「情緒の系図」という本で哲学者の九鬼周造は「不安」を上手く書きあらわしています。すなわち一か他かの決定を孕んでいる危機の情緒が「不安」である、と。未来の可能性に対する緊張状態であり、しかしそれは不快とは限らないとも書いています。我々が行う治療には必ずリスクがつきまとい、未来は不定であるから、不安は医療の添え物のように存在するはずです。その乗り越え方には多様性があり、どれだけ多くの乗り越え方を提供できるかが医師の力量度量であると思います。第一次世界大戦終結はヨーロッパの人々をたいへんな不安状態におとしいれました。戦争が終わったのに、ますます不安なのです。ではどうやって彼らはそれを突破したか、というとそれが「実存主義」で、その言葉を聞いたことがあるでしょう。この実存という言葉は九鬼周造が作ったものです。ものすごく簡単に言うと個人・現実を大切にしよう、という事です。有名なのはサルトル。医学においてこの考え方は便利で「不安、未来に到達することで解消される精神状態です。一歩ずつ前に進みましょう」という主張に使えます。
第一次世界大戦は当時のヨーロッパの人々の価値観を破壊してしまい、特に宗教を背景にした確固たる自信は失われたようで、長い「不安の時代」に突入したみたいです。日本は戦争で疲弊したヨーロッパと比較すると非常に裕福であり、当時ヨーロッパに留学した日本人、九鬼周造もその一人ですけれどもずいぶんと良い暮らしをしたようです。おかげでその思想が輸入できたみたいですが。
当時のヨーロッパで発生してきたのが「個人主義」「今を楽しもう」というようなコンセプトです。めっちゃ大雑把に捉えればそれが実存主義なんでして、その考え方はいろんな不安を抱えている人と話し合う時に、「不安は未来の結果を予測する気分のひとつ」「しかしその未来が来た瞬間、その不安の有無はなんの意味ももたなかった事に気づくだろう」「その気分は良くも悪くもないけれど、とりあえず今をしっかりと生きようね」と説得するために使います。実存主義で有名なサルトルと交流のあった九鬼周造が実存主義という言葉を最初に使ったんですね。
患者さんによって「腑に落ちる」文章のパターンは異なります。普通に書くと(自分のメモとして書くと)前のパターンになります。患者さんの反応を見ながら話したという想定で書いたものが後ろのパターンです。でも明治維新で欧米列強に潰されずにすみ、日露戦争で一定の結果をおさめ、第一次世界大戦で疲弊した欧州の文化を日本が金に任せて(表現は悪いけど)輸入したというような自分の歴史感が、むじろ雑談系の文章には混ざり込んでいるのは面白いかもしれません。
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