2011/11/12

意識下鎮静による内視鏡検査

東大第三外科で宇治先生が胃カメラを開発したのが昭和25年の話で、私の父がその医局に入局したのが多分昭和33年ぐらいじゃないかと思います。たぶんその頃、胃カメラ隆盛の時代だろうと思います。3年ほど外国に行っていましたから、昭和36年頃から分院にいたのだろうと思います。

フルブライトでアメリカに行って、麻酔と病理をして帰ってきた時に胃カメラの検査時にオピスタンを70mg使ったと言っていました。それが胃カメラ時鎮静をしたはじまりだとの事でした。それが本当だとすると、もう50年も前の話です。

父は確かあまり長いこと分院にはいませんで、昭和42年からは小田原に来ましたから、私の記憶は小田原で内視鏡をしている姿がメインです。毎週木曜日には分院に行って病理の切り出しをしていたのは覚えています。外科でしたので、毎週胃癌の手術があり、それをホルマリン漬けにして分院に持って行き、マイクロトームで切り出して、HE染色をして、見る。車で行くのですが、時々いっしょに行って、怪しげな分院の研究室で遊んでいたものでした。当時は「闘争せよ!」みたいな張り紙が院内の壁紙のようになっていたことを今でも思い出します。

意識下鎮静ではあちこちの学会で話す機会も多かったようですし、小田原の病院には沢山の先生が見学に毎週来られていました。基本はオピスタンかソセゴンに、セルシンを加えた方法で、今でもその方法で当院では行っています。古くさい、とみなさんが思う方法だろうと思います。

「寝かせて下さい」と仰る患者さんには、はっきりと「いいえ」と申し上げます。意識がある状態では事故は起きません。完全に意識を落とすことは可能であっても我々にとって検査に集中出来ない因子を作り出すことになり歓迎は出来ない事なのです。では苦しいのではないか、と思われるかも知れませんが、そうではないのです。

オピスタンやソセゴンのような合成麻薬は鎮痛効果はもちろんありますが、鎮咳効果がかなりあります。この鎮咳効果というのが馬鹿に出来ませんで、挿入時の「おえおえ」をずいぶんと抑制することが出来るのです。咽頭反射と咳とはよく似ています。

セルシンはベンゾジアゼピン系のマイナートランキライザーですけれど、これは筋肉の力を弱くするような効果があります。打てば意識はあるのに足はふらつきます。痙攣止めにも使います。重症筋無力症の患者さんには使わないことになっています。のどというのはお尻の穴と同じように「きゅぅ」っと締まっているものでして、そこを入るのですから筋肉を緩めなければならない。それにこのセルシンがずいぶんと役立つのです。

また麻薬で多少副交感神経が刺激されやすくなるような印象がありますが、それをセルシンが抑制してくれていると思います。セルシンによる脱抑制は麻薬が抑えてくれるという印象もあります。相性が良い。

両方を使うことでそれぞれの投与量を減らすことが出来、しいては合併症を避けることが出来る。

そういう理由で二剤を併用しているのです。結局のところ、意識がもうろうとなるほどでない量でも、「おえおえ」しない内視鏡が可能になります。意識はあるのに苦しくない方が患者さんはびっくりされ、またこちらに対する信頼感も増すようです。第一、麻酔の事故を避けるのに一番簡単な方法は意識があることなので、対費用効果が高いのです。

しかし意識下鎮静ではだめな患者さんに対したとき、当院では限界があります。万能ではないのです。

ウェイン州立大学に留学していたときに、叔父のDr. Sugawaは、ほぼ同じ鎮静方法で検査をしておられ、それでは無理な患者さんがいても、適宜プロポフォールや、General anesthesiaを組み合わせていました。リソースがあるのでより万能なのです。父と叔父とでは臨床上の接点はあまりなかったはずで、恐らく鎮静剤の使い方はそれぞれが独自に見出したのだろうと思います。達人の到達点は似るものだと、納得した記憶があります。

私は今昭和大学藤が丘病院でも内視鏡をします。
昭和大学藤が丘病院は、東大分院の藤田力也先生の系譜を脈々と受け継ぐ医局です。そしてやはり意識下鎮静を積極的に行ってきた病院です。私は高橋寛先生に直接教えを請うているわけですがやはり意識下鎮静を上手に使いこなされます。私にとって幸いな事は、父も叔父も師も内視鏡医としての遺伝子に共通性があったという事だろうと思います。

現在藤が丘病院では「全例に拡大内視鏡」を用意します。いざ必要があればいつでもその場で拡大診断が出来るのです。これは全国にほとんど例がないだろうと思い、誇りに思っています。それを可能にした背景には意識下鎮静があるのです。

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