2016/02/10

相州大山記

国会図書館デジタルコレクションが大好きなのですが、まだ変体仮名が読みこなせないのが辛い。間違いを教えてほしい。




という本がありまして、明治22年の「るるぶ大磯・大山」みたいなものですが、これに鵜川医院が載っているのでご紹介。



汽笛一声車輪轟々走って新橋停車場(すていしょん)を発し品川大森川崎鶴見神奈川を経て横浜に着し機関車を其の尻に付替え後者は前車となり北へ向って進行し野毛の山麓を左へ折れて程ヶ谷戸塚大船(鎌倉江ノ島横須賀へ遊ばんとする人は大船にて汽車を乗りかゆべし)藤沢を過ぎて馬入川に達せんとするところ車窓より右の方を望めば透迤(いだ)たる武甲の層巒(そうらん)南へ流れて漸く低く列なりたる山脈を横断し蒼翠鬱葱(そうすいうっそう)として天表に独立し函嶺(はこね)と相対峙するの山あり其の形恰もナポレオン帽の如し是即ち大山なり。


東京を発してより二時間たらずにして平塚駅に着し汽車を下りて挽車(じんりき)へ乗て路を中原下宿へ取り豊田村伊勢原町を経て粕屋村へ到る此の道程ほとんど三里にして野径平坦車行甚だ難あらず左に大磯の高麗山(俗に平塚富士と云う)を望み右に原野千里に連なり前は大山の翠壁天半に屏立し其の左は丹沢山其の右に煤谷山日向越へ連絡し其の南方函嶺を隔てたる中間に白雪皚々(がいがい)として九皐(きゅうこう)に屹兀(きつこつ)たる富士を仰ぎ其の秀麗雄壮なる。人たれば之を望んで嘆稱(たんしょう)せざるものあるべき。
粕屋村は俗に明神と呼ぶ此の村の鎮守比々多神社(延喜式内)あるがゆえに其の村名を呼ばずして明神と云う。平塚駅より挽車(じんりき)へ乗り此の村に来って車を下るべし。ゑびやかみやと云う二個(にけん)の旅亭あり。孰れも家屋宏壮にして清潔なり。以て長途車上の労を慰むるに足る。是より大山町へは上りにして車は通ぜされども山轎(やまかご)あり(明神前より大山町翠浪閣に至る二十丁(約2km)此の賃銀凡そ二十銭なり)都下(みやこ)の士女(ひとびと)この山轎に乗りて山路を行くは又一入(ひとしお)の興味(おもしろみ)あると覚ふ。
明神前より大山町に至る二十余丁の間は大山の谷間にして道路の左右悉く人家なり。粕屋村に続いて子安村あるゆえに此の辺を総称して子安と云う。清元節の山帰りというたいものに
明神前より大山町に至る二十余丁の間は大山の谷間にして道路の左右悉く(ことごとく)人家なり。粕屋村に続いて子安村あるゆえに此の辺を総称して子安と云う。清元節の山帰りというたいものに
(上客)
なんのその男は裸体百貫のかけ念仏も向こう見ず
夜山で盆をすっぱりと切りはらいたる納太刀
諸願定宿子安までおりて五六の蚊帳の中
四六のあまにおといたる
どぶつに二朱もありがたい(下客)

文中に出てくる「かみや」という旅館は今鵜川医院がある場所です。平塚駅から人力車で平坦な道を三里。平塚の平野部から見る富士山は私も最も好きな景色の一つです。鵜川医院の場所が馬止めで、そこからは徒歩か山籠で登っていったのですね。

この本は明治のガイドブックなので江戸時代までの大山参りとはまた違った、日帰りでの観光の様子がしのばれます。

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