2020/05/19

「ジャーン」は鐘かオーケストラか

「ジャーン」というオノマトペの初出を私は知らないのだが、鐘をイメージするのが本来だろう。中国の銅鑼は古くから戦争で使われていて、10世紀頃から楽器となり18世紀にヨーロッパに伝わったそうだ。ルーツが同じだからオーケストラの音がジャンと聞こえてもおかしくはないわけだ。

競輪用語で「ジャンが鳴る」のジャンは鐘のイメージだと思うし、パチンコでの「ジャンジャン出てくる」も鐘なんだろう。

「ジャン」は鐘っぽいと言われればそうだ。「ジャーン」はどうかというと、あまり日本の鐘はイメージできない。多くの人がどちらかというとオーケストラの音を思い浮かべるのではないか。ベートーヴェンの交響曲第5番を「ジャジャジャジャーン」と表現したのは、いつのことだろう。そのあたりにオーケストラの音を表すオノマトペの源があるのではないか。

そう思って国会図書館を検索すると、古い文献に「ジャーン・ポール・サルトル」とか、「アゼルバイジャーン」は出てくるが、かすりもしない。それ以上検索出来ず断念した。

Google BooksはOCRでかなりの古い文章をデータ化しているが、これはどうか。
1936年の寺田寅彦全集、文學篇に「此の地鳴の音は考へ方によつては矢張ジャーンとも形容され得る種類の雑音であるし、又其の地盤の性質、地表の形状や被覆物の種類にょっては一層ジャーンと聞え易くなるであらうと思はれ得るたちのものである。」とあった。これは鐘の音をジャーンと表現しているようである。
1941年の村上知行訳水滸伝に「ふたりが山ちかくまでくると、やにわにジャーンと鐵躍の音がした。」とあるから、これも鐘である。
1950年の科学の辞典という本に「金属の円い板を打ち合わせてジャーンジャーンと音をたてるシンバルというもの」という表現が見られた。そうかシンバル辺りでオーケストラとの融合があるかもしれない。

青空文庫に行こう。
「ジャン! ジャーン!」これはモオパッサンの「親ごころ」の一節であり人名であった。違う。
寺田寅彦は1927年の随筆で「高知ほとりの方言に、ものの破談になりたる事をジャンになりたりという」などと書いてあり、これは鐘の音からイメージされる海の怪異現象を表すらしい。(おジャンになる、の語源のひとつがわかり楽しい:寺田寅彦「怪異考」)
泉鏡花は1927年の「多神教」という戯曲の中で「ズーンジャンドン・ジャーン」という表現をしている。
吉川英治は1926年の鳴門秘帖で「ジャーン!すぐ、程近いすじかい見附の夜を見守るお火の見の上から、不意に、耳おどろかす半鐘の音。」これは大阪毎日新聞に連載されたから、ジャーンというオノマトペは、多くの人の目に触れたに違いない。
青空文庫内にベートーヴェンの交響曲第5番を「運命」と呼んでいる文章はあるけれど、まだ「ジャジャジャーン」は出てこない。

突然テレビの話題になるけれど、ハクション大魔王が1969年放送開始(サザエさんと一緒です)であり「呼ばれて飛び出て ジャジャジャジャーン」と言ったわけだけれど、これはやはり鐘なんだろう。とてもキャッチーな表現だ。「ジャジャジャジャーン」はベートーヴェンの「運命」にも使われる表現であるが、ハクション大魔王以前にその表現はなかったのかもしれない。語感が良いのでそれは人々の心に残ったかもしれない。

では、いつからオーケストラの音をあらわすように?
またGoogle Booksに戻り、1969年~1980年で検索してみる。
1969年、藤田圭一著の「素顔の放送史」という本の中に「交響曲第5番「運命」の主題とともに~ジャジャジャジャーン」なる表現が見える。
1970年中央公論に掲載されたらしい五木寛之「ユニコーンの旅」の中に「タッタッタッと足で床を叩いてジャジャジャジャーンと前奏だ。」という文章があるようだ。
1972年「経済と外交(596号)」の73ページ、連載コラム〈蛙声〉の中で「ジャジャジャジャーン、「運命」が鳴り響く」という表現が見られる。

山本直純さんは「ジャジャジャジャーン」と言いそうだなと思って調べたけれども検索結果なし。1973年から「オーケストラがやってきた」の放送開始。

ジャン、ジャーンというオノマトペがオーケストラの音にも使われだしたのはハクション大魔王にインスパイアされた1969年あたりなのだろうか、というのが今の所の推測だ。

さて、自分の脳内ではジャン、ジャーンは両方オーケストラなのだけれども、それはなぜだろう。なぜオーケストラのイメージが強いのだろう。

30年ぐらい前フランスに旅行したときに、生まれて初めてクロッシュ(料理を保温するための金属製のドームカバー)が現実に存在するのだなと思ったし、それをセルビスの方が持ち上げるときに、「ヴォアラ(voila)」と言うことが多くあって、その瞬間自分の脳内では「ジャーン」とオーケストラの音が鳴っていた。

米国ではどうかというと、クロッシュ(米国ではドームカバー)を使うようなファンシーなお店は数えるほどしか行かなかったように思うけれども、持ち上げる瞬間のかけことばは「タダーッ(Ta-da!) 」じゃなくて「ヒアユーアー」でちょっと残念だった記憶がある。でも子供番組では「タダーッ」は良くあって、やはり脳内ではオーケストラの音が鳴る。

そういうオーケストラの「ジャン」とか「ジャーン」という音にはちゃんと名前があるそうで、オーケストラ・ヒット、というのだそうだ。


https://yamdas.hatenablog.com/entry/20180529/orchestrahit

この表現は1980年代に多く使われたと聞けば、なるほど自分がフランスに旅行する前ぐらいの事で、「ジャン」にオーケストラのイメージが焼き付いていたのは納得が行った。

そんなことを考えていた5月14日のこと、たまたまついていたテレビではNHK連続テレビ小説『エール』の第34話が放送されていた。二階堂ふみさんが、帰宅した窪田正孝さんを「ちょっとちょっと来て来て」と居間に連れていき、布で包まれた何かを「これは何でしょう?」と見せていた。



もしかして「ジャーン」って言っちゃいますか?言っちゃいますか?とほんの数秒思ったところで、二階堂ふみさんが「ジャーン!蓄音機でーす」と披露したので、少々驚いた。(調べたらこのエピソードは1930年ぐらいのことなので、吉川英治が書いていた少し後だから、この表現が使われていてもおかしくない)

実は二階堂ふみさんが発したこの「ジャーン」が、鐘からオーケストラへの転換点でした、だったら凄く面白いのになあ、というのが感想。

2020/05/04

20200504

データはヨーロッパ連合EUのポータルサイトから。

PCRで診断された人の10%が重症化し、呼吸器をつけることになり、1-2週間で75%が亡くなるというモデルにとりあえず当てはめてみている。自分が医療崩壊を起こしたと判断するのは、このモデルでは説明できないほど死者が多くなっている場合で、今回の中ではイタリアとベルギーだ。英国、スウェーデン、米国は、ある程度コントロールされているような計算結果となる。ドイツはコントロールされている。

イタリアは、医療リソースが不足したままの状態でCOVID-19が広がってしまった国である。診断のためのPCRも十分行われているのかどうかはわからない。自分の計算では人工呼吸器のピークは4月2日で、9543台が必要だったとなっているが、第一波はピークアウトしているのが見て取れる。国土が南北に長く日本と似ている事はどういう影響があるのかはわからない。自分が子供の頃はイタリアは医者余りと言われ、医師免許を持ちながら他の職業に就いている人がかなりいたとされていた国だ。
正確なIgGテストを使った集団免疫の研究が行われて欲しい国の一つだ。

英国はイタリアとは同程度の人口でNHSという医療システムを誇る国であり、成熟した社会という印象がある。イタリアと異なるのは最初の直撃を避けたようだということで、自分の試算では必要人工呼吸器数は4月13日ごろにプラトーに達して7000台程度の状態がずっと続いている。ある程度の平衡状態にあり、医療崩壊を起こしていないような印象があった。

ベルギーは、インペリアル・カレッジ・ロンドンの数理解析チームが最も感染が広がっていると仮定していると聞き数字を拾ってみた。仮にガンゲルトやカリフォルニア、ニューヨークのデータを当てはめると国民全員が既感染、ぐらいになってしまう。神戸のデータもそのまま信用できないと思っているのは、自然免疫獲得についてはベルギーの動きが大切だから。ほぼイタリアと同じで、ピークが非常に早く来ている。ベルギーはコホート研究が非常に進んだ地域であって、今後パンデミックに対する方針を決定するときに非常に重要なデータをもたらす可能性がある。

スウェーデンはロックダウンを行わずにコントロールしている国の代表で、それを批判するマスコミもいるのだが、最初の直撃を受けさえしなければ、医療崩壊を起こさずに平衡状態を保つことができるのかもしれない。ちなみにスウェーデンは靴を脱ぐ国である。

米国は多様な国で国土が広く縦横に広がっているのが今まで挙げたイタリア、英国、スウェーデンとは決定的に異なる。すごいなと思ったのが、直撃を受けているような急峻な患者数の上昇にも関わらず、医療が破綻したと思われる死者数の増加がなくて、計算上は人工呼吸器が足りている、と私のEXCELが言っていることだ。(なんと6万台ぐらい使っている計算で、割合的にイタリア・英国の2-3倍なのだが崩壊を起こさずになんとかしてしまっている)その状態で平衡状態に達している。

ドイツは危機管理のお手本のような国だとマスコミから言われているが、本当だろうか。ヨーロッパでは最も早くにクラスターが発生した国なので、相応の備えができていたとか、ロックダウンを地方地方でまめに行ったとか、それを行う法整備が既に行われていたとか、医療が完全DPCでリソース分配が得意だとか、様々な理由があるのだろう。オーストリアと共にロックダウンの解除を行うとのことで、第二波の教師データとなるのであろう。

最後に日本であるけれど、クラスター対策をしている時期はPCRが多くなり無症状者もひっかける、クラスターがバラけてくるととたんにPCRが少なくなり、有症状の肺炎患者のみになる、という特徴がある。患者数が少ないため、結構バイアスできれいなデータにならない。今の所ある程度の平衡状態は保たれているように思えるので、6月からどのような通常診療を行うべきか、どのようなゾーニングを行うか、当院のプロトコルを決定すべきと考えている。

日本は4月前半まではもっと死亡率が低いモデルで計算が成り立っていたのだけれど、死亡率を上げないといけなくなってきた。高齢者を含むクラスターの発生や、他国よりも遥かに長期間呼吸器やECMOを装着すると考えるがその限界が数字に顕れたのかもしれない。
シンガポールはPCRの数が非常に多く見た目の死亡率は極めて低い。IgGによるデータが揃うまでは、これを逆算すると真の感染者数を推計することができ、有症状の10倍以上は感染しているかもしれないという推測は正しいのではないかと感じている。

さて、このようなデータを出すシンクタンクもある。日本は幸い他の部分で補っているものの、決定的に遅れているのは有症状であっても肺炎が起きないとPCRができず、したがってホテルなどの施設に隔離もできなくて家族に感染するのを黙って見ていなければならないという現状かもしれない。