2019/07/10

審美眼について

ローザンヌ国際バレエコンクールの解説は2017年から山本康介さん。短い時間でバレエへの理解が深まる良解説です。家族は知っていたから有名な人なのだろうと思う。今回はじめて見ました。

パリオペラ座バレエ学校のクロード・ベッシーさんの解説を懐かしむ声もありますが「体型、見た目をまずぶった切る」という、おそらく現代では放送コードに引っかかるような内容ではなく、むしろ総合芸術の本質とは、を我々にわかりやすく解説する、素晴らしいものでした。(言葉そのものは抽象的ですが、それがまた良い)
ベッシーさんの視線も「伸びしろを見る」という点では共通点はありますがダンサーの印象を我々に残さない内容であったことに比較すると、山本さんの伸びしろ目線は、ダンサーの個性を際立たせたという点で番組としては上質である、と感じました。米国のマッケンジー・ブラウンさん(1位)、ブラジルのガブリエル・フィゲイレド(2位)さんの舞踊は解説がなくても「お!」とういものでしたが、解説がついてなおよくわかりました。ローザンヌの審査は練習段階から始まると聞きますから尚の事彼(練習を見ている、ベッシーさんもそれとわかることを言う)の解説は舞踊の印象を補完してくれるのです。

山本さんに興味が湧いて検索し、インタビュー記事を読みました。バレエの発生がフランス貴族社会で、キツネの手の形は指輪を落とさないためであるとか、歩くとき膝が先に出ないのはハイヒールを履いていたからとか、クラシックバレエの必然性や作法の由来が書かれていて納得しました。それに加えて面白い記述がありました。フランスと日本の総合芸術に関する感性の差。

>たとえばフランスは、「オシャレで遊び心があって、きちっとした中に一つだけ乱す美意識」。それに対して日本は、「全部完璧じゃないといけない。」

これを読んで「あれ?」と思うのは自分だけではないかもしれません。千利休が塵一つなく掃き清めた庭に最後にもみじの葉をほんの少し散らしたエピソードは有名ですが、日本だってそれを「美」としていなかっただろうか。日本の総合芸術(バレエ)における美意識が「完璧さ」だとしたら、かけ離れています。いったいどう発達してきたのでしょう。(関係ないけど「いきの構造」を書いた九鬼周造はフランス留学をしていて良かったと思う)

急に話が飛びますが、よく患者さんで医者に完璧さを求める人がいます。それは正しい評価力を持たない不安な気持ちを隠す行動に見えます。総合芸術に限らず、スポーツなどあらゆる場面でこの国では「完璧の追求」が垣間見え、それが肯定される傾向はあります。お笑いですらそういう傾向があるように思う。しかし、それはもしかすると審美眼を育んでいく姿勢が受け手側に欠如している事が背景にあるのかなあと思いました。千利休もそんな感じの発想はしていたように思います。

子供の審美眼(にとどまらない、何かを評価する力)をどう育てるかは先日デトロイト美術館でその一端を見ました。

若い人はどのように芸術を鑑賞すれば良いんだろう?という問いかけに、デトロイト美術館の答え(の一つ)。「彫刻があったら、その形態の真似をしてみる。それも正しいアートの鑑賞方法の一つです」と。

アートに自分の人生を投影するのは大人の鑑賞法ですが、その逆で、作品を自分に投影せよというのです。確かにこれは正しい審美眼の育て方の一つです。日本も同じ教育をしていると思いますがそれの意味するところを上手に言語化することで審美眼が育った気になる、という点が違うかもしれません。

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