦痛を表さなかった時ほど罪が重いと評価しました。
被疑者が拷問を受ける様子をその場で聞かされたのではなく、過去の拷問の様子の録音を聞いただけの被験者は、被疑者が苦痛の声を上げるほど「疑わしくなく」感じたそうです。


目の前で拷問で苦しんでいる人を見たとき、その傍観者である自分は加害者の共犯者だと自らを判断する。このためその行為を正当化するために、苦しんでいる人が「悪い」人であると判断しようとするのではないかと研究者らは推測しているという。

患者さんが病気で苦しんでいるときに、医師は加害者ではないにも関わらず罪の意識を感じることは良くあることです。例えば目の前に二人患者さんがいたとして、その時に、痛い痛いと叫んでいる患者さんよりも、ただ脂汗をだらだらと流して顔面蒼白となっている人を優先して診てしまうとすれば、それは確かにトリアージとう観点から見て血圧が下がっている方が優先なので正解なのでしょうけれど、くみし易い相手を選んでしまうという心理的な影響がもしかしたらないとは言えません。正直言うと私は痛い痛いと言う人は苦手です。(無表情の人はもっと苦手ですが)それは私の心を突き刺すからです。痛くなくても痛いと口をついて出てくる人はいるのです。「痛いの?」と聞くと「いえ」と答えたりするのです。「痛い」の大安売りをする人です。私は少々むなしく感じます。子供に注射を打つとき、泣く子供と、泣かない子供では、泣かない子を「いい子だ」と言いますが、大人に関してもその印象を持ってしまいます。表現に誇張が入る事を計算に入れることは物事をより複雑にします。おそらくそれが嫌だという心理もあると思います。私は自分が痛みの共犯者と自らを判断しないために必要な思考回路の「一手間」を嫌がっているのだろうと分析しています。

痛い痛いと叫ぶ人を目の前にすると、未熟な医師の場合、「患者さんが悪い」みたいに言う人もいます。例えば内視鏡検査で患者さんが苦しんだとする。その時に怒る医者っていますよね。彼らは未熟なのですが、似たような心理状態かも知れません。

それではなかなか良い患者-医師関係が築けません。

もともと痛がっている場合は別ですが、医師は検査や治療において患者さんを苦しませてはならない。これは単なるヒューマニズムではありません。加害者としての自分を正当化するために自分が患者さんに対して攻撃的になってしまうことは避けねばなりません。まずそれを心しておかなければなりません。注射ひとつ、患者さんが痛く感じないように努力しなければなりません。

正しく患者さんを評価するためには、痛みという余計なバイアスを取り除いてやることが必要な条件なのではないかと思うのです。

患者さんは患者さんで、痛い痛いと演技をするのはやめねばなりません。素直に痛い、のは良いのですが、演技的に痛がることはあなたのためにならないと言うことです。むろん相手は人格者の医師で、あなたを受容してくれるでしょうが、そうでない医師もいるかもしれません。ですから客観的に痛みを訴えるに越したことはありません。そうすればあなたの病気は正しく評価されると思うのです。

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