怪盗グルーという面白いアニメがあって、私は見ていないんだけれども、映画の原題には「怪盗」のカの字もないのだ。コンテンツとしての「怪盗」という物語の分野は日本に限らず確立しているように思われるのに英語にはそれっぽい言葉がまだ見つからない。不思議だ。
この「怪盗」なる言葉の初出がわからない。そこでまずkosho.or.jpにアクセスし、書籍の題名に「怪盗」とある本を探すともっとも古いのは1926年佐川春風(森下雨村)「怪盗追撃」である。佐川春風は探偵雑誌「新青年」の編集長なのだからさもありなん。ただしこれが初ではないだろう。
そこでGoogleブック検索で、1900-1925年で検索した。19世紀には見つけられなかったから。どうも1911年の外国映画「ジゴマ」とは関連ありそうではある。
『探偵奇譚ジゴマ』の名で映画が大ヒットし社会現象となり、映画の規制にもつながったほどだというのだ。(今の中国が日本文化を規制しているのと似ている)これは「新青年」にもつながるようなのだ。一方、確実なもの、というと1922年の「新青年」内に「〜ルハンは怪盗てあるが血と殺人の大嫌ひな怪紳士〜」との記載を見つけた。
「新青年」の前身は雑誌「冒険世界」であってこの編集者兼著者である押川春浪、三津木春影は関係ありそうな気はする。気はするが横におき、やはりルパンを避けては通れぬから調べると、出版年は1907年とある。「怪盗紳士」の題名が後年つけられたのかどうかがどうにもわからない。古書も売っていない。日本語訳がすぐに発売されたわけではあるまい、、、と悩んでいると、英語辞書の例文にこんなものが見つかった。
This Hoshino is the same Tatsuo HOSHINO that first translated Maurice LEBLANC's "Arsene Lupin, Gentleman Cambrioleur" the year before while still working for the Ministry of Education.
星野とは、文部省勤務ながら、この前年モーリス・ルブランの『怪盗紳士ルパン』を初めて邦訳した保篠龍緒である。
おお
保篠龍緒、本名・星野辰男、文部省勤務とある。「奇巌城」のタイトルを考え出した稀有の語学センスの持ち主。彼が最初にルパンと出会い、感激し、ルブランから翻訳権を獲得し、金剛社から「怪紳士 怪奇探偵 モリス・ルブラン」を発表したのは1918年である。残念ながら簡単には手に入りそうにないが、あとは1918年から1922年「新青年」までの4年を埋めれば良いような気がしているのだが。
国会図書館にはあることはわかったものの「新青年」のマイクロフィルムを眺めるところで躓いた。
ところが国会図書館の在庫検索中にこんな本を見つけた。
1908年の本である。
怪世界 : 珍談奇話 鈴木英四郎 (華僊人) 編 精華堂 明41.7
なる本の中に、「怪盗」という作品があるのである。
面白いので書き起こしてみた。
怪盗
貞享(じょうきょう:1684-1687)の頃、下谷(したや)池之端仲町(現在の上野一丁目:不忍池の南)辺に、山口屋という一の質舗があって、資産きわめて豊かに、土蔵十一戸前を所有する位であったが、その主人というのは、日頃不忍弁財天を非常に信仰していた。するとその頃、幕府の沙汰で、近日不忍池を埋め立てて地所にしようとう評議が起こったのを聞いて、某は非常にそれを気に病んでいた。
ある日の夕方、早や店の戸を閉めてその日の勘定に取りかかっていると、表の戸をコトコトと叩くものがあるので、店の若者が戸の蔀(しとみ)を開けて様子を伺うと、こはそも如何に、銀金物を四周(ぐるり)に打った立派な駕籠を中央(まんなか)にして、その前後左右には、侍衛と見える士(さむらい)数十人が警護しているので、若者は驚き慌てて早速主人にその趣きを告げたので、主人も驚いて出で迎え、一行を家の中に請じた。
すると駕籠の中より出でたのは、天女かと見まごうばかり、気高く神々しくて、顔(かんばせ)は、桃李を欺き、衣装は悉く綾錦を飾った一佳人である。佳人はいと鷹揚に座につき、徐ろに朱唇を開きて、さて言うよう。
「そも妾(わらわ)は人間ならず、そなたが平生信ずる弁財天の使いなり。此度将軍家には不忍池を埋め立つるよし、天女聞こし召して、痛く神襟(しんきん)を悩まさる、されど弁財天女は、もとより神通力おわす故、一勺の水の中にすら身を隠し給うを得べけれど、いかんせん眷属(けんぞく)数千百の鱗(うろくづ)は、干潟に身を託すべきようなければ、皆うちしおれて運拙(つたな)きを託(かこ)つのみ。弁財天女深くこれを憐ませ給い、何とかしてこれを救わんとの神意斜めならざるおりから、幸いにもそなたの家の庭には広やかなる池あるを聞き及ぼせ、すなわち妾を使いとして、そなたの池を眷属の棲家に狩り得させよとのおおせごと。そこにおいてもし、弁財天女を信ずることに厚かりせば、決してこの仰せを背くべからず。ただし天女には、近日風雨烈しき夜を待ちて眷属をひきうつすべき神意なり。さればそこには、その日に至らば、固く家の戸を閉ざして、一同部屋に引きこもり、構えて、戸の隙より覗い、あるは外にいで有りようを探るなどの事あるべからず。もしよくこの事を守らば、弁財天女は汝が資財を十倍にして報い給うべし。伝宣のおもむき先ずかくの如し」と口上を述べたので、某は信仰のあまり、随喜渇仰(ずいきかっこう)し、厚く主従をもてなして、やがて帰るのを見送った。
かくて十日あまりも過ぎて後、ある日朝より空が曇って午後より雨が降り出し、風さえ次第に吹き加わった故、さてはこの日こそ弁財天の来迎あるべしと、終日斎戒(さいかい)して家人らを戒め、夜に入ってからは固く門戸を閉めきって誰一人外出せぬようにと戒めていた。
すると、夜も二更(午後10時ごろ)の頃に至って、風ますます激しくなって庭の木や竹が風に揺らめく音すさまじく、なおまた池の水のザワザワと波立つ音物すごく聞こえるので、さては今こそ神の来臨なるべしと、一同息をこらして慎み恐れていた。そのうち雨も次第にやみ風もまた静かになったので、やれ嬉しやと夜の開けるを待ちかね早速門戸を開いて庭の池を打ち眺めると、昨日に増して魚類がおびただしく泳ぎいるので、さては弁財天の使いしめが来たられしよな。さて約束の報酬は如何に、先ず倉庫を改むべしと言いつつ、裏に立ち並ぶ土蔵をいちいち検査してみると、こはそも如何に、いずれの土蔵もみな錠前を放ち、大戸を開きあるので、こは訝しと中へ入ってみると、質物と言わず、什器と言わず、千両箱と言わず、十に八九は悉く紛失していたので、某はただ肝を抜かれ、口あんぐりと空いたばかりであった。
さて話変わって、甲州街道のある山中に一の神祠(ほこら)があるが、その祠の前に、山賊とも見ゆる数多の者共うち集い、今しも担い来たった盗み物を所狭しと置き並べ、これから分配しようと言う目論見の様子である。
おりから祠の戸を開いていできたのは、山賊の頭とおぼしけれど、見れば歳は二十八か憎からぬ、嬋娟窈窕(せんけんようちょう)たる一佳人であった。佳人はにっこ(嫣然)と一笑して、
「いや皆の者、旨く行ったなあ」
この佳人こそ、先に神女の使いと称して、質屋の主人を欺いた痴れ者で、例の少しく風雨ありたる夜、数多の手下を使嘱して、夜半に質屋に至らせ、庭の樹木、竹枝に縄をつけ、これを引っ張り動かして激しく風の吹く音に擬し、あるいは池の水を撹乱させて波の立つ音を真似、かかる響きのうちに、巧みに土蔵の戸を開ける音、貨財を運びだす音を紛らわせたのである。
何と一風変わった奇賊ではあるまいか。
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