2017/07/18

壮大な社会実験は失敗に終わりつつある

ブロックチェーン技術を見た時に、技術音痴でない人は、「価値」に対して「値札」をつけたその「値札」が非常に重たくなったら商品の流通はどうなるのだろうか、と思ったはずです。

すぐに思いついたことは、
1)これはデジタル芸術にはすぐに使える。なぜなら芸術品は何億人の手に次々に渡ることはなく、その値札は軽いままだけであるから。
2)知識、にもすぐに使える。人工知能ではその知識が真正かどうかを確かめる術が必要で、そうでないと「善悪」に似た価値判断が行いにくいからである。そして知識に関しては変容しにくいものであるため、ブロックチェーン技術の親和性は高い。
そのどちらも行われていません。儲からない分野だと思われているのでしょうか。本物よりも偽物の市場のほうが大きいとそうなります。また利権をすでに持っている人々にとっては恐ろしい技術でもあります。著作権管理団体とか大手学術出版社にとってです。
3)その他企業内での技術文書や証券などにも使えるのは言うまでもありません。
これは実益があるので着々と進んでいます。

ところが、おそらくブロックチェーンが一番苦手とする「通貨」で実装がはじまったのが面白かった。1円ぐらいの価値に対してすら、その1円が真性だ、と保証するためのコストはかかります。その保証コストが永久に上がり続ける仕組みがどこで飽和状態になるのか、そしてその飽和状態を人間は知性で乗り越えられるのか。

今のところ人間の知性が乗り越える前に技術的な限界は来てしまったようで、投機が盛んになったために売買額が不要に増え、トランザクションに時間がかかるし、取引所は儲からないしで先行き不透明。

実は処方箋とか、診療情報提供書にもブロックチェーン技術をのせることは可能で、しかも再利用されない文書なので、障壁は低そう。
一方で何の利権も生み出さない(笑)ので実現は遠そう、とか思います。

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