2016/09/25

数学者とパン


O'REILLEY出版から発売されている、Think Stats ―プログラマのための統計入門― Allen B. Downey著という本があり、この中に収録されている数学者ポアンカレのエピソードは有名らしい。この本は無料で公開されているのでダウンロードして読むこともできる。たまたま持っていた電子書籍「NEWTON 統計の威力」にも同様のエピソードが語られているが、出典が述べられていないのが残念だ。実際にはパンの重さというデータは離散的であるからNEWTON内のグラフには違和感を感ずる。
離散的な実データのサンプルは、このブログに示されているので参考にしてほしい

ポアンカレとパン屋のエピソードについて示そうと思うが、2000年ごろのインターネットでの投稿を見ると900gという説もあり、ポアンカレが「俺は損していないから良いや」と許してやったとも述べられている。こうしたポアンカレコピペの中には「右に裾が長いことを見出し」という表現も多いが、グラフの形を表したこの表現にも違和感を感じる(そうはならないことは想像してほしい)し、NEWTONの中のグラフなど、2年目の平均が970g程度であってエピソードの整合性が崩れ、まるでつまらない。結局Think Statsを素直に翻訳したものがストーリーとしてはもっとも自然であるので私が訳したものをおいておきます。
アンリ・ポアンカレは、1900年ごろソルボンヌ大学で教鞭を執っていたフランスの数学者である。彼についての逸話に以下のようなものがあるが、統計学の問題としてたいへん興味深いものである。
ポアンカレは地元のパン屋が1キロの広告を出して販売しているパンが、実際にはそれよりも軽い事を疑った。そこで彼はパンを買ってそれを家に持ちかえり、それを1年間毎日秤量し続けた。1年の終わりに、彼は測定値の分布をプロットし、それが平均950グラムと標準偏差50グラムの正規分布に適合していることを示した。彼は警察にこの証拠をもたらし、警察はパン屋に警告を与えた。
その翌年もポアンカレは毎日パンを購入し秤量し続けた。そして1年後、彼はパンの平均重量がしかるべき1キロであることを見出したが再び彼はパン屋を警察に訴えた。そしてこの時はパン屋に罰金刑が課されたのである。
それはなぜか?分布の形状が非対称であったためである。正規分布に従わず、その分布は右に偏っていた。これはパン屋が未だに950グラムのパンを作り続け、意図的にポアンカレには重いものを売っていたという仮説の証明である。
Web上にあふれているコピペよりはストーリーが明確であるように思うがどうか。賢明な皆さんは「いや、パンには水分の蒸発があるであろう。パン屋はそのように反論も出来まいか」と言うかもしれない。焼いた直後の重量低下は焼減率(焼成ロス)で表されるそうだが購入し持って帰る間にも徐々に水分は失われる。実際私もそう思ったから、これは逸話として楽しむべき話であろうと考えた。ならばなおのこと、数字はわかりやすくあるべきなので中途半端なNEWTON誌のグラフには違和感を覚えた次第。

一方1904年に提唱されたポアンカレ予想を証明した天才数学者ペレルマンにもパンに関するエピソードがある。彼はパンが大好きであり、食べたい黒パンひとつのためにマンハッタンからブルックリン橋を渡って、ブライトンビーチのロシア人街にあるベーカリーへ40キロあまりを歩いたというのである。(彼の友人ティアン博士の披露したエピソードとして……びっくりしたのは彼が遠くまでパンを買いに行った話です。マンハッタンからブルックリン橋を渡って、ブライトンビーチのロシア人街にあるベーカリーへ行ったそうです。黒パンひとつのために40キロ近い距離を歩いたと楽しそうに話してくれました。『100年の難問はなぜ解けたのかー天才数学者の光と影 NHK出版 2011/5 春日真人著
以上はWebからの引用であって原文を読めていないので、このエピソードについては2011年3月にアメリカで発売された"Perfect Rigour: A Genius and the Mathematical Breakthrough of a Lifetime, Masha Gessen著"にも記述があるのでこれを示しておきたい。この本によれば、ペレルマンが26歳でアメリカに来たとき、髪も爪も伸ばし放題、洋服もずっと同じ、そして黒パンの素晴らしさについて熱心に語る変わり者という認識を周囲から受けており、しかも印象は「エキセントリック」であったということ。彼が数ヶ月を過ごした、コンクリートに囲まれた New York University's Courant Institute of Mathematical Sciences やすぐ横にある整備されたワシントン・スクエア・パークは彼には違和感があり、黒パンとヨーグルトを買うためにロシア人街があったブライトンビーチまで歩くことで孤独と身体的辛さとを確認したかったのではないかという取材者の印象が書かれている。大学からブライトンビーチまでの最短経路はブルックリン橋を通るもので片道18.4kmであるから、往復で36.8km。ほぼ40kmと言っても良いのだろう。彼の友人とされているDr. Gang Tian という現プリンストンの中国系数学者に直接インタビューしている。博士はペレルマンのプライベートについてメディアにいくつかの話を披露したことを非常に後悔し、それがグリーシャ(ペレルマンの愛称)から何年も連絡がない理由だと思っているようだったと述べられている。
そして母親がブライトンビーチにある親戚の家に滞在していた事も記載があり、有名な母との絆もここで示されているわけである。

業績を挙げたら計り知れないポアンカレだけれども、「科学と方法」いう著書の中で、当時のトルストイ的な「道徳優先」という考え方に対し、「自然の美しさを探求するのが科学だ」という反論をしている。それが1908年のことであり、科学が暴走し原子爆弾の製造であるとか人体実験といった凄惨なことが行われ、科学の倫理という議論が出て来る40年前の事である。現在では科学と倫理とはつねに隣り合った存在であるけれど、それらが肩を並べて語られるには科学が一定のレベルに達さねばならなかった。その第一歩を踏み出した人物がポアンカレということだ。

一方で予想の100年後に解答を出したペレルマンはただの変人ではなくて自身の倫理観が高潔すぎるが故に種々の賞をすべて辞退していると言われている人である。趣味がキノコ狩りであったり車に乗らずにどこまでも歩いていったり(パンを求めてのエピソードもその流れ)、隠遁生活をしているのにも彼なりの考えがあるのではないか。
ここから先は自分の想像だけれども、ペレルマンは鯖田豊之さんの「肉食の思想」にあるようなヨーロッパの考え方を忌避しているのかもしれない。だからパンにこだわったり、キノコ狩りを愛したりするのではないか。

二人の天才数学者とパンのエピソードが何かを暗示しているとは思うほど短絡的ではないし、ペレルマンが天上界でどうにかなってからペレルマンとして生まれ変わったと思うほど想像たくましくもないけれども、こうして並べてみると二人の天才の運命に絡まりがあるようにも見え興味をそそられたためこうして記録する次第。

2016/09/18

よだれが出る

「先生、よだれが出るんです」という相談を受けた。

何を撮ったのか全く思い出せません。

生きるか死ぬか、という重大なテーマについて深く考えている合間に、ふと「よだれ」というようなテーマが紛れ込むと私の脳はやや混乱する。しかしこういう混沌とした状態は若い頃から好きである。

患者さんと話していて、話のギアが噛み合わないと思うことは多いけれど、それは患者さんにとって、顆粒球が減って菌血症になり命をかけて戦っている事とよだれ、とは同列に扱われるからだ。そしてそうした噛み合わなさは、ときに貴重であるから、時間をかけようと思うときがある。時間をかけるかどうかは、私の気まぐれで決まる。

「どうしてよだれが出るんでしょうねえ」と私は時間稼ぎをした。

「むしろ90歳になるまでお感じにならなかったのですか?」とさらに時間を稼ぐ。

「それは凄いことではないですか?私なんかすでに同じ問題で悩んでいるのに」というとほんのすこし顔がほころんだ。これで30秒は稼げるな。

この時点で全くアイディアも結論も頭の中には浮かんではいない。先ほどまで、患者の1ヶ月後、2ヶ月後に生じる合併症を真剣に考えていたからである。よだれはそこには何も関与してこない。

そろそろ考えるか、、と頭の中に疾患を思い浮かべ始めた。しかしここでゴールになるのは患者に「◯◯病かもしれません」という事ではないのだ。患者の命は十分に危険にさらされている状態なので、これ以上の騒ぎになるのはなるべく防ぎたいという私の気分がまずある。患者を納得させる気の利いた一言だけ思い浮かべば良い。

よだれを自覚したのは突然かどうか。
見た感じ、神経疾患がありそうかどうか。
そのよだれで困っているのかどうか。
嚥下障害や口輪筋障害なのか、唾液量が多くなっているのか。
それは原疾患と関連するのか。

「いつごろから自覚をしたのですか?お口の中には違和感や痛いところはないですか」「手のふるえはないようですね、歩く歩幅がせまくなったりしましたか?それもないようですね」「よだれで非常にお困りですか?」「構語障害はないですか?あ、言葉が難しかったですね。おしゃべりは普通にできますか?」「ものの飲み込みは大丈夫ですか?」「唾液は増えたという気がしますか?」唾液が増える薬というのが時々あって、コリン作動性のお薬である。そういう薬は多くはない。コリンがどーっと出ると下痢になるわけだけれど、ウブレチドはコリン作動性のお薬で、あと認知症の薬の多くはそんなような作用があってお年寄りはむしろ便秘の人が多いから一石二鳥だったりする、その他には尿酸の薬も下痢をする人がいるからもしかするとそんなことがあるかもしれないと思ったりする。時々帯状疱疹のあとなどに神経のつながり方がおかしくなり、汗をかくような信号で唾液が出たり、というような障害が出る人もいます。

実際にはこんなにきちんと流れるようにインタビューをしているわけではない。聞き取れなかった質問も多かろう。割合最近気づいたらしいから、この方の過去の顔面神経麻痺のせいだと言うと納得してくれなさそうだとか、唾液を増やす薬は飲んでいないなあとか、入れ歯はどうなんだろう、痩せてそれが合わなくなったとかかなあとか、抗凝固薬は飲んでないけども小さな小脳周辺の虚血でそうなることあるかなあ、でもMRI撮るの嫌だなあ、患者も望んでいないだろうし、などとぐるぐると考える。神経所見でもそれら(パーキンソンや脳梗塞、神経麻痺)を示唆する症状はない。

こうして必死に考える努力をしてみる。診断よりは納得してくれる一言を探しているだけである。頼むよ、自分の脳。すると、勝手に口が喋ってくれる事があり、私はそれをとても頼りにしている。






「それは前屈のせいですね」




(お、私の口が勝手に喋ったぞ)と思った。前屈とは前かがみの姿勢のことだ。なるほどそうかもしれない。そうとわかれば理由付けは自分の仕事である。

「以前は、背がピンとしてらっしゃったんですがそういえば心持ち姿勢が前かがみになったでしょうか。そのせいで口から唾液が垂れる、と。今のお話や診察からはそう考えました。私はきっと猫背だからよだれで困るんでしょうね」

「ああ、そういえばそうかもしれません。気をつけてみます」

(良かった、一言で納得してくれた。心配させないですんだろうし、しゃんとした自分を思い出してもらって元気を出してもらえただろうか)と思った。患者さんを心配させない一言というのは難しい。無難な内容で患者さんが理解出来、対処がある程度可能で、嘘でもない、少しだけ患者が喜べばもっと良い、そういう条件を満たす言葉はそれほど多いとは思わない。

次回の外来ではよだれの件をもう一度話題にすることとカルテに書いて終わりにした。悪化していたらまた考える。

慢性疾患の経過観察中に別の病気が見つかる場合、こうしたやり取りから始まることがある。「肋骨が痛い」からバセドウ病の診断に至った場合もある。「なにもない」から診断ができる病気もある。こうした作業はディープラーニングのようなものであり、自分の口は自分が鍛えた人工知能なのだと考えている。発想の仕組みはわからないのだが、たくさんの情報を入れることが大切だと感じている。だから患者から「先生は原資料を持ってきなさいと言うが、いったいどの部分が役に立つのだ」という質問があり、「実は自分でもわからないのだ。でも答えはそのおかげで出ていることが多い」と答えているのは嘘ではない。