これはもう哲学の問題ですが、私は脳を含めた人間の機能はすべてシミュレーション出来ると考えている医者なので、「精神的な」という言葉を使って病態を患者に説明することを避けていると思います。鵜川にそう説明を受けたよ、という患者さんがおられたらすみません。説明が難しすぎて理解できない患者が「結局精神的なものですか?」と仰って、それに対して「みたいなものです」と説明したことはあったと思います。
でも世の中ではこの言葉はよく使われるようです。では医者はどういう時に「精神的な」という言葉を使って患者に説明したがるのかを考えてみます。
1)時間短縮のため
多彩な症状の一つ一つを一元的に説明することは天才であってもなかなか難しい事であり、ましてやそれを医学知識のない患者に理解してもらうのは大変です。詳しく説明することは自分の知識不足を露呈してしまう可能性もあり、したがって「精神的なものです」という言葉を使います。いずれは治る、と確信している場合に使ってみたり、医師によっては濫用しているケースもあるように思います。
2)精神疾患に随伴する症状である
例えばうつ病に胸焼けを伴う患者は多く、またうつ病の薬の副作用にも胸焼けがあり、原因だ結果だと決めつけられないため取扱いはデリケートでなければなりませんが、精神疾患に随伴する症状である可能性を考えるときはあります。その解決は患者自身には難しいのではないでしょうか。したがって精神疾患に伴う症状である可能性を説明してその専門家の先生に紹介する事をします。ただし患者がそれに心理的抵抗を示す場合はあり、診療は簡単ではありません。日本における特異なハードルであり、精神科に対する強い偏見は逆に日本の医療の進歩を阻害している印象です。今後取り組むべき課題。
3)その医師の理解を超えている
何が患者におきているのか医師自身が理解ができないが、今までの経験から放っておいても悪化はしないと予測し、多彩な症状を患者が訴える場合にその言葉を使う医師がいると思います。1)と見分けがつきにくいため、患者が戸惑います。
4)その言葉を治療の代わりに使う
世の中には「気のせいだ」と言われるだけで症状が無くなる人が多くいるのは事実なので、その例に習って精神的なものだ、という声をかけて治るかどうか見守っている、という医師はいるような気がします。
5)患者自身の誤解
そういう言葉を使って説明されていないのに、説明が理解できないときに患者が「精神的なもの」と思い込んでいる場合があります。
さて、以上をふまえて、どのように患者は振る舞えば良いのでしょうか。
ここまで書いたら少し疲れましたので、続きはまたあとで書きます。
こんな内容で。
医者が使う「精神的なもの」という言葉が「別れの言葉」のような印象を持たれてしまうと良くない。
患者は「精神的なもの」と言われた時に一人で悩まないための手段を身に着けましょう。その手段にはこんなことがある、という内容。
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