2011/02/02

「総合内科」に危惧する

千葉の総合内科の教授が仰っていたことを伝え聞いて、(あくまで伝聞に過ぎない)

「問診だけで90%わかる」的な内容

危惧したことがある。

1)90%という数字は「後医は名医」を表した数字に過ぎないことをご本人がわかっていない節がある。だいたい別の医療施設で検査してあることが多く、その見立てを参考にする事が多いから。当院がそうである。

2)残りの10%の行く末はどうなるのかに興味がある。結局迷宮入りがあるのではないか。その10%にすべて寄り添っていたら、大きなことは言えないと思う。結構背負うものは大きい。

自分の施設にかかっているバイアスを配慮せずにメディアでキャッチーな物言いをするのは問題があると思ったわけだ。発言の一部が一人歩きする可能性がある。

私が書いているように、情報は断片的に独り歩きする、メタデータとして。せいぜい20文字。

この伝聞を(バイアスを考慮せずに)そのまま信ずる人がいたらどうするか?という話だ。





そもそも問診に必要なのは時間だけである。テクニック?自分は聞くのも話すのも大好きなので特に考えたことはない。

時間をかければ良いが、しかし医療のリソースは絶対的に不足している。当院は患者数を意図的に絞っているからまだ十分に話を聞けるとはいえ、危ういバランスの上に成り立っている。

一般的にもおそらくリソースは不足しているのでトリアージ(ふるいわけ)が必要だ。

例えばひとり5分しか割り当てられないとする。

1000人の患者さんがいて、5分ずつの問診で、70%が満足した。(トリアージ兼治療)

30%は別の病院に行き、また5分の問診を受け、その70%が満足した。

これで91%が満足する。のべ6500分で91%の患者さんが満足できる。

最初から10分の問診、15分の問診をしたらどうなるだろう。

10000分、15000分の時間をかけてやっと90%の患者さんが満足するとしたら、

どちらが良いのだろうか。

自由に好きな医師に受診が出来、初診が安い日本の医療は、

本当の初診がトリアージの役目を果たしていると言え、リソースの配分は実は合理的なのではないかと思っている。打破する方法はいくつかあるが、患者側のリテラシーが上がらない限り無理な方法ばかりが私の頭には思い浮かぶ。






さて、もうひとつ危惧していることがある。

それは、「病名をあてる(わかる)」というような言い方が一人歩きをしている事である。

例えば、胃炎も、過敏性腸症候群も、逆流性食道炎も、咽頭神経症も、病名ではあるが、それはひとつの疾病とは言えない。そのような病気は本当に沢山あって、実はこれから正しい疾病概念が発見されるのを待っている状態だ。

なぜ私が問診を詳しく行うのか、タバコの銘柄や好きな酒の名前まで聞くのか。それはその疾患概念を分解して新しい発見をしたいからである。

「病名をあてる」というような言い方をするとき、私が危惧するのは、「新しい疾患概念、あるいは未知の病気を発見したい」という探究心が抜けているのではないかという事である。はじめに病名ありき、では困るのだ。それでは進歩がない。

総合内科がそういう内科なのならば、医学の発展はそこで止まる。

それではいけない。

わからない、を重要視せねばならないのだ。




私は恥ずかしながら、

いくら問診をしても、

診察で助けられることが10%以上あったりする。

気管切開の痕を見た父が、ジフテリアの既往と、腎萎縮まで言い当てたときには、

正直感動した。

内視鏡など、いくら隠しても、飲んでいればすぐわかる。

「!」という感動は、案外診察に隠れていたりして、私のモチベーションになっているから、

私はそういう意味での総合内科医にはなれそうもない。

2 件のコメント:

  1. 問診の重要性 と 問診だけで診断がつく の2点は全く別の話しですから、「問診だけで90%わかる」的な表現はやや違和感感じます。

    問診で検査前確率を高めることは大切で「問診」は必須ではありますが、問診だけで十分(診断がつく)ではないですから。確かに問診だけで診断つく病気も多々ありますが。

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  2. はい

    仰る通りでして、ソースをたどっていっても、やはり「90%診断がつく」という事が強調されており、違和感を感じました。

    総合内科がそういう内科である、という理解はあまり総合内科のためにはならないだろうと思った次第。

    同意いたします。

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