2010/09/26

第10回ダイナミクス全国大会



今、病院・医院にはコンピューター(PC)を利用したインフォメーション・テクノロジー(IT)が不可欠になりつつあります。
私がまだ中学生の頃、父(当院の院長)はPARAM-K2というデータベースを利用し患者管理をはじめておりました。
30年ぶり、などという患者さんのデータが呼び出せるのもPCおよびITのおかげで、その恩恵を十分感じています。
当院はIT第二世代という強みがあります。父の5万人以上のデータを私が受け継ぐことで、麻酔とその効果、あるいは胃粘膜と発癌といったバイアスのないデータが手元に存在します。

そういう環境で育った私がPCやITに弱いわけがなく、むしろ医師という人間の限界を通り越した記憶力を駆使せねばならぬ商売だからこそ、衰える記憶力、計算力、判断力の代わりにPC、ITに助けてもらうという姿勢は必須だという哲学で今まで生きてきました。若い頃の優れた記憶、計算力をPC、ITに蓄え、それに壮年期からの経験と、父からの経験を加える。

業者、あるいは他の医師が蓄えた知識を利用するのも良いのですが、自分の若い頃の能力を蓄えるという意味でPCを活用したい。ITリテラシーがあるかないかで、医師の将来は大きく変化してしまう可能性は残念ながらあります。案外若い医師のITリテラシーは低い。もう少し積極的にPCを活用すべきでしょう。

というような哲学にぴたりとあったのが「ダイナミクス」という電子カルテで、使用して5年になります。

むろん業界最安という値段に惹かれるユーザーも多いのかも知れませんが、自分の医療知識を10年後に活用したい、あるいは次世代に継承したいという哲学をお持ちの先生にはこれ以外の選択肢はないでしょう。

さて、病院での医療にこのダイナミクス哲学が入り込んだら、医療のパラダイムシフトが起こるかもしれません。
患者をまたいだ横断的な観察、治療を、Google Analytics的データマイニングを武器として行う。

そんな時代に将来なっても尚、ダイナミクス内のデータは生き続けるでしょう。

患者さん一人ひとりには、あなたを今診ているのはあなたのためではなく、あなたの一族のためなんですといつも申し上げておりますが、それはすでに日々の診療で現実のものとなっています。

そんな電子カルテ・ダイナミクスを活用しようという研究会がありまして、その分科会の司会などを行うために近江の国まで行ってきました。
きれいな場所です。

2010/09/25

午後から晴れました。

たまには鵜川医院の紹介

医院としてはめずらしく、
診察室から大きなガラス窓を通して裏庭が見えます。
裏庭と言っても、実は伯父の家です。
借景。
この風景が良いと、
褒めてくださる方がおられます。
患者さんを待たせても、
怒る方がおられないのは、
自然のおかげでしょうか。



柿は樹齢100年を超えています。
ただ、消毒を怠ったので今年は全滅です。


立派な竹です。
タケノコの季節には
食べ過ぎてお腹がガスで苦しくなります。



お彼岸には少し遅れましたが、
たくさんの曼珠沙華が咲いています。
もうすぐ赤とんぼが飛び始めます。

お隣には日比多神社があり、
子宝安産の神様です。

私は手が小さく、指が細く、
産科に向いていると言われていましたが、
産科になっておけば
最強だったでしょうか。

2010/09/17

たぶんもうひとつ、ある

統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由

という記事を読みました。

「1人のストーリー」が悲惨さを訴える「数字」よりも一人の人間に訴えかけるのは、「見える犠牲効果」(identifiable victim effect)と称する行動が理由だそうです。人間が慈善行為を施そうとするときには論理的かつ実利的な計算よりも、目の前の物事に対する同情がその根拠となりやすい事と同義だと言うのです。

人間は誰しも数字よりも実例が大好きで、これは医者も例外ではありません。

でも果たして実例が大好きな理由はそれが数字よりもより情緒に訴えかけるからだけなのでしょうか。私はそれだけではないと思うのです。

例えば上記の記事で実例としてあげられているチリの鉱山を例にとります。彼らを助けることと、パキスタンの水害で人々を救済することとは、いったいどう違うのでしょうか。私は、コストとリターンの問題に帰結するように思います。鉱山の人々を助けるために、様々な新しいテクノロジーが投入されます。そのコストと、得られる様々なデータや経験値、あるいは宣伝効果などのリターンを比較してみたときに、より小さな規模でそれが行われる方がリスクが小さくリターンが大きいと人間は考えるのかも知れないと思ったのです。自分が何か慈善を行ったときに、誰しも知らず知らずのうちにリターンを期待する。これが「1人のストーリー」を優先してしまう根源的な理由なのかも知れないと。

私が上部内視鏡検査を行ったとき、患者さん本人の利益を考えますと「また来年もお受けください」と言うのが親切かもしれません。しかし当院で胃癌がより沢山見つかるためには、ピロリ菌がいない人々の受診を恣意的に少なくする必要があります。したがって肉眼的に容易に見分けが付くピロリ菌陰性の人々には、内視鏡をあまり受けなくても良いのだという事を伝えております。それらの人々が食道癌になったりGISTやカルチノイドに罹患する可能性はゼロではもちろんないのですが、それでも期待値を計算すれば私の指導が正しいのです。罹患率が一桁違う疾患ですので、現時点では胃癌にフォーカスするのが正しいのです。誰にでも「毎年」というのは、とうてい論理的とは言えません。それは経済です。

リソースが足りない社会では、この論理性がかなり重要です。
目の前の命を全力でなんとかするというのは、確かに小説的ではありますが、材料の在庫なども冷静に計算しながらリソースを最適に分配(節約することではない)できるかどうかが優れた医師の第一条件であろうと思いますし、若い先生にはその感覚を養って欲しいと思うのです。

それからもうひとつ、
上の記事では「1人1人を特定できないほど多くの被害者が出ているときにこそ、われわれは余計に思いやりの心を働かせる必要がある」と述べているのですが、例えば自分の慈善が他の人々のそれと相まってどのように役立っているかフィードバックするシステムがあれば、わざわざ難しい事を教える必要が無くなるでしょう。
私は大きな災害により大きな慈善が集まらないのは「報道が、災害の規模の大きさばかりを取り上げ、個人レベルの悲劇を伝えないのが原因」という考えは、悲惨さばかりを訴えて鬱々のなっているこの国の報道を見るに賛成が出来ないのです。

2010/09/14

目玉おやじは近眼だ。たぶん

この面白い画像で思い出した、むかし書いた(2007年頃)文章を引っ張り出してきました。


あと、近視の遺伝子が特定されたという記事もありましたし。

で、この研究者たちが近視の原因は「成長の異常だろう」と言うんですね。同意。
遺伝素因だけでは発症せず環境に左右される病気はほとんどが、成長の異常と言っておけば正しい。

近視もおそらくそうです。遺伝子が特定され、私の見解がこれで崩されたかな?と思ったらまだまだ大丈夫でした。

2007年、私は近視の一つの環境因子に気がついてしまったかもしれません。
Wikipediaの記事に書いてないことを書こうと思います。
文献的根拠はないが、理には適っている。
そして実験的根拠はたぶんみなさんが最近実践しているはず。
すなわち、目をきょろきょろ動かすと一瞬目が見えるようになる、それです。

クリックすると拡大されますかね…


ここで上の図をご覧下さい。眼球の周りには目を動かす動眼筋(4本+1本)が付着しています。

ここから、通常とは逆の事を言いますよ。近視トレーニングなどと言っている人たちとは逆の事を言いますよ。
目を良く動かす人は、動眼筋が発達して眼球をより後方にひっぱることになります。(A)
そして、動眼筋が弱い人は眼球を後方にひっぱることが出来ず、眼球が長軸方向にだんだんと伸びていく(伸びやすい人が恐らく近視の保因者)ことになります。(つまりa’がだんだん長くなる)(B)

近視トレーニングの人たちは、近くばかりを見ていると動眼筋が緊張し…と言いますがこれは間違いです。近くを見ているとき、眼球はたいていほぼ中心を見ており、別に筋肉は緊張しませんから。しかも緊張したら近視の人は眼球が短くなることになる。しかし実際には近視の人たちは眼球が長くなってしまいます。むろん、締め付け具合が違って眼球が長くなるっていうんだったら説明は正しい。しかし彼らはそう説明はしていない。つまり彼らは何も理解していない。言葉遊びをしているだけです。


結論:動眼筋が眼球を緊張で保持できず、a’が長くなった状態がすなわち、近視の眼球です。
これは上記の「成長の異常」とは矛盾しません。

この概念はかなりの事実を上手く説明が出来ます。
遺伝説でいうところの、発達上の問題から眼球の奥行きが若干延長されの部分がそう。まさに動眼筋の発達が、眼球の奥行きに影響すると考えます。結合組織が弱ければ眼球は延長しやすくなるのでしょう。

そして、この説が完璧なのは以下の風説を上手く説明できてしまう事。 

  1. 眼鏡をかけると近視が進む
    • 迷信ではない。眼鏡をかけると、眼球の動きが制限されるため、ますます動眼筋が萎縮する。このため眼球の奥行きは延長するのである。
    • バイオレット光説でも説明ができます。(2018年追記)
  2. テレビを見すぎて近視になった
    • TVの見過ぎ、テレビゲームのし過ぎ、あるいはPCの使い過ぎで近視になるという事がよく言われるが、眼球を全く動かさないので、近視が増悪する可能性がある。
  3. 勉強をしすぎると近視になる
    • 集中しすぎれば、その通り。私のように集中しない人間は近眼にはならない。


状況証拠からは私の仮説は完璧です。それならば…

小学生は眼球をキョロキョロさせる子の方が近視になりにくい・・・私です。
動体視力を鍛えている子供は近視になりにくい・・・たぶん本当。

自然が多ければ自然と眼球を多く動かすことになる。決して遠くを見ることが良いということではないと思うのです。一般的に視力回復トレーニングとされているものは、眼球運動を刺激しているだけですが、彼らのわけわからない理論よりは私の考え方の方がよほどきれいに説明すると思います。
子供にメガネを作るときには、なるべく面積の大きなメガネを選んで眼球運動を制限しないようにしてあげたい。そう思いましたが今の子供のメガネは「ファッション優先」なんだそうです。何を考えているのでしょう。私は子供には大人用のOakleyのメガネにしました。これが一番視界が広かったからです。

さて、真面目な話をすると、強度近視の原因は眼軸の延長であるとされ、この原因としては網膜内ドーパミンの欠如、VIPの増加が指摘されていました。REM睡眠中は激しい眼球運動が網膜内ドーパミンを増加するとされており、この点からも眼球運動を刺激することは長期的に見ても近視を予防できるだろうと考えます。2012年5月5日号のLancet誌(The Lancet, Vol. 379 No. 9827 pp 1739-1748)では、屋外での活動の低下が網膜内ドーパミンの欠如を促したのではないかという推測がなされています。眼球内ドーパミンは光刺激で増加するという論文は散見されますが、屋内での強い光線と、屋外でのそれがどう違うのかという説明がクリアではありません。緯度が高いほど近視かというとそうではありませんし。屋外での活動(バイオレット光)が鍵ならば、光の強さと同様に眼球運動も重要だと、私は考えます。




遠視はまた別です。水晶体が凸レンズとして十分に機能せず、厚くならないので網膜上に焦点を合わせられなくなる状態。まさに現在老眼進行中の自分の感覚としては「毛様体筋に力入らね~」あるいは「水晶体硬~(老人に限る)」です。むろんレンズで矯正するのが子供の場合は重要なのですが、ちょっとした老眼の場合に目薬でなんとかなるんじゃないか・・・などと考えます。





そして動眼筋のない目玉おやじは近眼なんです。たぶんね。

2010/09/08

となりのとなり

日比多神社トナリ鵜川医院鵜川邦夫です。

当院のトナリは日比多神社という子宝安産祈願をする神社なので、お参りのついでにいらっしゃる方もおられますが、市内にはいくつか同じ名前の神社がありますので、混同されることが多いようです。

説明を追加
だいたい左に書いたような感じで、本当にトナリにあります。



今日バスに乗っていました。バスっていうのは両側につり革につかままっている人がいたら、あと一人通るのがやっとの隙間しかありません。ですからバス停で止まるたびに、通れるようによける必要があります。

たいてい毎日うまく行くわけです。

でも、今日はうまくいかなかったのです。
の男性が一カ所からどうしても動かない。
彼にしては「動けない」のだと思います。左下の図をみてください。

彼のとなりの男性()が気付いて一歩下がれば良かったのかも知れません。しかしとなりの男性が動けない状況に気づけなかった。
彼のとなりのとなりの方が出たいのに出られない。

人はとなりは見られるが、となりのとなりは見られない…

たった一歩下がるだけで皆楽に通れたかも知れないのに、となりのとなりがどうなっているかまで、気づかない。そのためにバスの中ではなにやら怪しい雰囲気で押し合いへし合い。

私は身体が細いので、そのあと上手に通り抜けましたけれど、後ろのほうから眺めていて「みんながんばれ~」って思いました。
ちょうどこんな状況になっているとき、頭の中に、
「となりのとなり」っていう言葉が浮かんできて頭から離れようとしない。

「となりの芝生は青く見える」って言うけど、
「となりのとなりはどうなのよ」って。
じゃあ、「となりのとなりのとなりは?」って。

これ、となりが無限になると公衆衛生って事になるんですね。
あ、医学では。

無限とはいかなくても例えばある人の胃が赤い。さっき見た胃より赤いかな。その前の胃とは同じくらいかな。・・・・それを続けると胃カメラのような主観的な検査であっても客観性が出てくるような「気がする」



「となりのとなりのトトロ」だったら、めちゃくちゃ客観的にトトロを見られるかも知れない、とか。
「となりのとなりのとなりのとなりのトトロ」くらいだったら、私にも会えるかも知れない、とか。
「となりのとなりのとなりのとなりのとなりのお姉さん」だったら、それはすっかり他人だし。

色々思いまして。非常に有意義だった。

客観性を失って、困っておられる患者さんは多いと思うんです。大抵はごく身近なところと比較して良くない、と落ち込んでいたりする。そういうときにとなりのとなりが見えるようになれば良いなあ、と思ってあれこれお話することが多いわけです。

Twitterってあるじゃないですか。私は、T0NARIなんですけども。
この中に、RTってあるんですね。Retweetっていうのかな。誰かの発言を引用するっていうマークです。これは誰かが引用した誰かの発言って事で、それを見ても「へー」ぐらいで、それほど心に衝撃を受けない。
これって「となりのとなり」なんですね。
となりはうらやましいけど、となりのとなりだったらうらやましくないし、何言われても悔しくないや、みたいな。
そういうゆるいコミュニケーションツールなんじゃないかって。
思いますね。悪くない。

2010/09/03

しちゃだめ、と、しなさい

今日患者さんに話したんですけど、

「食べ過ぎちゃいけません」

などという、制限する指導が出来るっていうのは、とても医者としては楽なんですね、って。

言うのは簡単、出来なくても責任はないし、第一患者さんは制限しなくちゃいけないほどに、生命的には機能的な異常がない。それが将来破綻を来すかどうかは別として。

しかし一方で難しい指導があって、

例えばMCVが高くてアルブミンが低くて、ああ、肉を食べてないなあという患者さんに、

「お肉を食べなさい」と指導したいわけですが、

これ、患者さんの嗜好との対決をしなくちゃいけない、また、指導通りにしたときの諸症状に対応(予想を含めて)しなくちゃならない、そして結果を医者が保証しなくちゃいけないという意味で、困難を極めるわけです。

どうも安直だ、という理由で指導というと「しちゃだめ」「しちゃだめ」に偏りやすいというのは、医者の場合だけでなく、子供の教育などでもいっしょですよね。

というと、患者さんは納得していた。

「~しなさい」と一方的に言うだけでなく、本当に出来るようにサポートする指導というのは、例えば消化管に機能異常が出現した場合の重要な治療方法の一つなのですけれど、患者さんのインテリジェンスも必要とされるなかなか奥深い世界。

医者というとすぐに「塩分制限」に示されるように「制限」という言葉が大好きなんだけれど、そんな言葉を発していたら自分が滅入ってしまう。一日に「しちゃだめ」と「しなさい」がほぼ互角に口から出るように、なんとなく意識するようにしているわけです。

その方が雰囲気としては前向きですし。自分が明るくなりますし。

Jet データベース (MDB) のバックアップについて

Superdyn ML にて定期的にやりとりされる話題ではありますが、特にOSのテクノロジーについては進歩がないのでメモ程度にまとめておきます。

■大前提
マイクロソフト社は、Jet Database EngineをMicrosoft SQL Sever Desktop Engine (MSDE)にいずれ置き換えたいと思っている。
ただし、その割にはフロントエンドとしてのMicrosoft Accessは進化していない。Accessの最大かつ、唯一の特徴で、Wordに実装されるべきなのに未だ実装されていない「印刷条件の記憶」は、Access2007で一旦反古にされそうになったくらい。

■MDBファイルが壊れないバックアップ方法は、VSSを使う方法だ。
VSSとはMicrosoftのVolume Shadow Copy Serviceの事。使用中のファイルであっても一瞬安全に入出力をロックして壊れないようにバックアップ出来るテクノロジーだ。このAPIを直接我々がいじる方法は私は見つけていない。しかし商用のバックアップソフト、例えばAcronis True ImageはこのAPIを使っているようだ。したがって、これらの商用ソフトを細かくチューンアップして、MDBファイルのタイムスタンプを記録しておけば、ストレスがないだろう。

■RAIDの意味のなさ
MDBをバックアップするそもそもの理由は、データの不整合が起きたときに元に戻すことが出来るようにである。しかしRAIDを使用中は、データの不整合は両方のファイルに起きる。そう、律儀に両方壊れるのだ。だからRAIDは意味がない。

■しかし、ユーザーがそれほど神経質でない場合は、定期的なバッチファイルによるバックアップで十分だ。
WSHを使うも良し、バッチファイルを使うも良し、手作業で行うも良し、拙作CompMDBを使うも良し。
実は手作業で行うというのはフールプルーフとしては有用だ。自動化させるとどんどん自分が馬鹿になる事を経験しているユーザーは、手作業でのバックアップにこだわるべきかも知れない。

■最適化はどうするか。
レセプト作成時に特にインデックスが肥大化する。レセプト作成時は基本的には他ユーザーは接続しない運用が良く、必然的にそれが最適化に良いタイミングだ。レセプト作成時に最適化をするのはお勧めです。CompMDBは自動で最適化してくれる。

■トラブル時の書き戻しは考慮してあるのか。
トラブルが起きたとき、どのバックアップまでさかのぼるか、トライアンドエラーで素早く調査する必要があろう。それがすぐ出来るのは拙作CompMDB以外には見当たらない。

■クエリを使ったデータベースの多重化も良い方法ではあるし、datadyna.mdbの分割も一法ではあるが。
バージョンアップに対応するのが面倒で、今はやめてしまったが、受付テーブルを別mdbにするのは有効だし、患者~テーブル群、診療~テーブル群を定期的に二重化したデータベースに書き出す方法も悪くはないと思う。

■ただしMSDEないし、他のDatabase Engineに進化した場合、これらの努力は意味がなくなる。
いつまでJet Database Engineの寿命があるかわからないので、自分も根本的にいじる事のコストとベネフィットを考えて、手を出せずにいるし、そもそも・・・

■良いコンピューターを使っていれば、MDBファイルなんて、壊れない。
値段は張るけれど、良いPCを使い始めてからは、MDBファイルが壊れたことなんて、ない。これが結論だ。