2015/12/30

感染後過敏性腸症候群 (Postinfectious irritable bowel syndrome) はもっと診断されて良い

感染性胃腸炎(ウイルス、細菌、寄生虫などによる胃腸炎)が治る頃になってもなお下痢が治らなかったり、腹痛が続く:こういう症状で悩んだ時に、当院に来院された患者さんには感染後過敏性腸症候群 (Postinfectious irritable bowel syndrome: PI-IBS) という概念を説明するのですが、日本語のソースがないところを見るとあまり医師が意識していないのではないか、と思います。

そういう症状で悩んで当院に来院される方が多いなと感じるようになったのはいつからでしょうか。私が意識しだしたのはこの5年ぐらいじゃないかと思います。(ちょうど5年前にノロウイルスの記事を書いていてその中で触れています。このころはまだ検索してもPI-IBSという言葉そのものがポピュラーではなかった)その前からいらっしゃいましたが、この病名を使って説明してはいなかった。そして自分の考えはその当時の考え方とは少し違っていたので記事にはしていなかった。このところ文献が増え、自分の印象と一致していたのでまとめの意味で書いておきますので参考にしてください。
(ネタはこちらのレビューです)



感染性胃腸炎後に生じる消化管機能の異常にはPI-IBS、および感染後機能性ディスペプシア(Postinfectious functional dyspepsia: PI-FD これも多いです)が知られているけれど、PI-IBSは1962年Chaudharyらが感染性胃腸炎後に過敏性腸症候群を発症した130例をQJMに投稿したのが最初である。その発症率は3.7%-36%と報告されており、(コントロール群にもそれなりに症状がある人がいるので数字は大きいけれど実際の発症はこれ以下となる)細菌性胃腸炎のほうがウイルス性胃腸炎よりも発症率が高いとされている。
発症のリスク因子として知られているものは、女性、喫煙、症状遷延、うつの既往、心気症、3ヶ月以内の大きなライフイベント、60歳以下、抗生物質での治療、家族歴である。(これは実感として同じ)
オンタリオ州ウォーカートンで2000年に発生した4800名もの感染性胃腸炎アウトブレイク(カンピロバクターと大腸菌O-157の混合感染)での研究によってPI-IBS患者にはTLR9(感染防御に関与するタンパク:インターフェロン産生のトリガー)、IL-6(炎症時放出されるサイトカイン)、CDH1(カドヘリン:接着因子)の遺伝子に変異があったことが指摘されている。
カンピロバクターは特にPI-IBSと関連性が高いことが知られているが、特異的な炎症でなくとも発症するのがPI-IBSの特徴と言える。

カンピロバクター腸炎はPI-IBSの原因として最も知られており、腸炎後のギランバレー症候群もとても嫌で、かかって欲しくない病気だ。焼肉は火を通すだけではなく、肉を触った箸にも注意を払ってほしいと本当に思う。以前は牛の生レバー、現在は鶏肉での感染が多い。アメリカはバーベキューを良くするせいなのか、汚染された鶏肉が多いのか、両方なのか、わからないけれどこの食中毒がとても多いので研究が進んでいる。上行結腸に強い炎症が生じるのが特徴で、強い腹痛を訴え、「火を通した」と言っても鶏肉を食べていたらエコーを行ってみると著明に腫れているので予測がつけられることが多い。便培養では検出できず、大腸内視鏡で回盲部の組織をとって培養したところ診断がついたこともある。class A lipo-oligosaccharide(LOS)遺伝子を持つカンピロバクターは、腸炎後のギランバレー症候群や関節炎、PI-IBSの発症に関連するかもしれず、今後の研究が待たれる。

さてカンピロバクター腸炎については以下の4つの経路で消化管障害が生じると説明されている。
1)毒素によるカハールの介在細胞(ペースメーカー)の破壊によって、蠕動のペースが狂ってしまう。
2)粘膜の透過性が亢進してしまう。TLR9異常がある人は特にに影響を受けるようだ。粘膜防御が出来ないのだろう。
3)腸内細菌叢の変化が免疫を賦活したり神経系に異常を及ぼす。
4)細胞障害によって消化吸収できる細胞が減少する。
カンピロバクター腸炎では直腸のEC細胞(神経内分泌細胞)が増加する、という報告が結構あってセロトニンの上昇と症状とを関連付けたいようなのだけれども、あまりきれいに説明されてはいない。TNF-α遺伝子の異常があるとなりやすのではという報告もあるが症例数が少ない。

ノロウイルスはカンピロバクター腸炎のように動物モデルがないので研究が進んではいない。ご存知のようになりやすい人となりにくい人がいて、それはFUT2遺伝子の多様性だとか言われている。(血液型の話もこのあたりで出てくる)残念ながら感染する人に関しては小腸に強い炎症が生じるので、エコーで見ると臍の左ぐらいの空腸が非常に浮腫状で目立つのが特徴だ。ノロウイルス感染後のPI-FD、PI-IBSは3か月後では20%程度の患者に見られコントロール群と有意差があるが、6か月後にはコントロール群と差が無くなってしまう。そしてそのリスク因子としては嘔吐があったかどうかが挙げられている。

ジアルジアは人畜共通感染症でイヌなどにいるランブル鞭毛虫による感染症である。日本においても戦後に流行があり、現在も潜在的に流行の可能性はあるので知るべき感染症の一つだ。
カンピロバクター腸炎ではEC細胞が増加しているのに対し、ジアルジアでは減少していることが観察されている。一方CCKは上昇し、CCKの阻害剤で症状が改善するとも言う。食欲がないといったPI-FDの症状も出るのが特徴だという。

そのほか、赤痢、サルモネラ、大腸菌など種々の感染症後にPI-IBSは報告されている他原因が特定できない胃腸炎後にIBSを発症する症例も多い。これらの研究がIBSそのものの病態の理解にも一役買うことは間違いがない。

私見も入っているので鵜呑みにしてほしくはないですが、
個人的には憩室炎を起こした人も同じようにPI-IBSのような症状になる場合があるので気を付けています。

感染性腸炎が起きたら7割以上の人は5日程度で症状は取れますが、そうではないケースが多いので、それに対してマイクロビオータを正常化するとか、細胞間ギャップを強固にするとか、蠕動異常を調節する(漢方で異常蠕動を抑制する目的で大建中湯を用いるといったアプローチもあるようです)とか、消化を助けるとか、そういう治療が大切なわけです。先生方、どうぞよろしくお願いします。

IBSとして来院した方に、そのきっかけを聞き、発症がはっきりしていたり、あるいは急な場合には、PI-IBSの可能性があるのでそう説明しています。風邪引いた後に1か月以上咳が続くんです、みたい人は多いですよね?感染性胃腸炎は上気道炎ほどしょっちゅうなる病気ではないのですが雰囲気としては似ています。本来ならば治療も炎症を抑え、過敏性を抑えれば良いので、咳のときの吸入薬の成分と同じようなものを使いたいのですが腸に投与しようとすると全身投与になってしまいステロイドは使えないし抗コリン薬も使えない人が多いんです。そこをどうケアするのか、という難しさはあります。気道にはない腸内細菌叢や消化という問題もあります。
しかし病歴からはPI-IBSかどうかは推測できるので「この状態は長くかかる人もいるけれどいずれは良くなるんです」と実感をこめて患者さんに説明してあげるだけでものすごく患者さんが安心してくれます。
むろんそのピットフォールについても知っていないといけなくて、少ないヒントからセリアック病、熱帯スプルー、ベーチェット、小腸クローン、結核などを見抜く必要はあります。特に若い患者さんが多いので過剰な検査をしないとかエコー検査の精度が高いとか内視鏡検査を苦痛なく出来るとか経験豊富とかいうのは自分のアドバンテージかと考えています。

PI-IBSを発症しないような感染性胃腸炎の治療はあるのか?という問題の答えはビッグデータ使わないとわからない。そういう治療はないのかもしれない。そこに興味は持っています。日本でしか出来ないデータ集めです。

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