2026/02/16

甘味技術史:欲望が試す生命の限界


人類のエネルギー革命を軸としたドラマ

人間はもちろん多くの生物は、甘味に抗えないことに異論を持つ人は多くないでしょう。はたして海に住む生物もそうなのかには興味がありますが、話が逸れてしまいますのでやめましょう。

しかし、甘味の嗜好はおそらくすでに進化的利点を越えたのだと思います。結果として、肥満や代謝疾患という代償が静かに広がり、AIのシンギュラリティを横目に人類の存続には赤い警告灯が灯っています。

本稿には誰かを断罪する意図はありません。ただ、“果糖ぶどう糖液糖”誕生以降の甘味技術をたどります。これが歴史の転換点だ、と信じるからです。

孔子の「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」を胸に、五幕のドラマとして淡々と描き出す調査の記録――その脚本案として流れを表現してみます。


第一幕:萌芽 ――「甘味は贅沢から必需へ」

  • 戦後米国:砂糖不足と穀物余剰を対比して描く
  • 1957年:リチャード・O・マーシャルとアール・R・クーイによる酵素異性化の成功
  • 思惑:コーンプロダクツ社の技術部門と農務省の期待
  • 哲学:「敖不可長、欲不可従、志不可満、楽不可極」を信条とするマーシャル
  • 葛藤:甘味を「公衆の幸福」と見る技術楽観と、倫理的逡巡の萌芽

【要約】

1950年代初頭、高価だった蔗糖に代わり、穀物由来の糖を安価に供給したいという政府の要請が高まります。イリノイ州の実験室でマーシャルとクーイは、グルコース異性化酵素により果糖を大量生成する方法を確立しました。この発明により飢えを知らぬ時代への門が開く一方、「欲は従わしむべからず」を胸に抱くマーシャルは、人の欲望が技術を奔らせる危うさを予感していました。

第二幕:拡大 ――「甘味の海へ」

  • 工業化:アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)による大規模生産
  • 追い風:1970年代オイルショックとトウモロコシ価格補助
  • 席巻:清涼飲料メーカーとの垂直統合
  • 熱狂:利益とシェアを競う企業家たちの傲慢
  • 暗示:ショーペンハウアー「富は海水のようなものだ。飲めば飲むほど、ますます喉が渇く」

【要約】

ADMは酵素固定化技術によって連続生産装置を完成させ、HFCS-55(果糖55%の糖液)をコーラ各社へ大量供給します。安価な甘味料は米国農業政策と結びつき「コーンシロップ経済圏」を形成。主人公たちは株価高騰に酔いしれますが、富がもたらす過剰の船は、やがて深い渦を巻き始めます。

第三幕:反響 ――「身体が告発する」

  • 予兆:1980〜90年代、CDC(疾病対策センター)の疫学図で示される肥満率の急上昇
  • 内部告発:社内資料で示唆されるHFCS摂取量とメタボ指標の相関
  • 対立:公表を求める研究部門 vs 隠蔽を図る経営陣
  • 社会:FDAヒアリングと議会証言、社会の分断
  • 報道:「甘味は悪か、欲望の鏡か」をめぐる論争

【要約】

CDCのカラー地図は年を追うごとに米国を濃い赤(肥満)へ染め、研究者ベス・チャンはHFCS摂取と肥満指標の並行線を突き止めます。しかし経営トップは株主訴訟を恐れて報告書を闇に葬り、技術者たちは良心と職を天秤にかけられます。議会での激しい応酬は、繁栄の影で育っていた事実を世に知らしめることになります。

第四幕:転換 ――「新たな甘味、旧い不安」

  • 希望:フィンランド発キシリトール、虫歯予防研究
  • 誘惑:1998年スクラロースのFDA承認、超高甘味の世界
  • 台頭:2000年代ステビア系甘味料、天然派ビジネス
  • 群像:理想主義者エリス、功利主義者ロペス、広報担当・千春
  • 再燃:腸内環境・発がん性をめぐる新たなリスク論

【要約】

HFCSの忌避感が高まる中、次世代は「安全で機能的な甘味」を掲げてキシリトール、スクラロース、ステビアの三陣営に分かれます。だが糖アルコールによる副作用や腸内フローラの撹乱が報告され、甘味探求は再び「安全」の壁に突き当たります。人々は「ゼロカロリー」を求めますが、欲望の潮流は変わらぬままでした。

第五幕:総括と未来 ――「限界を見つめる甘味」

  • 宣言:甘味技術は「生命の限界」を映す鏡
  • 贖罪:初代研究者マーシャルの回想
  • 啓蒙:公衆衛生政策と「適量」教育
  • 胎動:合成生物学による次世代甘味、選択は消費者の手に
  • 結び:孔子「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」

【要約】

老いたマーシャルは自らの発明がもたらした光と影を静かに語ります。チャン博士は「味覚リテラシー」を教え、ロペスは長期安全試験の義務化を宣言。スクリーンには合成微生物が産む未来の甘味料が映し出され、「選ぶ自由」と「節度の責任」が観客に委ねられます。最後に孟子の一句が響き、舞台は暗転します。

プロット全体のまとめ

このプロットは技術史・医療統計・哲学引用を交差させ、甘味に潜む人間の欲望と倫理的限界を描きます。歴史考証に基づきつつ、技術者たちの葛藤を立体的に配置しました(マーシャル以外の人名は架空です)。

あとがき

肥満の原因は多岐にわたり、各利害関係者は「自分は主犯ではない」と主張します。本稿はその応酬から距離を置き、最も影響を与えた「HFCSの発明」に焦点を当てて歴史を俯瞰しました。

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」。この言葉を胸に、日々の選択を省みるきっかけになれば幸いです。

2026/02/01

垂直方向の冒険者たち

高層ビル登頂(ビルダリング)の歴史、技術、および社会的意義

「馬鹿と煙は高いところへ上る」とは江戸時代から使われている言葉らしいですが、欧米でも同じ頃から、建築物があればどうしても登りたくなる一群がいたようです。

「ビルダリング(buildering)」という用語があります。人工構造物の登攀行為を指す言葉として、19世紀末から20世紀初頭にかけて確立されました。ケンブリッジ大学の建物を登ったようですね。

この言葉は「建物(building)」と、岩場での低高度登攀を指す「ボルダリング(bouldering)」を組み合わせた「かばん語」であり、元々は伝統的なアルピニズムの精神を都市という人工の山岳へと転置させたものでした。

2026/01/11

生物の「形」に潜む物理法則:紐理論とランダムウォーク

新年早々出会った論文が、読むのに随分時間がかかるものでしたので共有します。
ノースイースタン大学のBarabásiらが Nature 誌の表紙を飾った、"Surface optimization governs the local design of physical networks" という研究です。
そもそもこのイメージがなんなのか、という話ですが。
この表紙は3DプリントされたBarabási-Albertモデルです。ご存知ないと思うので文字をクリックしてみて下さい。

さて近年、脳の全機能をシミュレーションする「人工脳」の構築が現実的なゴールとして語られるようになり、競争が行われています。そして脳内の配線構造をどう模倣するかが重要な課題となっています。従来、脳の配線は「距離の最小化」、つまり信号の移動距離を最短にするという経済合理性に従って設計されていると信じられてきました。 半導体設計もそうです。

ところが、実際のコネクトーム(神経回路地図)を高精度な3Dで解析してみると、配線は必ずしも最短距離を通りません。一見すると非効率に迂回したり、奇妙な角度で分岐したりしていることが明らかになりました。

この謎を解く鍵として彼らが持ち出したのが、物理学の「超弦理論(ストリング理論)」でした。 研究チームは、ニューロンを単なる抽象的な「線」としてではなく、太さを持った物理的な「管(チューブ)」として捉え直しました。そして、南部・後藤アクション(Nambu-Goto action)と呼ばれる、弦理論で「時空の面積」を最小化するために使われる数学的枠組みを適用したのです。 (この計算は複雑で、コンピューターが必要です)その結果、驚くべき事実が判明しました。脳のネットワークが最適化していたのは「長さ」ではなく、チューブの「総表面積」だったのです。

特に興味深いのは、3次元空間で表面積を最小化しようとすると、親コードに対して90度の角度で枝が生える「直交分岐(Orthogonal Sprouting)」が、エネルギー的に安定な解として現れるという点です。これは、従来の「長さ最小化」モデルでは説明がつかない現象でしたが、実際の脳内では頻繁に観測されます。 ファインマン図や弦理論といった素粒子物理学のツールが、脳の解剖学的構造の「なぜ」を説明する日が来るとは、科学の越境性に改めて驚かされます。

さて、こうした「物理による形態形成」の話題になると、しばしば引き合いに出されるのが「乳腺」の分岐構造です。 乳腺もまた、限られた空間の中で表面積を最大化するような複雑な樹状構造を持っています。かつては、この形成プロセス
を「粘性指状化(Viscous Fingering)」、すなわちサフマン・テイラー不安定性という流体力学の現象で説明しようとする試みがありました。これは、2枚のガラス板の間に粘度の高い液体を挟み、そこに低い粘度の液体を注入すると、境界が不安定になり指状の分岐が生まれる現象です。なんとなく乳腺と似てますよね。

Wikipediaより

しかし、最新の生物物理学は、この単純な流体モデルに対しては批判的です。 実際の生体組織では、硬い細胞層が柔らかい脂肪組織へと侵入していくため、サフマン・テイラー不安定性が起きる条件(高粘度を低粘度が押す)とは物理的に逆の状態にあるからです。(それを説明するもう一つの仮説も必要でした)また、脳のネットワークが3次元的な「表面積」のルールに支配されているのと同様、乳腺もまた、2次元の流体現象では語りきれない複雑さを持っています。

現在では、乳腺の形成は受動的な流体の広がりではなく、より能動的な「分岐・消滅ランダムウォーク(BARW)」というモデルで説明されるようになっています。これは、枝の先端が粒子のように振る舞い、互いにぶつからないように「自己回避」しながら空間を探索していくプロセスです。 つまり、脳は「弦(String)」の物理学で、乳腺は「粒子(Particle)」の統計力学で、それぞれ異なる最適解を導き出しているのです。

そもそもこの文章を書き始めた辞典で私は乳腺もニューロンと同じ理論で説明できるのだろうかと考えていたのですが、どうも違うようです。しかも仮説が最近変化しており、これを調べるのに随分時間がかかってしまったというのが実際です。しかし、とても面白い話ではないですか。

こうした考えの延長線上で脳の皺はどうなんだという疑問も生じるところでしょう。これについても様々な説がありましたが、これも最近大きな動きがありました。2025年に「不均等成長説」で決定だろうというような論文が出ています。(Yin et al., 2025)大きな折りたたみ構造は白質と灰白質の成長速度に差があるので決定される、というのです。しかし皺の模様までは決定できません。皺の生成には軸索張力が関わるのではないかという仮説は生き残っていて、これが前述の表面積最小化と組み合わされると、その最適解として脳の皺の形が決定される可能性はあります。

フラクタルに支配され美しいとされる生物の形もその結果であり、その裏側では、それぞれの環境と機能に応じた厳密な数学的秩序が存在しています。 もし、私たちがこれらの物理法則──長さではなく表面積、流体ではなく粒子のルール──を正しく理解し、工学的に応用できるようになれば、世界は大きく変わるでしょう。 例えば、車のハーネスや半導体設計、エネルギーロスを極限まで減らした次世代の送電網、真に生物的な構造を持つ人工臓器の設計が可能になるかもしれません。

生物は、私たちが想像しているよりも高度な物理や数学で埋め尽くされているようです。聴力に関しては脳内でフーリエ変換をしている、とも言われますよね。非常に美しく合理的。 新しい年のはじめに、生命の設計図の奥深さを改めて考えさせられる、示唆に富んだ研究でした。