2017/09/26

上部内視鏡検査のクオリティ・コントロール(QC)

繰り返し書いている話題ですが

Gutに載った新しい英国の上部内視鏡検査ガイドラインによれば、

Gut. 2017 Aug 18. pii: gutjnl-2017-314109. doi: 10.1136/gutjnl-2017-314109.

1) 年間100例以上の経験を有する医師
2) 徹底的に粘液除去してきれいな写真を残す
3) 通常の検査は7分以上
4) 悪性に見えたら6箇所以上の生検を
5) 最後の内視鏡をしてから3年以内に見つかった進行がんは見逃し例とカウント(便宜上のカウントです)して、そういう症例を10%以内にコントロールする

ざっと読んだだけだから間違えてるかもしれないけれど、そんな感じで世の中でおなしゃす
僕はもう専門医は更新しませんでした
生検の部分は真似できません もっと少ないです

自分が内視鏡ファイリングを作った理由はクオリティ・コントロールのためです。たとえばブレ、レンズ曇り、粘膜の除去不十分、近接しすぎ、暗い、ハレーション、などを減点していって点数化する。そういう事をやろうとしていました。自分は合格していると自信はあります。(相当難しく、合格できればアベレージレベルどころかトップエンドスコピストだと思います)

今の検診レベルを引き上げるためには機械的な採点が大切で、読影会より重要じゃないかと個人的には思っています。

2017/09/25

なぜ腸内細菌叢の変化で太るのか

「マイクロバイオーム」という言葉は知っておくと良いと思う。

なぜ腸内細菌を変えるだけで太ったり痩せたりするのかは以下の仮説で簡単に説明ができます。


  1. 細菌の産生するエンドトキシンが直接肥満に関与するわけではおそらくない。
  2. 細菌のエンドトキシンによって、小腸のIEL(Intraepiterial lymphocytes:粘膜内リンパ球)に炎症が起きるのだが、このリンパ球がTNF-α, IL-1, IL-6などのサイトカインを産生する。このサイトカインは門脈経由で肝臓に達しインスリン抵抗性を誘発する。
  3. このため高インスリン血症が生じ(中略)肥満となる。


ここでいくつか肥満をブーストする事象が発生する。


  1. 小腸の腸間膜に分布する脂肪細胞はその細胞が他の脂肪細胞とは違いTNF-αを産生する能力があり、肥満を加速する。(いわゆる内蔵型肥満やメタボリック症候群の本質はこれです)
  2. これとは別にNASHの話だけれど、横浜市立大学から発表されたが、肥満ではレプチンが上昇するがこの高レプチン血症はCD14がKupfer細胞上に増加し、エンドトキシンに過剰反応し肝炎を引き起こす。


家畜に抗生物質を使用するのは家畜を守るためではなくて太らせる効果があるからで、これは腸内細菌叢の変化を利用しているわけだ。
ちなみに血中CRPがなぜ動脈硬化と関連するか。CRPはIL-6と連動して動くので一種のマーカーとして使えるという事だ。

僕は横浜市立大学大学院でTNF-αを研究させていただいたんだけれど、不肖の弟子だったので全く実績を残せなかった。けれども自分が研究していることは真実であって、論文のための実験ではない、という自信だけはあった。市大の先生方には今も感謝している。

2017/09/20

会話の手法

「胃が痛いんです。この痛さがなんとか取れれば良いと思っている」

例えばこういう言い方をする人がいたりすると頭がいい人だと思う。

「胃が痛い」だとか「薬くれ」などの台詞のほうが頻度が高い。

痛いのが胃なのかどうかは本当はわからないのであるが、「薬をくれ」でもなく「痛みを取ってくれ」でもなく「取れれば良い」という表現は"by whom"が曖昧で、変な時間的な圧力を相手(この場合医者)には与えない。こういう表現ができるインテリジェンスの持ち主ならば「胃」が痛い事にことについても彼らなりの根拠があるだろうと判断するのである。

少し主観を離れたような言い方は、SNS*1かなにかで誰かに(あるいは自分に)向かってつぶやくような視点とでも言えるだろうか。

察してくれ)とか(直接的な要求)などという、本来は会話とは言えない内容の会話をしている事が外来では多く、おそらく実社会で家族や友人同士よりも別の関係性のある人と話す事が多くなってしまった現在ではそれが普通となっている。しかしそれらと明らかに違う(独白的な、客観性のある)視点はSNSでは良く見られ、それが実社会でも見られるようになったように感じている。しかしこれはもしかしたら以前からあったのに気づいていなくて、情報を受け取る自分が変化して自覚するに至ったのかもしれないとも思う。



とはいえ、そういうときSNSで「こういう薬が良いですよ」などとコメントする人がいると、薬をとりあえず出しちゃう医者と同じだなと思って苦笑する。考えてないというか。SNS時代のコミュニケーションがわかってないというか。昔だったらそれも親切の一環だったのでしょうが。

SNSが従来のコミュニケーションと違うのは、その人の過去やプロフィール、あるいは会話法が見えている事が多く、情報が多いために、親友でなくても背景を想像しやすいという事である。もちろん今まで自分はSNSが普及していない時代から、初めて会った相手のそうした背景を言葉の端々から想像していくことを得意としていた。しかし特別なテクニックを用いなくとも相手の背景がわかるようになった今の時代には、今の時代のコミュニケーションがあるのだろう。



*1 SNS……ソーシャル・ネットワーキング・サービス:FacebookやTwitterなどインターネット上で個人と個人とがつながっていくサービスのこと。小さな社会をそこで形成しているが、その伝播範囲が広い(狭くもできるが)事が特徴。

2017/09/18

天才とビッグデータ

医療をビッグデータを学習させたAIで行うと、ノイズを弾くため案外凡庸なAI医師が出来上がる可能性と、ノイズの中にある天才的着想が埋もれてしまう、という2つの懸念を持っている。

天才は身近に何人かいるし、自分も天才とは言わないまでもかなり変わった着想をするが、それが埋もれぬようにするためには、AIに入れるデータは最低でも30年分ぐらいをまとめて、という発想が大切である。長期的に良いパフォーマンスを生み出している医者(これは間違いなく天才)の変化(!)こそが重要である。

院長は自分の患者についてきちんと電子的に保存しようと発想したことが非凡であり、40年分以上のデータがすでにある。(NECのPC-8001が発売されたころから)

自分が医者になった時にすでに20年分ぐらいデータがあって、幸い自分はそういうデータを活用できる人間としては非凡であり、天才本人が気づいていないそのデータの使いかたを着想して応用してきたから、医者になってすぐにそこらのベテラン医師を超える経験を身に着けていたといえる。(その点については自信を持っていた)

その後癌研(大塚→有明)に行って、1年あたり10年分の経験を身につけられる場所があるのだなと知り、病気はハイボリュームセンターで診なければ意味がないと考えるに至った、その経験が共有されないならば。(つまり現状では病気になったらハイボリュームセンターに行くべきだ。完全に共有される時代になればその限りではない)

しかし時代は変化していくだろう。
VRやMRで名医の経験が脳に直接接続され共有可能な時代が来る。これが未来の医学教育となるはずだ。その中で少数の、名医の感覚を理解出来、発想を発展させる、あるいは独特の感性を持つ人間(たぶん少数)が選ばれて次世代の名医になる。(特に優れた人間は、なれるものではなく、選ばれるものである)

天才の発想や経験を記録したり共有してそれが理解できる人を選ぶことが、時代を加速させていくために必要なことだ、と考えている。これは今進行しているビッグデータ云々とは少し違う発想である。







注:世の中で「独自の」とか言ってる人は100%イカサマである。自分の世界しか見えない人は自分の考えが「独自」と思ってしまう。天才は「誰でも見えるでしょ?わかるでしょ?普通じゃん」と思ってしまうものである。逆にそれをフィルターにも使える。自分は特別なことをやっている、と自分で言う医者は避ければ良いだけである。自分の興味は本物の天才の行方だけである。本物の天才がどのように考え発想し、それがどう変化していくのかを見届けたいが、それをどう見出すかを常に考えている。

2017/09/17

言語の理解は重要だが

普段仕事で多数の人と話すのですが、日本語を言語として正しく理解している人としていない人がいて、後者の方々はときに不幸な場合があるかもしれません。


Aという事象や概念がある場合、これを言語化して私は相手に伝えます。言語化というのは非常に高い能力が必要です。東京大学の文系でもトップクラスの人々や、東大模試で国語全国何位、という人々が選ぶ言葉は意味が厳密に規定され、「聞く人が聞けば誤解が少ない」ようにコントロールされています。しかしそれを理解できる人はあまり多くはないようです。幸い私は大学受験時に国語の成績だけは(理系の中では)トップクラスで、ある程度は得意だからわかるのかもしれません。わざと誤解しやすいように歪曲して伝える事も簡単で、それを利用して生業にする職業の人々もいるぐらいです。


さて、言語化されたAという事象。


正しく言葉を理解できる人は「事象Aが正しいかどうか」を考えることに集中できます。しかし正しく言葉を理解できない人々は「Aが正しいかどうか」以前にAを誤解している可能性があります。したがって聞いた情報が正しいかどうかを判断することが難しいのです。これは時に不幸です。とりあえず私を信じれば、医師が決して患者にデメリットがある提案はしない前提ですんなりと事が運ぶけれども、信じられない人は永久に抜け出せないデススパイラルにはまってしまう。


時々医療者が信じられないと受診する人がおられますが、それは2つに分けられ、後者の人々がいる。何かに文句をすぐに言う人にも後者がいる。言語が正しく理解できていないから、誤解の解消もとてもむずかしいのです。相互理解が不十分であっても、そうならぬよう予防しているのが「信用」とか「信頼」なのだと理解しています。人類の歴史上、コミュニケーションに難があるケースが多々有ったと思われ、必然的に生じた概念ではないか、と思います。


信頼を得るために嘘八百の言葉が並んでいるのが今までの世の中です。真実が隠蔽されている、と不安になる気持ちはわからないでもないのです。その背景には言語の理解不足がある。

たぶんビッグデータが活用されるようになると大きな嘘がつけなくなります。その代わり、100%の信頼など幻想だということもますます明らかになるはずです。もちろんコンピューターを騙す手口も開発されるでしょうが、今よりは真実がわかるようになります。
そういう時代になりますと、ますます言語を正しく理解する能力が必要になってくるのです。


がんばって勉強しようね、と若い人にいうのはそういう理由です。

2017/09/02

記録とノイズ

患者さんにはなんでも記録しなさい、と言っている。
なんでも、だ。
これはもしかしたら病気と関連しているかもしれない、などという情報は邪魔で、一切のバイアスを入れずに淡々と記録することだ。
何を食べたか、というような写真は悪くない。

それに対して「なんでも記録する事は患者を神経質にするのでは」という批判が考えられる。

自分もその可能性があると思い長年注意深く検証を続けてきた。
しかし「神経質」とは「特定の情報への執着」であって、情報をまんべんなく収集することではない。非常に偏った情報収集の仕方をすることが「神経質」の本質だ。

まんべんなく収集することはそれに相対する概念で、患者をそれ以上神経質にすることはない。むしろ大量の情報を集めてみると実はそれらが因果関係の特定にはほとんど役に立たないということをわかる材料となる。

因果関係がないならば、情報収集は無駄じゃないかって?そうじゃない。

報道や占い師など、まるで物事にすべて因果があるかのように書くことがあるかもしれないけれど、それは嘘で、事象は偶然に左右されることが多いのだ、という事をまず理解することが重要だし、大量の情報収集はそれを勉強するいい機会だ。待って過ぎ去るのを待つことがもっとも期待値の高い対処法だ、というような事は風邪のときの振る舞いの分析などから明らかになる。ノイズがないときには逆におかしい、と気づくことも可能だろう。

また情報のアノマリーが出現したときには、これは普段とは違う、という事を気付けるきっかけになる、しかも高精度にだ。多くの患者さんの「普通」とか「こんなに痛いのははじめて」という表現は、ひどくいい加減で信用が出来ることは少ないが、とてつもなく豊富な情報を持っている人のそれは、信憑性が増すのは当然の事である。

さて人に共感する能力が高い人はこれらの記録が不要なことがあるかもしれない。ありとあらゆる隣人の経験を自分の経験として感じることが出来る彼らは生まれつき多くの記録を脳に有する事になっていて、しなやかな考え方を持っていることが多い。彼らの判断というものは比較的正しいことが多い。